今週の一冊『老後とピアノ』
(本日のお話 2518字/読了時間4分)
■こんにちは。紀藤です。
だいぶ秋らしくなってきましたね。
涼しくなって、とても気持ちがよく過ごしやすいです。
*
さて早速ですが本日のお話です。
毎週日曜日は、おすすめの一冊をご紹介する、
「今週の一冊」のコーナー。
今週の一冊は、
=======================
『老後とピアノ』
稲垣えみ子(著)
=======================
です。
■私事ではありますが、
約1年半前からピアノを習い始めております。
小学生くらいから5年くらい習っていました。
コロナ禍での在宅が増えて、
「仕事の合間に息抜きとして良さそう」
という理由で再開。
せっかくなら習おうということで
基本1日30分程度の練習をしつつ
1ヶ月に1回、ピアノの先生に見てもらっています。
■その話をすると、
実は周りにもそういう人が
ちょこちょこ存在している事に気が付きます。
子供が習うついでに、
自分も2週間に1度習い始めたという友人
(完全に未経験)
定年後にギターやバイオリンなど、
習い始めていたという方
、、、実は密かにいたりします。
■大人の習い事というのは、
結構、楽しいのです。
子供の頃の
”毎週イヤイヤ行っていたアレ”とは
まるで違います。
強制されてやるものでもなく
自分の意志で行っているので
モチベーションが違います。
そして何より違うのが、
これまでの人生でまがりなりにも長く生きて、
「学び方を学んでいる」いるのも大きい。
■例えば、
・地味な繰り返しが実は重要
・毎日でもちょこちょこ進めるべし
みたいな忍耐力、地道に続ける力
練習に意味を持たせることなどが
本能に任せてサボりまくっている子供の頃とは違って
進化、成長していたりします。
自制心も多少ついていたりします。(たぶん)
■また、仕事のように、
色んな人が関わって、
思うようにいかないことだらけの
ビジネスの世の中に比べれば、
”練習すれば、必ず上達する”
という公式は、
実にシンプルで気持ちがいいものですし、
楽といえば楽なのかもしれません。
■そんな大人の習い事。
今回ご紹介の著書『老後とピアノ』は
朝日新聞の編集者であった著者の方が、
50歳にして“手放すこと“を覚えようと退職をし、
そこから小学生までやっていたピアノを
40年ぶりに再開するエッセイです。
*
家にピアノがあるわけではないので
近所のブックカフェの営業時間前に
お店にあるピアノで練習をし始めます。
そして練習する日々を
エッセイとして書き綴ることを交換条件に、
プロのピアニストのレッスンを無料で受ける、
という企画がスタートしました。
■最初は気楽に始めたはずなのに、
気づけば没頭して,1日2時間も3時間も練習する日々。
なぜこんなに練習しているのか、、、
という自分を俯瞰しつつ、
上達する喜び、見栄、緊張、
そして体の衰え、脳の衰え、
大して上手でもないのに、その中で
何故苦しみながらもピアノに向き合うのか
というような
自身の中に起こる心の動きを
ユーモアたっぷりに描かれています。
■幼少期からやっていた人と比べれば、
技術も弾ける幅も圧倒的に違います。
ピアノの根源的な脳の発達は
だいたい15歳くらいまでに決まるそうで
超絶技巧のような技術の習得は、ほぼ無理という現実もあります。
一方、繰り返せば、誰でも
そこそこは上達するし、
それでも弾ける曲はたくさんある。
■でもそこまでしてやる意味あるの?
大したものが弾けるわけではないのに、
それでもピアノに向かい続ける理由とはなに?
そんなことに対して
著者は、このように著書で語ります。
(ここかr)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
”本書の初めに、私はこんなふうに書いた。
この40年ぶりのピアノには、私の老後がかかっているのだと。
そうなのだ。私は、年をとってもコツコツ努力すれば
できないことなどないということを、自分で自分に証明してみせたかった。
だっていくつになっても「やればできる」のなら、
老いなどなにを恐れることがあろうか。
要はやるかやらないかだけなのだから。
なのでもちろん、やりましたよコツコツと。
・・・いや正確にはコツコツなんてもんじゃない。
バリバリとやった。目を三角にして。
しかも毎日。しかも何時間も。
なぜそんなことになったかといえば、早くも練習初日から、
これはコツコツというようなチンマリした努力では「できないことなどない」どころか、
ほんのわずかなことすらできないということが即判明したからであった。
1日何時間も、雨の日も風の日も盛大に練習して、
ようやく「ほんのちょっと」進歩するのが大人のピアノというものなのであった。
※稲垣えみ子. 老後とピアノ (p.200). 株式会社ポプラ社. Kindle 版. ”
”焦らず、ダメな自分を認め、
少しずつ辛抱強くそれを繰り返していく。
その中から少しでも何かが出てきたら、
つまりはほんの一小節でも「自然に」弾くことが出来たら
それが私のゴールなのだ。
そしてもし明日も生きていたら、
明日もまた同じことをすればよいのである。
それを気の遠くなるほど積み重ねていけば、
いつかは6ページの曲が「弾ける」ようになるかもしれない。
でもそうならなくたって嘆くことはない。
何しろ毎日、知らなかった「ほんとうの自分」に出会えるのである。
それ以上何が必要だろう。
※稲垣えみ子. 老後とピアノ (p.206). 株式会社ポプラ社. Kindle 版. ”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)
■私は、とても共感いたしました。
そして大人になって、
趣味としてピアノを始めた人は
同じように感じられるのではないかと思います。
私自身、自分も振り返って思います。
自分がちょっとうまく弾けた、とか
ピアノの発表会に出てみた、
なんて悦に浸っても、
冷静に見れば大したことないわけです。
それは所詮素人かつ大人の趣味であり、
その技術レベルや表現力だけみたら、
幼少期からやっていた人にはとてもかなわない。
なんとか曲になっている、というレベルで
聞く人からすれば聞くに堪えないものと言われても、
仕方がありません。
■しかしながら、それでも
なんとも言えぬ魅力があります。
ちょっとずつ積み重ねていく、
その道すがらで出会う自分の成長や、
技術レベルに関係なく、
今を純粋に楽しもうとする気持ち、
一生懸命、その人なりに表現しようとする姿勢が、
反映された形で現れてくるのがピアノという楽器なのかもしれません。
その判断基準は、
上手い下手だけではない、と思います。
■たまたま、1ヶ月ほど前、
家族旅行で、父母姉、私と妻と息子で
愛知県の田舎の古びた旅館にいく機会がありました。
その旅館のエントランスに
グランドピアノがおいてありました。
1960年代のピアノで長らくその旅館に置いてあるものだそうです。
旅館の夕食を食べた後、
お酒の勢いもあり、そのピアノを弾いてみました。
そして、それはそれは
ひどい演奏でした(苦笑)。
うちの父いわく
「よくそれで弾こうと思ったな(笑)」
とコメントがありましたが、同時に
「とはいえ生ピアノの音はすごいな」
というコメントもありました。
技術ではなくそれは
ピアノという楽器が持つ力なのだろう、と思います。
そこに来ていた、おばあちゃんや、
海外から来ていたカップルが子どもたちも
そばで聞いていて、
「いいもの見せてもらいました」
「すごいですね!」
とにこやかに言ってくれたのを見て、
ピアノを弾くことは
その場に話題を提供する豊かなことなのだな、
と思ったことを嬉しく思った記憶が新しいです。
■そんなピアノにまつわる
喜び、葛藤、表現すること、
人と繋がるものとしての魅力を
体験させてくれるエッセイとして、
惹き込まれる作品でございました。
ご興味がある方は、ぜひ手にとっていただけると、
昔ピアノをやっていた方は特に、再開したくなると思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
==========================
<今週の一冊>
『老後とピアノ』
稲垣えみ子(著)
==========================