目標を持つと、「痛み」が生まれる
(今日のお話 1953文字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
土曜日は、猛烈な暑さの中
テニスひたすら4時間でした。
(さすがに頭がぼーっとしました…)
そして日曜は、
”対話を生み出す、ワールド・カフェの作り方”
というワークショップに参加。
非常に勉強になりました。
「7つの習慣」でも、
”第五の習慣 まず理解に徹し、そして理解される”などと、
コミュニケーションの大切さを学びますが、
改めて”対話”が生み出す力を感じた次第です。
さて、早速ですが本日のお話です。
「目的意識」について、
ふと思ったことがありますので、
共有させて頂きたいと思います。
■しばしば本やセミナーでは、
「目的意識を持とう」と言われます。
・夢を持つ
・志を持つ
・目標を持つ
・ミッション・ステートメントを描く
・なりたい自分を思い描く
など、
言葉は違えど、
「目的意識を持つ」とことと、
近い内容だと言えるでしょう。
私自身、その大切さは、
本当に大事だと思っている一人です。
実際、週末に2~3度は、
自分で書いたミッション・ステートメントを見返します。
見返すことによって、
「そもそも自分は何を目指しているのか」
「自分はどこへ向かっているのか」
を見失わないので、日々の行動に軸が出来ます。
迷いが少なくなるため、
私の中で大切にしている習慣です。
■・・・しかしながら、
最近、ふと思ったことがあるのです。
それは、
「目標とかいいから、
毎日楽しく、のんびり生きていたい」
という友人がこんなことを言ったときのことでした。
「目標とか目的とか持って、
そんなに頑張ると疲れない?
もっと気楽に、肩の力抜いていければいいじゃん」
そして、それを聞いて、
確かにそれも一理あるな、
と思ったわけです。
目標を高らかに掲げたり、
強い目的意識を持つと、
「”高い目標へ向かう推進力”を得ること」
というプラスの面とともに、
「”掲げた高い目標”と、現実のギャップに打ちひしがれる」
という負の側面も、
どうしても感じることになります。
例えば、より良い自分になろう、
もっともっとよい結果を目指そう、として、
「よし、毎日早起きするぞ!」
「よし、毎日30分勉強するぞ!」
「よし、TOEIC900点目指すぞ!」
「よし、圧倒的な成果を上げるぞ!」
と意気込むとします。
掲げた行動目標が必ず実行できればよいですが、
人は完璧ではありません。
出来ないときだってあります。
できない時があると、
真面目に向かい合っていればいるほど、自尊心が毀損されます。
「ああ、今日も出来なかったな・・・」
(俺って、なんてダメだ・・・涙)
みたいな感じでしょう。
つまり、「目標」とか「目的」などそもそも持たなければ、
今までの延長線上で行けるわけです。
ギャップを感じずに済むし、
つまり辛い思いもしないし、痛みも感じません。
むしろ、楽だし、
気持ちよく生きられるかもしれない。
■では、こんな話を踏まえて、「目標を持つこと」、
それは悪いことなのか、と思うわけです。
痛みを伴う目標なんて、
そもそも掲げないほうがいいじゃないか、
そんな疑問も出てきます。
しかし、もし、そう問われれば、
私は決してそんなことはなく、
”それでも「目標」や「目的意識」は大事にすべき”
と強く感じるのです。
おそらくですが、人はどこかで
「もっとよくなりたい」、
「今日より、より良い明日になりたい、」
という欲求を、心の奥で感じていると思います
ただ、それが具体的に何か分からないから、
特に行動してはいないだけ。
そして「こんなはずじゃない」
「もっとできるはず」という願いは、
急性の痛みは発生させないものの、
”心のおもり”や”じんわり感じる違和感”のように、
”鈍い痛み”を心のどこかで、
私たちに感じさせている、そのように思うのです。
だからこそ、ワークショップや研修なで、
夢や理想を思い描くと、多くの人が
鈍い痛みを解消し、前へ進んだ自分がイメージでき、
図らずともワクワクしたり、目が輝く、
という感覚を得るのではないでしょうか。
■つらつらと書いてしまいましたが、まとめると
「目標を持つ」「目的意識を持つ」
とそのギャップを感じることになる。
そして、それを意識すればするほど、
そのために努力できなかった自分がいると、
自尊心が傷つくこともある。
”急性の痛み”を感じます。
逆に、「目標」や「目的」を持たなければ、
”急性の痛み”に苛まされることは少ない。
でも、どこかで「もっとできるはず」と違和感を覚える、
つまり”鈍い慢性的な痛み”を感じている。
このような違いがあるのではないでしょうか。
別にどちらがよい、というわけではなく
また、あくまでも私の一個人の見解です。
人生は”快”ばかりではなく、
むしろ、痛みを伴う、いばらの道を歩んでいるようだ、
と感じることがしばしばあります。
結局、何かしらの”痛み”を感じるのであれば、
理想を追い、ギャップに打ちひしがれることがあっても、
青臭く「夢、理想、目標」と言い続けて、歩んでいきたい、
そして敢えて”急性の痛み”を感じ、
それをバネにして、より前へ進む力にしたい、
そして、10年後、20年後、・・・50年後
振り返ってみて、ガンバ手歩いてきてよかったなあ、
としみじみ感じたい、そんな風に思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。