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3166号 2022年10月22日

ナラティブ・セラピーとは(後編) ー新しい物語をつくるための実践例ー

(本日のお話 1,995字/読了時間3分)


■こんにちは。紀藤です。

昨日金曜日は
ストレングス・ファインダー×コーチング研修の3日目でした。

ご参加いただいた皆様の学びの深さに、
私も大いに刺激を頂いた時間でした。

(改めてご参加いただきました皆さま
 誠にありがとうございました!)
 


さて、本日のお話です。

昨日「ナラティブ・セラピー」について
お伝えさせていただきました。

※昨日のお話はこちら↓↓
『ナラティブ・セラピーとは(前編) ー社会構成主義の活用ー』
https://1lejend.com/b/detail/HSfoIRnMfw/4325470/


今日は後編として、
「ナラティブ・セラピー」の具体的な実践方法について、
書籍からの学びを引用させていただきつつ、
ご共有できればと思います。

それでは参りましょう!


タイトルは



【ナラティブ・セラピーとは(後編) ー新しい物語をつくるための実践例ー】



それではどうぞ。



■ナラティブ・セラピーの3つの原則は、

1)現実は社会的に構成される
2)現実は言語によって構成される
3)言語は物語によって組織化される

と先日お伝えいたしました。



■改めて、

私たちは”物語”を”語る”ことによって

現実を編み上げ、あるいは
異なる現実を編み直しています。


起こった事実としては同じでも、
どのパーツをどのように組織化するかによって

例えば、
「敗北続きの惨めな人生という物語」を
編み上げることもできれば

あるいは
「痛みを知ることで優しくなれた物語」という
別の色の物語を編むこともできます。

私たちは、物語を語ることによって、
都度都度、現実を再構築しているのです



■そんな物語の特徴をセラピーに活用する
「ナラティブ・セラピー」。

さて、では具体的に
どのように活かすのでしょうか?



以下に3つの例がありますので
ご紹介させていただきます。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【ナラティブ・セラピーの実践 3つの例】

<1)物語の書き換え>
:セラピーを求めてくる人々が抱えている問題の源泉を
 「ドミナント・ストーリー(支配的な物語)」とする。
 
 汲み残された経験に光を当て、それが位置づくような
 「オルタナティブ・ストーリー(もう一つの物語)」の創生を援助する。
 (ホワイト&エプソン,1990)


<2)無知のアプローチ>
:セラピストがクライアントの物語について
 ”自分は何も知らない(=無知)という立場から
 じっと耳を傾け、もっとよく知りたいという
 好奇心にのみに導かれて会話を進める。
 
 こうすることで、物語は自由に語られ、
 「いまだ語られることのなかった物語」が展開する余地が生ずる。
 
 この新しい物語が、「新しい物語としての自己」を生み出す。
 (アンダーソン&グリーシャン、1992)
 

<3)リフレクティング・ゲーム>
:セラピストたちのコミュニケーションを
 クライアントの家族に観察してもらい意見を述べてもらう。
 
 観察する立場を逆転させ、
 そうした逆転を何度も繰り返してもらいながら、
 セラピストとクライアントの対話を進めることで気づきを促す。
(アンデルセン、1992)


※引用:上野千鶴子(2001)『構築主義とは何か』 P52-52
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)



■以上の3つが
ナラティブセラピーの3つの例だそう。

そして上記3つの例に共通する特徴があるとして
こんな風に続けられていました。


”三つの例が共通して示しているのは、
 セラピストの優越性や特権性を
 徹底的に放棄する姿勢であるといえよう。

 セラピストが正解となる物語を知っていて、
 クライアントを導くわけではない。
 どのような物語が生まれるかはわからない。
 
 ただ、あくまで平等な位置から対話を進めることによって、
 それまでの「問題の染み込んだ物語」とは異なる新しい物語が生まれ、
 新しい「物語としての自己」が生まれる。”(P54)
 
 
とのこと。



■うーん、なるほど、、、。

「セラピストの優越性と特権性を徹底的に放棄する」

そして、

「対等な立場で、新しい物語を生み出す」

、、、。

この話を見て、
私は反省させられました。


■例えば、研修などで
”学びを提供しようと企画している側”
であると、時に先生、なんて呼ばれたりします。

いわゆる優越的な立場のように
(実際ぜんぜん違うのに)
錯覚しやすい状況になることがあります。

そして講師として
参加される受講者の方に対して、
あの人はどうだこうだ、と何かしら所感を述べたりするわけです。



■もちろん、そうした観察によって、
わかることもままあるのでしょう。

しかし、それでもその人の奥側にある
大切にしているものを見ずして、

”その人について分かった風”

のことを語るのは、

なんだか失礼な気がしてどうなんだろうか、、、
という疑問も常にあったのです。

そのモヤモヤを言葉にされている気がしました。


■人には見えない事実があり、
その人の中にはもっと深淵なる世界がある。

そう考えると部分を切り取った
短絡的な思い込みや囚われではなく、

純粋な興味で向き合うこと
(まさに無知のアプローチ)ができる気もしますし

もしかするともっと心の距離も、
相手への期待も、可能性の見え方も
まるで変わってくるのではなかろうか、、、

そんなことも感じさせられました。



■物語は力になりますが、
一方、その物語によって、
制限をかけてしまうこともあります。

そうした作用を理解しつつ、

勝手な物語を押し付けない、
もたないことを意識しつつ
人と関わっていくことは、

ナラティブ・セラピーから学ぶ
人との関わり方ではなかろうか、、、

そんなことを感じた次第でございます。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

雑草とはなにか?
その美点がまだ発見されていない植物である。

エマーソン

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