今週の一冊『〈叱る依存〉がとまらない』
(本日のお話 3654字/読了時間4分)
■おはようございます。紀藤です。
これから飛騨高山ウルトラマラソンのスタート。
どんなコースなのか、とても楽しみです。
ただし、気がかりは終日雨であること(汗)
まずは完走を目指して、頑張ってきたいと思います!
*
さて、本日のお話です。
毎週日曜日は、お勧めの一冊をご紹介する
「今週の一冊」のコーナー。
今週の一冊は、
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『〈叱る依存〉がとまらない』
村中直人 (著)
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です。
■<叱る>について、
ちょっとした私(紀藤)のお話を
させていただければと思います。
私は基本的に、
嫌われたくない人間であり
厳しいことが言えない人間であります。。。
そんな私が、20代の頃、
飲食店の責任者として
また営業のリーダーで
メンバーを持っていた時に、
望ましくない行動(遅刻やミス)を
繰り返すメンバーがいました。
■すると、周りのメンバーが
それを見て私にこう言いました。
「紀藤さんは優しすぎるんですよ。
一度、キツく言ってくださいよ!」
そう、言われたことがありました。
内心、
「そうなのかな。
言いづらいから、言いたくはないけど、
言うべきなのだろう」
という見えない圧力なようなをきっかけに
そのメンバーに対して
意識的に声を荒らげて
「やる気あんの?!
チームの士気が下がる!!
二度とするなよ」
みたいに
言ったことがありました。
記憶にあるのは、
その他1~2回ですが、
そのような<叱る>なのか怒るなのか
ネガティブな言葉をぶつけたメンバーは、
それがきっかけなのか
他のことが理由なのかはわかりませんが、
しばらくして辞めてしまった、、、
という経験があります。
(お恥ずかしや、、、)
■すべて自分の未熟さと
無知さがゆえですが
実は振り返って
おそろしいと感じたのが、
そのような<叱る>の行為後、
居心地の悪さと同時に
”ちょっとした
気持ちよさを覚えた”
ように感じたことです。
全身を包むような
恍惚感のようなものではないのですが
(だとしたら本当に怖い)
いずれにせよ、
「はい、わかりました。
気をつけます・・・」
という
相手からの言葉によって
影響力を与えられた感が、
なんとなく気持ちよくなったのかも、、、
と感じるのでした。
■、、、さて、前置きが
長くなってしまいましたが、
今週ご紹介の一冊はそんな、
『<叱る>のメカニズム』
について、
脳科学的的な視点や
社会学的な視点から分析した書です。
■<叱る>というのは、
教育的な視点から、
時に必要とされる手段として、
認識されているようにも思います。
優しくしてばかりだと
”躾がなっていない”
と周りから思われそう、、、、
という無言のプレッシャー。
そして、
「相手のためにやってる」、
「愛のムチとして言う方もツラい」、
「怒ると叱るは違う」
と<叱る>行為を肯定する言葉も
世にたくさん溢れています。
■しかし、思うわけです。
<叱る>とは
本当に相手の望ましくない行動を
変化させる影響力があるのか?
、、、と。
そんな叱られる相手目線でみると、
実は<叱る>をしたところで
”相手(子供・部下・生徒)の
望ましくない行為を抑制する力は
期待することはできない”
ことがわかっているとのこと。
■これも、実は経験的に
叱っている側もなんとなく分かっている。。
なのになぜ、
繰り返し<叱る>を選択するのか?
なぜ<叱る>が
”素朴理論(経験を通じて自然に獲得する知識体系)”として、
有効と感じられてしまうのか?
ここに大いなる謎と、
誤解が存在するとしています。
■著書によると、
<叱る>行為を行うと、
対象者(叱った相手)は
強烈なネガティブな感情が生まれ、
本能的にその痛みから避けるために
「たたかうor逃げる」モードになると言います。
そのため、
”その苦痛から逃れるため詫びる
反省をする”
のです。
基本的に、叱る・叱られる関係は、
親と子供
先生と教師
上司と部下という
権力的な格差が前提にあるため、
対象者「逃げる」を選択することになります。
結果、行為として現れたのが
「はい、、、
以後気をつけます。」
という発言。
ただしこれは、
遅刻とかミスを気をつけよう、という
行為に対する反省ではなく、
”この叱られている状況から
早く逃げ出したい”
というその一心から
生まれた言葉でしかないわけです。
ゆえに<叱る>では
根本的に変わることはない、
とするのです。
■一方、
叱っている方は
反省を口にする相手を見て、
「よしよし、反省したようだ」
と『自己効力感』を覚えます。
自分が相手に
影響を与えている気持ちよさを感じ、
脳内からドバドバと
ドーパミン(快楽物質)が出ます。
しかし、繰り返しになりますが
叱られている相手からすれば
その行為に対する反省”ではなく”
叱られているという行為による
ネガティブな感情から逃げたくて
反省を口にしているだけなので、
結局、また望ましくない行為を繰り返す、
となります。
そして、またそれを見て
叱る側が叱り、ドーパミン放出。
そして、叱られる側は
避けるために反省を口にする、
(、、、以後繰り返し)
という負のスパイラルが続く、、、。
■更に恐ろしいことに、
人は「慣れる(馴化)」生き物です。
すると、同じように叱っても
影響力が弱くなってくるので、
・更に激しく叱る
・更に厳しく叱る
ことになります。
すると、その相手には、
これからもずっと消えない痛みが
残り続ける、、、となります。
脳科学的にも、
言葉による痛みは、
身体の痛みと同じ脳内反応が出る、
しかも身体の痛みと違い、
それは記憶から消えないため、
非常に危ういものである、、、
加えて、エスカレートした場合
痛みを与えた側(加害者)と
与えられた側(被害者)
の奇妙な信頼関係が出来上がり
「あの時の厳しい指導があったから
今の自分がある」
という本当は傷つけられているけれども
加害者を養護するような関係になる影響も
見て取ることができる、、、
と著者は述べています。
そして、
こうした<叱る>に対する理解の不足は
行き過ぎたスポーツの指導や、
学校の教育、子育てなどに影響し、
それは犯罪や幸福度の低下など
ネガティブな結果に結びついると言います。
■アックでは、どうすれば
それを避けることができるのか?
そのための一つの手段が、
まさにこの著書で書かれている
”<叱る>に対する
科学的な正しい認識”
を持とうとすることなのでしょう。
■被害者が加害者になり、
そのように世代間の連鎖にも繋がるのが
このようなネガティブな感情の記憶です。
先人たちが研究してわかった
科学的な知識を持って
素朴理論を知性で書き換えること。
そうすることで
きっと無意識で傷つけたり
ネガティブな気持ちになることが
減っていくと思いますし、
そうなることを願いたくなる
そんな一冊だと感じさせられます。
■以下、本書の紹介です。
(ここから)
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【精神科医・松本俊彦氏 推薦! 】
(『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』著者)
「殴ってもわからない奴はもっと強く殴ればよい?――まさか。
それは叱る側が抱える心の病、〈叱る依存〉だ。
なぜ厳罰政策が再犯率を高めるのか、なぜ『ダメ。ゼッタイ。』がダメなのか、
本書を読めばその理由がよくわかる」
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叱らずにいられないのにはわけがある。
「叱る」には依存性があり、エスカレートしていく――その理由は、脳の「報酬系回路」にあった!
児童虐待、体罰、DV、パワハラ、理不尽な校則、加熱するバッシング報道……。
人は「叱りたい」欲求とどう向き合えばいいのか?
●きつく叱られた経験がないと打たれ弱くなる
●理不尽を我慢することで忍耐強くなる
●苦しまないと、人は成長しない……そう思っている人は要注意。
「叱る」には効果がないってホント?
子ども、生徒、部下など、誰かを育てる立場にいる人は必読!
つい叱っては反省し、でもまた叱ってしまうと悩む、あなたへの処方箋。
【目次】
◯はじめに
◯Part 1 「叱る」とはなにか
1 なぜ人は「叱る」のか?
2 「叱る」の科学――内側のメカニズムに目を向ける
◯Part 2 「叱る」に依存する
3 叱らずにいられなくなる人たち
4 「叱らずにいられない」は依存症に似ている
5 虐待・DV・ハラスメントとのあいだにある低くて薄い壁
◯Part 3 〈叱る依存〉は社会の病
6 なぜ厳罰主義は根強く支持されるのか?
7 「理不尽に耐える」は美徳なのか?
8 過ちからの立ち直りが許されないのはなぜか?
◯Part 4 〈叱る依存〉におちいらないために
9 「叱る」を手放す
◯あとがき/〈叱る依存〉をより深く考えるためのブックリスト/注
※Amazon本の紹介より引用
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(ここまで)
教える立場にある
あらゆる人にお勧めしたい一冊です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<今週の一冊>
『〈叱る依存〉がとまらない』
村中直人 (著)
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