「深く話を聴いたことがある人」は、久しぶりでも昨日のように戻れる
(本日のお話 2122字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日日曜日は、
友人が1日カフェをしているお店に
遊びにいってまいりました。
今から10数年前、
私が20代の頃、ルームシェアをしていた友人が
現在はシェアハウスを13棟、運営する経営者になりました。
彼とは一時期、とても深く、
濃い時間を過ごしたことがあるのですが、
そういった関係だと、
それぞれ別の道で歩んでいても、
会って話すと当時のようにすぐに戻れるのが、
とても嬉しく、ありがたい関係だなと思った1日でした。
*
さて、本日のお話です。
今日はそんな冒頭のお話から
「人間関係のつながり」について
『LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる』
ケイト・マーフィ(著)
にて紹介されていたある話をご紹介できればと思います。
それではまいりましょう!
タイトルは
【「深く話を聴いたことがある人」は、久しぶりでも昨日のように戻れる】
それでは、どうぞ。
■「ダンバー数」という概念があります。
これは進化心理学者であるロビン・ダンバーが語った
「関係性を把握できる認知的な条件」のことです。
平たく言えば、
”たまたまばったり出くわした時に、
身構えずに一杯飲める程度には相手を知っていると言える人”
のことであり、この数を、
ダンバーは「150人」程度と延べました。
それが『ダンバー数150』といい、
繋がりを把握・維持する人の目安として
知られるようになっています。
■さて、この「150人」の中には、
様々な人もいます。
濃ゆい関係の人もいれば
まあまあ深い人もいれば
気を遣って話す人もいます。
すなわち、
「ウエディングケーキのように階層があるようなもの」
だそうで、一番上の層(最も深い関係)には
1人か2人くらいしかいない、とのこと。
つまり、配偶者+親友くらいです。
■この感覚は、とても良くわかります。
皆様がどうなのかというと
それは人それぞれでしょうが、
ウエディングケーキの最上部であれば
”自分のダサいところ、悩みや葛藤、
感情的な部分も含めて人には見せない姿を
見せたことがある人”
となるようなイメージでしょうか。
人には言えないこと、言いたくないこと、
あるいは人に見せないだらしなーい姿、
(私もめちゃくちゃたくさんありますが笑)
例えるならばそんなところも含めて
共有し合える人、それでいて居心地よく
お互いを尊重・尊重し合える関係なのかもしれません。
かなり、希少ですね。
■そして次のウエディングケーキの2層目になると、
”価値観やこれまでの人生の来し方など、
深い部分を理解し合った人”
などでしょうか。
表面的な会話ではなく、
何を大切にしていて、どんな悩みを持っているのか、
相手の感情的な部分も含めて理解し合える関係とも
言えるのかもしれません。
同じプロジェクト(部活やコミュニティ、一部の仕事)で
お互いの本音を言い合った事がある人は、
綺麗事だけではない関係でお互いをさらけ出すと、
こういう関係になれるのかもしれませんね。
■そして最後が
「それ以外の広い関係性」でしょうか。
深くもなく浅くもない。
なので影響もさほどありません。
「引っ越してたんだね」
「へー、転職したんだ」
という少し間がある関係であり、
確かに話すに話すけど、
自分の生活に影響を与えるほどには深くない。
これらの関係性を維持する決め手は、
日常的に対話をしているかどうか、だそうです。
(逆を言えば、対話がなくなると関係はなくなる)
■、、、と、そんな風に、
人の関係性は”層”のようになっていて
ダンバー数の中でも違いがある、というお話でした。
そして、基本、日常的に
コミュニケーションがされないと
どんどん疎遠になっていきます。
私も前職の人と長らく離さないうちに、
だいぶ「ご無沙汰感」が出て、
人間関係はメンテナンスしないと、
すぐに離れてしまうんだな、、、と思った記憶が最近ありました。
■ただし、例外があるそうです。
すなわち、日常的なコミュニケーションをしていなくても、
すぐに昨日のように戻れる関係です。
それは、
『「深く話を聴いたことがある人」』
だそうです。
ダンバーによると
たいていの場合、人生のどこかの時点において、
深いレベルで集中的に相手に耳を傾けたことで
築いた関係である場合、会えば昨日のように戻れるとのこと。
特に、大学時代や青年期のように
情緒面が成長する時期、または病気や離婚など
人生の危機に直面した時に育まれた場合が多いそう。
■なるほど、、、と思います。
確かに、そうなのです。
表面ではなく、深く話した友人は
ウェディングケーキの上部に近いほど、
すぐに懐かしさと共に関係を思い出すことができます。
そして、40歳の今思うに、
歳を重ねるほど、友人というよりも、
家族やパートナーとの時間が長くなり、
気兼ねなく友人と一晩中語り合う、
ということも少なくなるのかもしれません。
そして歳を重ねると益々そうなる気がします。
青年期など感性が豊かな時にお互い物理的にも心理的にも
近い距離で語り合った時期と言うのは非常に希少なもので
歳を重ねると当時のような関係はなかなか新しく築きづらいのかもしれません。
■ただ、とはいいつつ
『深く話を聴いたことがある』
ということが、関係を維持し、
繋がり合うきっかけになるというのであれば、
この人とは深く、長くお付き合いしていきたい、と思う時
あるいはそのチャンスがあるときには、
表面的な話だけではなく
お互いのこれまでの生き方、価値観など含め
開示し合うような関係を作ることも、
きっと不可能ではない、とも思います。
■例えば、私も大人になってから
・100キロマラソンを共に走る、とか
(たった1日でも、感情が露出し合うため、戦友のような関係になれる)
・コーチングの学びを1年間共にする、とか
(お互いの深い部分まで知り合うため関係が濃くなる)
などを行うことを通じて、
新しい友人が出来る経験も、
確かにしてきているな、と感じます。
■繰り返しとなりますが、
人との繋がりもダンバー数で言うように
限られたものです。
であるならば、
せっかくの出会いを長く続くように
大切に育みたいものだ、とも思います。
大事なときもあっという間に過ぎてしまうもの。
生涯続く関係を大切にしつつ、
またチャンスを見つけて、新たにも育んでいきたいものです。
自戒を込めて。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、
お互いが相手の中に自分自身を発見する。
それが運命的な出会いというものだ。
岡本太郎
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