目線は50メートル先に置く
(本日のお話 1453字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
さて、本日のお話です。
本日から3日間、
南山大学にて組織開発の
合宿への参加です。
また、論文の終わりが見えてきて
大学院生活も、もうちょっとで終了、
となってきているこの頃。
すでに寂しさと、
次なる目標を作らねば、、、
ということで
キャリアコンサルタント(通称:キャリコン)の
資格取得に向けて、3月に試験を受けることにいたしました。
試験まで、残り69日。
ここに宣言をするとともに、
勉強をちょっとずつ進めていきたいと思います。
さて、今日は
キャリコンに挑戦するに至った背景と、
今日はそのお話について、
思うところをご共有させていただければと思います。
それでは早速まいりましょう!
タイトルは
【目線は50メートル先に置く】
それでは、どうぞ。
■唐突ではありますが、
ランニングのフォームで、
”目線は50メートル先くらいを
ぼんやりと眺める感じのほうが
軸がブレずによいフォームで走れる”
という話があります。
車の運転もそうなのでしょうが、
あまりにも足元を見ていると、
逆に軸がブレてしまうのですね。
■これを現実世界に当てはめると
視点が自分の外側にある、
誰かを巻き込んだ目標があると
その目標達成に意識がフォーカスします。
たとえば、私も1ヶ月先に
大型の新しい仕事が控えていて、
そのために色々と仕込みが必要、
どんな企画であれば成功するか、
内容は細かくどうしていくか、
みたいな感じであると
目線が上に向きます。
■しかし、
外的な目標が決めまらないと
その思考エネルギー、すなわち
目標に向けて進むエネルギーが行き場を失い、
時に、自らの内側に向くことがある、
と感じます。
そうすると、
「あれやりたい、でも自信がない」
「自分は能力がいまいちだし」
と、あらぬ杞憂が心に渦巻き
ハッと顔を上げて進もうと思えば、
またうつむいてやっぱ無理かも、
と思うことをくりかえし、
その場から動けずウロウロ、
ぬかるみに足をとられたかのごとく、
動けなくなってしまうこともあります。
■要は、
”少し先に置いた目標を
持ち続けることで
手足を動かすことができる”
というのは、
多少なりともあるのでは、
と思うわけです。
■もちろん、この前提には、
「動き続けること」
「成長すること」
を良しとする価値観が
反映されているので、
それを望まない人にとっては
別にどちらでもよいことかもしれません。
■ただし、
自らの内側にある
有り余らせたエネルギーで
やきもき、モヤモヤしてしまい、
そんな自分が自分で好きではない、
と思ってしまう人にとっては
目線を少し先に置き続けて
顔を真下ではなく、
50メートル先の地面を見つめること、
そのためのシンボルとなる目標を持つことで
日々を心地よく走ることが
できるようになるのかもしれない、
そんなことを思ったのでした。
■余談ですが、私(紀藤)も、
基本的に陽キャに憧れる
陰キャであるため
そして、何かやることを設けていないと
自分の内側に潜りすぎて
比較・羨望により自らがダメージを負うことを
時にしがちでございます。
■そんな中で、
自らの負のエネルギー(?)に
自らがやられないようにするために
自分のエネルギーの方向性を
定めるという意味でも、
『終わりかけた頃、
終わりきる前に次の目標を作る』
そんなことを
日々健やかに生きるために、
前向きにいるためにも
大切だと感じた次第です。
目標は50メートル先に。
ということで資格試験勉強がんばります。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
小人閑居して不善をなす
礼記 大学より
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