「構築主義」の3つの基本的前提とは ~現実は言葉で生まれる~
(本日のお話 1927字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は7つの習慣の研修実施立会いと、
大学院のプロジェクトである
コーチングの実践研修の最後の会でした。
夕方は10キロのランニング。
*
さて、本日のお話です。
最近、レゴを活用した研修の実施が
少しずつ増えております。
その中で、
『構築主義(または構成主義)/constructionism』
と呼ばれる考え方があるのですが、
今日はこのお話について、
皆様に学びをご共有させていただければと思います。
それでは早速まいりましょう!
タイトルは
【「構築主義」の3つの基本的前提とは ~現実は言葉で生まれる~】
それでは、どうぞ。
■「現実とは社会的に構築される」。
これが構築主義で
よく言われる考え方です。
もう丁寧に語られている
説明文を以下引用いたしますと、
こんな風に記述されていました。
”現実に存在していると考えられる対象や現象は、
客観的もしくは物理的に存在しているのではなく、
人々の認識によって社会的に構築されていると考える社会学の理論的立場。
社会構築主義、構成主義、社会構成主義ともいう。”
(コトバンクより)
とのこと。
■はて、何のことやら?
と思われる方も
いらっしゃるかもしれませんが、
この考え方は私達が現実を捉える上で
とても大切な考えだと感じます。
■一つわかりやすい具体的な例として、
『構築主義とは何か』(編:上野千鶴子)より
引用させていただきます。
”インクのシミのついた紙の束に対して
「本」という言語的カテゴリーを与える過程は、
そのカテゴリーの適切な使用が、
ほかの人によっても知られているか、
または了解可能であるかぎりにおいて妥当する。
そのときにだけ、これは妄想として片付けられることなく、
「本」という物質がこの世界に存在することを許されている”
とのこと。
■なるほど。
物体としては紙にインクのシミがついた束である。
しかし
「このインクのシミがついた、
これくらいの束は「本」だよね」
とその時代の、その文化の人々で
共通の了解、合意が得られているので
”「本」である”
という事実がたち現れるわけです。
これは構築主義が持つ指標の一つ、
”相互作用”について語られています。
■そして、そんな
「構築主義の基本的な前提」は
以下の3点と紹介されています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1)現実は社会的に構成される。
2)現実は言語によって構成される。
3)言語は物語によって組織化される。
野口裕二 論文”臨床のナラティブ”より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とのこと。
言葉によって、
現実は生まれているのです。
■これを考えると
今では多様性を語る上で
LGBTQなどに代表される
「セクシュアリティ」
に関するテーマも
興味深く捉え直すことができます。
このセクシュアリティ(同性愛)について歴史を遡ると、
こんな構築主義が関わる系譜が存在することがわかります。
(以下『構築主義とは何か』より引用です)
”時代を遡ると、古代ギリシアにおいても
同性間の性的接触は一般に行われていたが、
それが同性愛の問題として主題化されることはなかった。
その後、西欧社会において、同性愛は、
道徳的罪、非合法、宗教上の罪とされてきたが、
そこではあくまでも行為に焦点が置かれ、
一個人のある部分が問題にされるだけであった。
しかし、「権力/知」の実践を通じた
近代の同性愛の医療化に伴って、
同性愛が人格と結び付けられ、同性愛者が問題化された。
ここに、否定的な規範を内面化した、
ホモセクシュアル・アイデンティティが構築されるのである。”
(※上野千鶴子(2001『構築主義とは何か』,勁草出版 193)
**
■ある時代では一般的だった同性愛。
またある時代では治療すべき対象であった同性愛。
そして今では、
「LGBTQ」という言葉が生まれ、
マイノリティである多様性の一部ということで
そこにあるものとして市民権を得ていく流れになりました。
■では何が”本質的か”と言われると、
一体何なのでしょうか。
構築主義の反対にあるものが
『本質主義』とされます。
”多様であるはずの諸特性を
時空を超えた本質に還元し、
内部においては同質性を、
外部に対しては異質性を絶対化する思考”
といいます。
平たくいえば、物事を
”変わらない絶対的な本質は実在する”
という立場です。
時代、文化関係なく
良いものは良い、悪いものは悪い
そういうものはあるとする考え、立場と
捉えてもよいかもしれません。
■ただ、本当にそれがあるのか?
というと「構築主義」の立場からすれば
疑問です。
(そして現実社会を見れば、
それを証明する事実はたくさんあるようです)
先程のセクシュアリティの話も
正解・不正解や当たり前というのは
社会的に構成されているものにすぎず、
それは時代や文化によって
その認識は移ろいゆくものに過ぎない、と思えます。
■そうした歴史的な事実や
根底となる考え方(構築主義)を理解することで
”当たり前から解き放たれる”
”社会的な圧力から
精神的に距離を取ることができる”
そんな思考に至ることも、
できるのではなかろうか、
そんな風にも思いますし、
組織内でも、そうやって
「色んな正解」が作られているわけです。
■この構造を知れば、
望ましくない現実があるならば、
そこに社会的に別の意味を与える
言葉によって別の現実を作り出すことも可能です。
対話によって意味を与えることは
私達に与えられている力です。
そんなことを、構築主義の話から
感じた次第でございます。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
マルセル・プルースト
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