120kmからが本当のスタート(そして絶望の始まり) ~263kmマラソン体験記(2)~
(本日のお話 4156字/読了時間5分)
■こんにちは。紀藤です。
さて、7/15(土)17:00に
弘前公園東門をスタートした
「みちのく津軽ジャーニーラン」。
本日も超ウルトラマラソンの旅路の、
続きをお話させていただければと思います。
それでは早速まいりましょう!
タイトルは
【120kmからが本当のスタート(そして絶望の始まり) ~263kmマラソン体験記(2)~】
それでは、どうぞ。
■初日の17:00。
雨の中、140名の面々が
比較的にこやかな面持ちで
一斉にスタートしました。
実際の顔ぶれを見ると、
圧倒的に50代のおじさま、おばさまが
多数の参加者でした。
見た感じ、鍛えまくっているという感じでもなく
どこにでもいそうな普通の人です。
(よく考えると
263kmエントリーをしている時点で
だいぶ変わった集団なのですが・・・汗)
皆元気なので、
「楽しみましょうねー」
などと言っています。
後半はそんな気持ちになれないことは
誰もがわかっていても、
そう言いたくなるのが人の常です。
■さて、スタートから
ゴールまでの263kmの道のりは、
「地図」
を渡されており、
そこにルートが載っています。
約30ページ。
内容は中学校の地理の時間で
資料としてみていたあの地図です、
(桑畑とか、色々ある記号がやつですね)
それを見ながら、
道を間違えないように
ひたすら、進む、進む、進むのみ。
この時期の
日の入は19:00、
日の出は4:38とのことで、
この間は、暗闇です。
街頭がある場所もありますが、
山の中に入ると何も見えません。
ゆえに、ヘッドランプと
後方に赤色の点滅灯をつけるのが
必須となります。
■スタートしてから
約20km、嶽温泉と呼ばれる
山の中にある温泉が最初の休憩所。
その頃には、
辺り一面、暗闇です。
2時間強経っていますが、
前後の距離も開きつつある中で、
孤独感が募ってきます。
仲間の中から
「いつまで一緒にいくつもり?」
(100kmのレースタイムは、私が一番早かったため
どうせさっさと行くんでしょ、的な意味を含む)
と言われました。
しかし、
蓋を開けて暗闇に包まれると、
実に心細い。。。
これは日中のレースでは体験しない
精神的な負荷でした。
■まだ始まって
3~4時間しか経ってません。
距離も20kmで、
10分の1も進んでいない中
これから240kmも走るのか・・・
と憂鬱な気持ちに一瞬襲われます。
そんな風に足を動かしていると、
30kmほどで、複数のライトが
固まって走っているのが見えました。
ペースを速めて追いつくと、
4人のうち3人の仲間(提督、ヒロポン、エンディ)が
集団でした。
「やっと追いついた!」
そうして、そこに合流をすると、
なんとも安心した気持ちになりました。
■結局走るのは一人でも、
「誰かと一緒にいる」
ということが
気持ちの上での負荷を
和らげてくれるんだな、、、
そう痛感し、感謝の思いが芽生えます。
■旅は道連れ。
郷に入れば郷に従う、ではないですが、
皆と走っていると
”あるルール”
があることに気づきます。
ふと、ランナー4名の船団長の提督が
「ブレイク!」と言いました。
すると、皆が一斉に歩きます。
そして暫く歩くと、
ふとスッと手を挙げました。
すると、皆が一斉に走り出しました。
これは通称「電柱ゲーム」というもの。
400m走って、100m歩く、
これをひたすら繰り返すことで
距離を稼ぐというゲームです。
”ひたすら走り続ける”
という行為がキツいのが
ジャーニーラン。
「あと◯◯m走れば、歩いてよい」という
小さなゴールを決めると
走り続ける気持ちを維持されます。
「それを仲間と一緒に、
皆で行うこと」
により、
余力がある人は皆をひっぱり、
きつい人は、背中を押してもらう、
と補い合って進むという
戦術の一つです。
■そして、
「ブレイク」→「走る」の
繰り返しをひたすら続けて、深夜23時。
チェックポイントの
「日本海拠点館(46km地点)」
へ到達します。
なにかの本で
「48km以上の長距離ランニングは
体にとって悪影響しかない」
と読んだ記憶がありますが、
まさにそんな感じ。
正直、もうすでに足が痛くなっています。
運動用のスマートウォッチ(Garmin)でも、
50kmで「スタミナ0」になっています。
皆も口々に
「足が痛い」
「太ももが重い」
と語り始めます。
でも、宙に浮いた言葉を
回収するのは、
「50km走れば、
誰でもそうなるよね。
頑張ろう。」
と痛みに対する諦めと受容、
そして覚悟を伴った言葉しかなく、
この大会に参加した宿命を
受け入れるようにつぶやくのでした。
■続く闇の中での
ランニングは精神的に堪えます。
夜23時から、翌朝4時まで
暗闇の中を走り続けなければならない。
この時間に対して
まだまだ続く旅路に向けて
できるだけ精神も肉体も
「省エネ」で進む必要があります。
黙って無にして走れたら
それは素晴らしいこと。
でもつい痛みや辛さに
目が向いてしまうのが人です。
その中でお互いに、
「夜のピクニック」のように
身の上話をお互いにしたり、
ここでは語れないような
赤裸々な話を語りつつ走ると、
意外と時間があっという間に過ぎていくのでした。
だいぶ長い距離を
走っていたように思いますが、
土偶で有名な亀ヶ岡遺跡を過ぎ、
そして、湿度が高い中で
粛々と歩みを進めていきます。
■ふと気づくと朝4:00。
だんだんと空が白んできました。
外は降ったり止んだりを繰り返しつつ
やはり「雨」は完全に止むことはありません
雨なのに、湿度が92%。
体が熱を持つ感じがして、
ジメジメしてすっきりしない感じが続きます。
その中で、
「次の目標は、10km先のローソンまで頑張ろう」
「十三湖が見えてきたら元気が出るよ」
と、皆で小さなゴールを
打ち立てて進みます。
■そして、2日目の朝8:00頃。
大レストポイント(休憩所)である
「鰊(にしん)御殿(97km)」
に到着しました。
ここは畳があって、
横になることできるエリアです。
ドロップバック(荷物を預けることができる)ため、
雨で濡れて、またたった半日で
汗臭く成り果てたTシャツを着替え、
またぐしょぐしょに濡れた
靴下も履き替えます。
筋膜ローラーで体をほぐして、
スマフォやランニングウォッチの充電をします。
そして、残った予定の時間で
約20分の仮眠をします。
その間に、遅れていた1人、
マッキーも合流して、5人が揃いました。
■「そろそろ行きますよ。」
仲間の一人が声をかけてくれて
そろそろと起き上がり、
ゆるゆると走り始めます。
少し横になると、
体が固まっています。
しかし、たった20分、
足を休めるだけでも
回復が全く違うのです。
ここで少し元気を取り戻し、
次の「龍飛崎(120km)」を目指して
歩みを進めよう!
と皆で励まし合いました。
■しかし走り始めてからしばらくすると、
これまで頼りにしていた
大船団を率いていた仲間であり、
リーダーでもある「提督」の様子が
おかしくなっていました。
声にも力がなくなっており、
表情も固くなっていました。
「しんどい・・・」
とつぶやき、
息が荒くなっています。
電柱ゲームの
声掛けをしてくれていた声も
弱くなっているように見えました。
結果的に、
提督は後から追いつく、
ということで、
残りのメンバーで
「道の駅こだいら」という
休憩できる場所につきました。
■トイレに行き、
戻るとメンバーの一人が
「、、、提督、ここで
リタイヤするそうです」
とのこと。
どうやら腎臓系がやられてしまったようで
尿の色がおかしくなっている様子。
そこからのダメージの回復は
この後は難しそうだろう、、、
ということで
悔しそうな表情で
「ヤス、すまん」
とここで提督とは
別れを告げることとなりました。
残念ですが、こういう瞬間に
「チームとして旅をしていても
結局は自分に責任がある」
ということを痛感させられたのでした。
■正直、
電柱ゲームをはじめ、
この大会の戦略を描き、
ここまで引っ張ってきてくれた
提督がいなくなるのは、
とても寂しいことでした。
そして、その分、
ぽっかりと空席が空いたような
感覚になりました。
5人のメンバーが100kmを経て、
4人になりました。
■、、、とはいえ、
ずっと立ち止まってもいられません。
263kmのレースでは
それぞれの場所と休憩地点で
・1kmあたり8:00のペースで走る
・10分/20分休む
・1時間寝る
とそれぞれの必要なスピードと
取得して良い休憩時間が
緻密に割り振られています。
その関門をクリアし続けることで
ゴールを確実なものにするという
計画が練られているからです。
■ゆえに休憩もそこそこに
次のチェックポイントであり
前半戦の山場でもある
「眺瞰台(114km)」
を目指します。
津軽半島を北上し、
山道にある展望台のような場所。
そこに至るためには
斜度が11%以上という激坂が
7kmほど続きます。
かつてない、えげつない坂です。
天候のため、霧がすごく、
前も後ろも見えません。
そして標高が高くなると
雲域も怪しくなってきます。
あんなに暑かったのに、
今度は猛烈に寒くなってきました。
濡れた体が、体が冷えてきます。
■「蒸すから、もういらんわ」
と、途中まで使っていたウインドブレーカーを
鰊御殿に置いてきてしまったのが仇になりました。
ここに来て
ノースリーブ1枚が
あまりにも寒すぎる・・・。
このまま2時間いたら、
体力を奪われ、おそらく走れなくなってしまう。
仲間が心配して
「何かカッパとかないかな・・・」と
震える私に対して救いの方法を探してくれますが、
自分のものは自分で用意するのが普通。
予備があるはずもありません。
ゆえに仕方なく、
尻周辺が擦れた時の対処として
携行していた「ボラギノール(軟膏)」を
ワセリン代わりに全身に塗ります。
なんとなく、
保温性が上がった気がしました。
(ベタベタしましたが・・・)
■ボラギノールを
全身に塗りたくりながら、
「さっさとおりよう。
凍えて死んでしまう!」
と皆に宣言し、眺瞰台を突破。
そして、
津軽半島の最北端である
「龍飛崎(たっぴさき)(122km)
へとようやく到着します。
■時間は2日目の昼14時。
開始から、約21時間経過。
ここで、約1時間の仮眠を
取ることにしました。
そして、去年完走した
仲間の一人、エンディが言います。
「これで、前半戦が終了ですね。
ようやく”中盤戦”に入りますね」
と”前半と後半”じゃなかったのかい!
と思いつつも、
まさに中盤戦がこれから
始まろうとしていました。
120kmも走れば体力はほぼゼロ。
枯渇状態です。
しかし経験者は皆、言います。
「ようやく、
ここからが始まりですよ」
その言葉の裏には、
”「本当の辛さ」はここから”
という意味が含まれていました。
絶望的なほどのキツさが
まるで暗示されているようでした。
(つづく)
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
=========================
<本日の名言>
もう、これしかない。一つの業です。
(漫画を描き続ける理由について)
手塚治虫
==========================