今週の一冊『津軽』
(本日のお話 3539字/読了時間5分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、家族で「トミカ博」へ。
東京ビックサイトで行われている
イベント(コミケ)も重なり、電車が大変な人でした。
暑かったですが、楽しい時間でした。
*
さて、本日のお話です。
毎週日曜日は、お勧めの一冊をご紹介する
「今週の一冊」のコーナー。
今週の一冊は
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『津軽』
太宰治(著)
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です。
■太宰治といえば、
『走れメロス』
『人間失格』
などで有名な小説家です。
(たしか、小学校か中学校で
教科書で読んだような、読んでないような。。)
さて、
この作品『津軽』は、
昭和19年(1944年)、
第二次世界大戦末期に出版された書籍です。
太宰治の故郷である津軽にて
三週間の旅路を描いた紀行文、
とされています。
内容は、
私(津島修治=太宰治)が
津軽の各地を旅しながら
歴史的な場所やその細かな解説なども紹介しつつ。
それぞれの場所にて
太宰治が親交のあった旧友と出会い、
酒を飲み交わしながらの日常や
その際に太宰が感じたことが
日記のような形で書かれています。
そして、クライマックスでは
2~8歳までの育ての親であった
彼にとっての重要人物「越野タケ」を探し出し、
彼女と20数年ぶりの再開に収束していきます。
■太宰治を形作った
様々な人との邂逅が、
ユーモア溢れる文体で
表現されていきます。
ちなみに、太宰治の人生は
・忙しい父と病弱の母の元、
生まれてすぐ乳母に育てられる
・小さいころから成績は優秀で、
青森で学生時代を過ごし、大学は東京帝国大学に進学
・しかしながら青年期からは精神状態が不安定であり
自殺未遂を繰り返すこと5回
・4名の愛人との心中をそれぞれ図る
(最初は愛人のみが亡くなる)
・39歳没
とのこと。
余談ですが、愛人との心中の話は
それだけでなかなか興味深いです。
彼の名言は
「死んだ気になって、
恋をしてみないか」
とのこと。
(絶対、自分じゃ言えない・・・)
■その人生の軌跡からも伺えるように、
太宰治の作品は
『人間失格』『斜陽』など
苦しみと自己内省の連続であったことが
伺えるような内容が多いです。
その中で、
この作品『津軽』は、
作品自体の評価として、
・太宰の作品としてはユーモアで感動的な作品
・著者最高傑作とも呼ばれる一冊
とも書かれており、珍しい一冊のようです。
確かに読んでみて、
クライマックスの「越野タケ」との出会い、
そこに向かうまでの
太宰の人間臭さを感じ読み進めると、
彼を作った大切な人との出会いと
月日が経ってもお互いにとって
色褪せない人間の愛情の深さを感じ、
1944年の作品ではありますが、
彼の人生を身近に感じ、
また感情を動かされました。
■この作品の詳細は
たくさんの解説がされていますし、
また著作権も終了しているので
無料で読めます。
ゆえに、詳しくは
そちらを参照頂きたいと思います。
■ただ、個人的に
ぜひ強調しておきたいことがあります。
それが、私が1ヶ月前に走破した、
『みちのく津軽ジャーニーラン(263km)』
https://www.asahi.com/articles/ASR7J7DC7R7GULUC00N.html
の旅路が、まさに
小説『津軽』そのものだったのです!
もう、感動です、、、。
この小説を読みながら
興奮しつつ、GoogleMAPに
チェックを入れまくっておりました。
、、、とすみません、
たぶん共感してもらえないのですが
せっかくなので勢いで書いてみます。
■私(紀藤)が1ヶ月前、
その263kmの旅路が地図に示された
白黒のコースマップを手にしたときは
「めちゃなげえ・・・」くらいにしか感じませんでした。
コンセプトとして、
「津軽の各所をめぐりながら
この場所の素晴らしさを堪能する」
とされていましたし、
開会の挨拶の際に、
大会の主催者(津軽出身)である
NPO法人スポーツエイドジャパンの舘野代表が
「我が故郷、津軽を
心ゆくまで味わってほしい!」
と熱く語ってくれていたのは
記憶にありました。
■、、、しかし、
何を持って、そのコースルートを選んだのかは
知りませんでしたし、
その背景も、あまり解説はされていませんでした。
たぶん、参加者も
これから訪れる260kmを走る辛さと、
その痛みを緩和する準備ばかり考えていて
興味もなかった人も、少なくなかったのでは、、、
とも思います。
(仲間5人のうち、太宰治の話は
3日のうち一度もでなかった笑)
■しかし、
この『みちのく津軽ジャーニーラン』は
実に練られているコースであると知ります。
それがこの
『津軽』(太宰治)
の作品で明らかにされていました。
何気なく読み始めてみると、
そこに描かれていた太宰治の3週間の彼の旅こそが
”みちのく津軽ジャーニーランそのもの”
であったことに気づき、震えたのでした。
太宰が歩んだ道のりである
海岸線の「外ヶ浜」。
日本海が荒々しく佇む「竜飛」。
旧友との蟹をつまみに酒を飲んだ「蟹田」。
義経の歴史が語られた「三厩(みんまや)」。
太宰の生家である「金木町」。
そして、越野タケと再開を果たした「小泊」。
、、、それは、全部
私が走った道のりでもありました。
思えば、
波の音が子守唄に聞こえた「外ヶ浜」(130km)
2日目の朝、なんとかたどり着いた「竜飛」(120km)
股擦れで死にそうになっていた「蟹田」(170km)
おにぎりが美味しかった「三厩(160km)
あと少し!と気持ちを新たにした「金木町」(210km)
太宰治の銅像が印象的だった「小泊」(100km)
です。
急に稚拙になり、かつ
苦痛の記憶に上塗りされてしまっていますが、
80年の隔たりがあっても、
その小説の場所が太宰の大事な場所とリンクして
自分の物語と重なった気がしたのでした。
■越野タケと再開を果たした
「小説『津軽の像』」
という場所。
私が100km地点で出会った
太宰治と正座した女性が
銅像としてあったことを思い出します。
当時は何かよくわからず、
観光地的な空気を感じてとりあえず写真をとったら、
そそくさとその場を後に走り始めました。
しかし、後に、
小説の大切なワンシーンとして
描かれていることに後で気づきます。
太宰が8歳から、当時35歳まで
全く会っていなかったそのとき。
その心の内では、
太宰もタケもそれぞれがお互いのことを
思っていたのでした
その彼らが再開をしたときの場面、
そのとき世界大戦末期で、
日本全体が殺伐としている中でも、
その北端の集落で開催されていた
にぎやかな運動会を見ながら、
タケは太宰とともに運動会を見るのです。
その時の様子を、このように描いています。
以下引用です。
(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
”(たけは)
「ここさお座りなせえ。」とたけのそばに座らせ、
たけはそれきり何も言わず、
きちんと正座して
そのもんぺの丸い膝にちゃんと両手を置き、
子どもたちの走るのを熱心に見ている。
けれども、私には何の不満もない。
まるで、もう、安心してしまっている。
足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、
胸中に一つも思うことがなかった。
もう、何がどうなってもいいんだ、
というような全く無頼無風の情態である。
平和とは、こんな気持の事を言うのだろうか。
もし、そうなら、私はこのとき、
生まれて始めて心の平和を体験したと言っても良い。
※引用:太宰治(1944),『津軽』174頁
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)
■彼自身の、
自分でも理解している
苦しみや自己内省の内側で感じた
唯一の平和が描かれているようで、
グッと来るシーンでした。
■そして本の内容とは
直接関係ないのですが、
私(紀藤)にとって
この小説との出会いは、
「自分の興味の幅が広がった出来事」と
感じさせらたのでした。
もしかすると人は、
自分に関わること”に作品が紐づいたとき
それを温度があるものとして捉えられるのかもしれない
とも思います。
教科書で、以前読んだか、
読んでいなかった太宰治。
またその彼を取り巻く人生や、
そこから生み出された作品を、
改めて読んでみたい、、、
と思わされました。
そして、来年も、改めてこうした
場所にまつわる意味を感じつつ、
”みちのく津軽ジャーニーラン”
を楽しんでみたいな、などと
と思ってしまいました。
(二度と走ることはないだろう、と
思ったはずなのに笑)
■とのことで以下、
書籍の紹介です。
(ここから)
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「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する
昭和初期の小説家、太宰治による長編小説。
初出は「津軽」[小山書店、1944(昭和19)年]。
生まれてから20年も津軽で暮らしながら
津軽の中心部しか知らなかった文筆家の津島修治が、
自分の見知らぬ津軽周辺を見ておこうと、故郷である津軽を旅する話。
元々は「風土記」として書かれたものだが、
宇野浩二が「小説」と呼んで褒めたことで現在でも読み継がれている。
※Amazon本の紹介より
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(ここまで)
特に、青森にご縁がある方には
ぜひおすすめしたい小説です。
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<今週の一冊>
『津軽』
太宰治(著)
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