科学とは「人間の価値」に関わるものである ー『人間性の心理学』マズロー 第2章より
(本日のお話 2205字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
さて、本日のお話です。
今日は
『人間性の心理学 ーモチベーションとパーソナリティー』
(A.H.マズロー,1987)
の第2章からの学びを、
ご共有させていただければと思います。
それでは早速まいりましょう!
タイトルは
【 科学とは「人間の価値」に関わるものである ー『人間性の心理学』マズロー 第2章 】
それでは、どうぞ。
■今回のお話は、
『科学における問題中心的傾向対手段中心的傾向』
という章からの学びの共有です。
■、、、はい、
私は当初この章のタイトルを見て
実は読む気がなくなりました(笑)
「ちょっと何言っているかわかんない」と
自分の中でサンドイッチマンが
ツッコミを入れておりました。
がしかし、読み進めてみると、
実に「確かにその通り!」と共感、納得できることが多く、
胸の奥で高揚感を覚える内容で、
良い意味での裏切りがありました。
■では、何が書いてあるのか?
といいますと、
マズローの当時の
「科学」に対する見方への嘆き、
心の叫びのようなものが語られておりました。
以下、「科学」について
マズローが語っている内容となります。
著書より引用いたします。
(ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
”手段中心化傾向は、
科学を階層化する強い傾向がある。
全く有害なことなのであるが、
物理学は生物学より「科学的」であると考えられており、
生物学は心理学より科学的であり、
心理学は社会学より科学的である
とされるのである。
このような階層の仮定は、
的確さ、完成度、技術の精巧さに基づいてのみ可能である。
※A.H.マズロー(1987)『人間性の心理学 ーモチベーションとパーソナリティー』P18,21)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここまで)
マズロー曰く、
的確さ、完成度、技術の精巧さにのみよって
「科学的」とされる”手段中心化傾向に、
「全く有害なことなのであるが」というように、
嘆きのような歯がゆさのようなものを覚えているようにも
読みながら私は感じました。
■更に、よりマズローの心情を形にするような表現で、
次のような記述もありました。
続けて引用いたします。
(ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最近の、国立研究財団を設立しようとする
議会側の尽力による討論においてさえ、
ある物理学者達は、心理学や社会科学は
すべて十分に「科学的」ではないという理由で、
その恩恵から外すべきだと主張したことがある。
このようなことが言えるのはほかでもない、
洗練された成功した技法だけを
排他的に尊重しているからであり、
また科学のもつ疑問をなげかける性質や
科学が人間の価値観・動機に根ざしていることへの気付きが、
全く欠けているからである。
私は一心理学者そして、
友人の移り学者からのこのような愚弄を
どう解釈したらよいのだろうか?
(P25-26)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここまで)
■マズローも、どうやら
友人の物理学者からモヤモヤする言葉を
言われたようです。。。
”友人の物理学者からの愚弄”
と言葉にしているところからも
マズローの、
「洗練された成功された技法を尊重するだけが
科学ではない!!」
という思いが透けて見えるようです。
「科学とは目的的であるべきであるし、
人間の役に立つもの、すなわち
人間の価値感・動機に根ざしていること」
であるべきではないかという彼の信念が伺えます。
■ちなみに、この話を読みながら
私(紀藤)も、心の中で何度も、
うんうん、と頷いておりました。
*
私の話で恐縮ですが、
現代でも似たようなことはあるものです。
少し前に、あるキャリア系の研修
(自己認識を促すもの)の中で、
研修の受講者からこのような
コメントをいただいたことがあります。
ニュアンスとしてお伝えすると、
「私は物理学とか、
相対性理論を学んできている。
こういった自己啓発的な
非科学的なワークは信用していない」
という明らかに斜に構えている方に
対峙したときがありました。
■その時、自分が思ったのが、
まさに先程マズローが語ったような、
「”正確に説明ができること”だけが
価値があるとは言えないのではないか」
という気持ちでした。
人間社会で生きる以上、
誰かと関わっていくことは避けられないし、
そうしたことを探究する
心理学、社会学だって役に立つからこそ、
研究されてきたわけであり、
それを意味がない、とみなすようなことは、
それこそ偏ったものの見方ではなかろうか、、、
そんな風にモヤモヤしたのでした。
また、そうした心理学、社会学を
揶揄する表現を含んだ”自己啓発”と
片付けられてしまうことへのもどかしさもありました。
■そして、同時に今気づきましたが
そうした前提
(=物理学のほうがより科学的というような科学の階層化傾向)が
現代でも今なお影響していることを認識しましたし、
自分がそのことについて
その方の信念に弾き飛ばされない形で
どのように伝えればよいのかわからない自分も
いたことも思い出しました。
■そんなことも、もしかすると、
お互いが立脚する認識論まで降りていって
科学をどう捉えているのか。
手段だけを科学とみなしてはいないか、
実証できるものだけをより科学的としていないか、
という前提まで降りた上で
このマズローの第2章から考えさせられる
『科学とは「人間の価値」に根ざすものである』
という主張を持った上で対話したとすると、
もしかするとお互いの状況も理解し合えるのかもしれない、
、、、そんなことを妄想の中で
過去にタイムスリップをして思ったのでした。
■オックスフォード大学の
サー・リビンストンによれば
「技術者とは
”自分の仕事について何でも知っているが、
その仕事の究極的目的と宇宙の秩序の中で
占める位置については知らない人” である」
と語りました。
手段・方法だけにとらわれないこと。
より大きな視点で見られるようになること。
その姿勢を大事にしたいですし、
そうしたスタンスをもってこそ、
「科学」を包括的に語れるようになるようにも思います。
洗練された技法も大事ですが、
科学とは洗練された技法だけを
意味するのではないことを
自分自身の学びの中でも
寄り添う言葉として持っておきたい、
そのように思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
まったく違う知識や考えを持った人と、
まず対話できることこそ大事だ。
盛田昭夫(SONY創業者)
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