幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う
(今日のお話 1290文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は神奈川の技術系の会社様を中心に、
合計3件のアポイント。
今週は予定が盛りだくさんの週。
元気いっぱい、後半も飛ばしてまいりたいと思います。
さて、先日の飲み会で
「魅力的な人って、辛い経験をしてる場合が多いよね」
という話で盛り上がりました。
今日はそんなお話から、
「辛い経験と人の魅力の関係」について、
思うところをお話したいと思います。
■ちなみに私の場合、
辛い経験と言えば、
大学時代、バイト先で
バーのマスターに殴られたこと。
そして、アゴの骨が折れ、
全身麻酔の手術をするハメになったこと。
また全治1年かかったこと。
同時に、当時付き合っていた彼女が、
リストカットをしたこと。
新卒で入った某外食企業で
寝る間もなく働き、半鬱状態になったこと。
・・・などがあり、そんな話をすると、
しばしば波乱万丈ですね、とか、
色んな苦労されてますね、
とか言われることがあります。
といいながら、正直、
自分だけが辛い経験をしたとは思いません。
そもそも他の人生と比較ができないですし、
よくよく話をしてみると、誰にだって、
胸が痛く、締め付けられるような、
「痛い経験」や「辛い経験」の一つや二つ、やっぱり持っているんだな、
と思わされるから。
■トルスロイというロシアの小説家の言葉に、
こんなものがあります。
『幸福な家庭はどれも似たものだが、
不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。』
つまり、
”幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う”
ということを意味します。
もっと言えば、
誰だって、
周りに見せていないだけで、
人に言えないような辛い経験・悩みがある。
それは幼い頃の辛い体験だったり、
人間関係の悩みだったり、
身体のことだったり、
自分の能力に対するコンプレックスだったり
ぱっときいて特徴的なエピソードもあれば、
そうではなく心の奥で沈む鈍い経験など、人それぞれではあるものの
誰もが
”それぞれの辛い経験”
を多かれ少なかれ持っている、
ということなのだと思います。
■そして、私がこの話、
”人の不幸の形はそれぞれ違う”という言葉から思うのが、
人間関係において、
他人に対して、
「同じように痛みを抱えている人間なんだ」
「形は違えど、もがいている人間なのだ」
と思えたとしたら、
他の人にもっと優しくなれるのではないか、
迷っている人に手を差し伸べてあげられる、素敵な人になれるのではないだろうか、
そのように感じたのです。
自己認識とは不思議なもので、
「自分だけが辛い」と思えば、
悲劇のヒロインとなり、周りと壁ができてしまいますが、
「誰もが一様に、それぞれ痛みを抱えている」と思えば、
同じ仲間と感じて、優しくなれたりします。
だからこそ、私たちは、
目に見えなくても、自分がわからなかったとしても、
”不幸の形はそれぞれ違う”
という前提の下、あらゆる人に向き合ってみることが
大切なのではないか、
そう思ったのです。
■人間社会に生きている私たちは、
どこまでいっても人と関わることは避けて通れません。
必要なスキルや、
求められる能力もたくさんある世の中ですが、
「相手の痛みを理解してあげられること」
はいつの時代も大切なことではないでしょうか。
「7つの習慣」のような原則的な話でも、
長期・継続的に成果を生み出し続けるに必要なものは、
スキルと同時に、
「思いやり」や「優しさ」
というような人格面である、ともいいます。
”自分が感じている辛さ” と同じように、
”誰にもそれぞれの辛さ”があると思おうとすること。
そうすることで、
他人の痛みがわかり、優しくなれる。
そして人間的に魅力的な人になれる。
そう考えてみると、
”辛い経験”というのも、
また違ったものになり得るのかもしれません。
今日は、ちょっと哲学的なお話でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。