どんな人間でも12年間徹底して続けていれば必ず1つは悟りを得る
(今日のお話 1340文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
今日は、メルマガ第600号目。
振り返ってみると、第1号は2013年の3月1日でした。
からこのメルマガを始めてから、約2年半。
毎日書き続けて今に至りました。
今日は改めて、
「繰り返し行うこと」の意味について、
思うところを共有したいと思います。
■さて、突然ですが皆さま、
『千日回峰行』
という修行を聞いたことはありますでしょうか。
「繰り返しやること」の意味について、
この「千日回峰行」を達成した塩沼亮潤氏という住職が
興味深いことを言っていました。
ちなみに「千日回峰行」とは、
1300年に2人しか達成した人がいない荒行。
雨の日も風の日も、
高熱で40度出ようが血尿が出ようが、
往復48kmの山道を千日間回峰し続ける。
その道は、登山家も通らないような崖や獣道。
また、行の途中で
もし途中で断念することがあったら、
その場で携帯している小刀で切腹して、
死を選ばねばならない。
「達成」or「死」の2拓しかなく、
究極の荒行と呼ばれている修行のことです。
■この荒行に、何故ゆえに挑むのか。
それを経て得られるものは何なのか。
その理由を塩沼氏に尋ねたところ、
このように答えていました。
「2500年前に、お釈迦様が、
『同じことを同じように繰り返していると、”悟る可能性”がある』
と言いました。
また、
『どんな人間でも12年間徹底して続けていれば必ず1つは悟りを得る』
という最澄の言葉もあります。
毎日毎日、情熱をもって続けること、
そこから見えてくるものがあると思うのです。」
■”どんな人間でも、
12年間徹底して続けられていれば、悟りを得る。”
この言葉に、
「続けること」「繰り返し行うこと」がもたらす意味が
込められているような気がします。
私の場合、
千日回峰行には遠く及びませんが、
なんとかメルマガは600回続けてきました。
そして、
繰り返して得られたものが何かと問われれば、
「劇的に何かが変わった」というものが、
あるわけではありません。
しかしながら、
【続けてきたという”密かな自信”】
が、心の奥に、少しずつ
根付いてきたように感じるのです。
三日坊主の代表格的な私が、
断念したこともたくさんある中、
でも、一応何とか続けることは出来た、
この事実は、誰に評価されなくとも、
それだけで価値になっている、
そのように思うのです。
そして、もしかすると、塩沼住職が言われた、
「12年間繰り返し行っていくと誰もが得る”悟り”」
というものも、そんな内面的な変化が、
ある一定のレベルを超えたときに起るのかもしれません。
■恐らく、誰もが何かを
「続けてみよう」と思うことが一度はあると思います。
それは、
ランニングだったり、
英語だったり、
早起きだったり、
読書だったり、
人によってそれぞれ。
続けることは難しいし、
辞める理由も面白いほど良く浮かんできます。
しかし、もし続けることができれば、
間違いなく新しい能力は得られるし、
もし仮に続けて何も身につけられなかったとしても、
「続けることができた」
という事実だけでも、自分の自信になり、
自らの人生を豊かにしてくれるはず。
何かを続けるというのは、簡単ではないですが、
【「続けること」ただそれだけで何か得られるはず】
【どんな人間でも12年間徹底して続けていれば必ず1つは得るものがあるはず】
と信じ、地味に、愚直に、
何かをやり続けてみることこそが、
大切なのではないだろうか、
改めてそう確信した次第です。
これからも愚直にメルマガを続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。