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3124号 2022年9月10日

「問う」ことで考えは開始され、「言葉にする」ことで考えは明確な形を持つ

(本日のお話 2854字/読了時間4分)

■こんにちは。紀藤です。

土曜日は、朝から
リベラルアーツ研修の実施
その後11キロのランニングでした。



さて、本日のお話です。

これまでに何度か

”リベラルアーツ(教養)”

という切り口から、

自らの参照枠(知識の枠)を客観的に見返す、
というテーマで研修を行わせていただいています。

開催のタイミングが来るたびに
知らないことだらけである自分が、

そしてさほど品格もない自分が
”リベラルアーツ(教養)”などと語ること自体に
なんとも言えぬ気まずさも感じつつ、

歴史、哲学、政治、経済などなどを元に、
参加者の皆様と対話した1日でございました。

とはいえ、こういったテーマを深掘りすると、
自分自身が一番学びになります。

今日は、特にそんな
リベラルアーツの研修準備の中で出会った、
とあるキーワードについて、

大切だと思ったことについて
皆様に学びをご共有させていただければと思います。

それではまいりましょう!

タイトルは

【「問う」ことで考えは開始され、「言葉にする」ことで考えは明確な形を持つ】

それでは、どうぞ。

■「リベラルアーツ」

というキーワードをご紹介しましたが、
こんな風に定義されております。

**

<リベラル・アーツ(英: liberal arts)>とは、

ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、
ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで
「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のこと。

具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、
および算術・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学・音楽の4科のこと。

現代では、

「学士課程において、人文科学・社会科学・自然科学の基礎分野 (disciplines) を
横断的に教育する科目群・教育プログラム」

に与えられた名称である。

※引用:Wikipedia

**

だそう。

いわゆる、大学でいう
「パンキョ(一般教養)」です。

■このリベラルアーツとは、

様々な知識を身につけることで、
当たり前や前提を疑い、

自らの頭で考えることを通じて
囚われから自由になる、

すなわち、

「リベラル=人を自由にする
アーツ=学問」

であると理解しています。

■そんな中、少し前の記事ですが、

東工大リベラルアーツ研究教育院長 上田紀行氏が

リベラルアーツに関連する話で
毎日新聞 2018年1月9日号 にてこのように述べていました。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<真の自由市民になるために>

古代ローマでは、「奴隷」と「自由市民」の2つであった。(中略)

「奴隷」とは、他人のものであることの人間、
すなわち理をもってはいないが、
それを解するくらいにはそれに関与している人間だ(「政治学 第一巻第五章」)。

つまり、自分の頭でものを考え、
真理を探求することはないが、
主人の命令に従えるくらいの知性は持っている人のことだ。

うーん、これはキツイ。

現代のわれわれは、自由市民に見えながら、
日々誰かの命令に従って生きている奴隷じゃないのか。

奴隷制は廃止されたが、
「善きもの」を探求する余裕などなく、あくせく働かされている。

誰かが設定した評価軸の中で、
成果を上げようと必死になればなるほど、奴隷になっていくわけだ。

※毎日新聞 2018年1月9日号

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)

■なるほど、、、。

”誰かが設定した評価軸の中で、
成果を上げようと必死になればなるほど
奴隷になる”

とありますが、

この「誰か」とは、

・会社の評価軸だったり、
・日本における評価軸だったり
・資本主義という評価軸だったり

自分が所属している
組織や文化や文明における前提あるのでしょう。

それが、

より広く信じられており、
疑うことがないくらい浸透しているほど、

「そんなものだ」

と自分の頭で考えなくなるのかも、
と思います。

■そして、そんな

「当たり前となっている前提を疑う」
(そもそも、を真剣に考える)

という対話方法として、

『哲学対話』

というものがあります。

例えば、

・そもそも、幸せとはなにか?
・そもそも、働くとはなにか?
・そもそも、このルールはなぜあるのか?

というように。

■そうすると

「普通こんなもの」

と自分が信じている考え方に、
「?」を投げかけることで、
その囚われから自由になる可能性が生まれる。

そのことを、

『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』(梶谷真司/著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07K72CFJ8/ref=cm_sw_r_tw_dp_V4CXFX16Z21JCDXHV7P1

は、以下のように言いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私達は「問う」ことではじめて
「考える」ことを開始する。

私達が考えていることは、
「語る」ことで初めて明確な形をとる。

考えることで自由になれる。
そして共に考えることで共に自由になれる。

ーそれこそが哲学の意義である。

(※部分的に抜粋、要約をさせていただいています)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

と。

■まさに、そうだと感じます。

「問う」ことを通じて「考える」が開始されます。

最初は、”思考”とは
そしてふわふわとした霞のように
自らの内側に散らばってあるものです。

そんな自らの内にある
感情・思考・信念などのかけらの中から、
特に自分の中で強く反応しているものを、

自分が操る事ができる言葉の範囲で、
なんとか形にしようとしてみる。

その行為は、あたかも

膨大にある思考のスープの一部を
蒸留しようとする行為であり、
訓練をしないと難しいです。

元の思考を
そのままの形で他者に伝えることは、
そもそもボリュームが多すぎて時間がかかります。

あるいは、

それを的確に表すボキャブラリー
あるいは比喩を用いることができない、

といった言葉の制約もあります。

■しかし、それでも、その

「問い」「考え」「言葉にする」

という行為を通じて、

・自分でも思考が整理されていく

・自らの前提が明らかになっていく

・他者との違いを理解し、わかり合える

という果実を手に入れることができる、
とも感じます。

■ということで、

お話が色々と広がってしまいましたが
改めてお伝えしたいまとめますと、

・リベラルアーツは自由になる学問である

・自由人とは、自分の頭で考えられる者のこと。

誰かが決めた評価軸を盲目的に信じるのではなく、
一歩引いて見つめことは、精神的に自由になりうる。

・そのための一つとして、
”当たり前の前提”を疑うことが役に立つ。

・人は「問う」ことを通じて、考えることを開始する。
そして考えることは「言葉にすること」で明確な形を持つ。

・問いを通じ、考え、そして言葉にすることは、
自分が信じていることを客観的に見つめる機会になる、
あるいは他者との違いを理解し、わかり合える機会になる

・ゆえに、問い、考え、言葉にするということは
リベラルアーツ(自由になる学問)の中核ではなかろうか

というお話でございました。

■今この瞬間のメルマガも、

自分がいいたいことを
なんとか言葉にしようとし、

なかなかできない難しさを感じますが
言葉にすることで形を得たプロセスでございました。

言葉にすること、もっと練習したいと思った次第。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

発見とは、偶然と準備された心との出会いである。

セント=ジェルジ(ハンガリーの生物学者)

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