ルールは段階的に
(今日のお話 1708文字/読了時間1分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日お昼から、妻の実家へ、
少し遅い年始の挨拶に来ました。
ゆっくりしながら、
最近のマイブームである
山崎豊子の著書の読書をしていました。
『運命の人』を読みながら、
国家権力の恐ろしさを噛みしめながら考えていると、
甥(3歳・男の子)がやってきて、
読書どころではなくなってしまいました(汗)
読書の代わりに、甥のマイブームである
「機関車トーマス遊び」に付き合わされ、
先ほど、ようやく解放されました。
*
ちなみに彼の”機関車トーマス遊び”には、
甥っこの中で色々とルールがあるらしいのです。
例えば、
・トーマスは手で動かさなければいけない
(電動なのに・・・)
・それなりのスピードで動かさなければならない
(ゆっくりすぎると怒る)
・立って遊ばなければいけない
(座って動かすと、やる気がない(?)とみなされる)
などなど、
細かく規定されたルールを順守しなければ
「ダメ!」と絶叫をされるという、
なかなか要求の高い遊びに付き合わされました(笑)
*
そんな遊びを甥としながら、
「ルールとは両刃の刃であるな」
と考えるところがありましたので、
本日は”ルール”について、
思うところを共有させて頂きたいと思います。
それでは、どうぞ。
■「ルール」があることで、
得られることはたくさんあります。
個人であれ、組織であれ、
ルールがあることで、規律を生み出せたり、
無駄を省けたり、行動をしやすくなったり。
私自身、メールマガジンを始める時、
「平日の毎朝、必ずメルマガを配信する」
という”ルール”を決めて宣言をすることで、
実行がしやすくなったと思いますし、
身近なものだと、
「家に帰った直後、5分間片づけをする」
とルールを決めたことで、
家がそこそこ綺麗な状態を保てるようになったり。
だからこそ、
”自分の中でルールを設けること”
というものは、
良い結果を生み出すために、
効果的なツールとなり得る、
そんな風に思うわけです。
■しかし、同時に、
気を付けるべきこともあると思うのです。
それは、ルールで縛りすぎて、
苦痛になってしまっては元も子もない、
ということ。
(別に甥のトーマス遊びの話は良いのですが…笑)
例えば、
「ルールが大事」として、
やたら細かいルールを規定しまくったとしたらどうか。
自己向上意欲が強い人が、
自分を高めるルールで、ガチガチに自分を縛ったとします。
「朝起きたらまず、すぐ着替える。
起きた直後5分には勉強を始め、
必ず最低30分間はする。
家から出たら、歩いている最中
移動時間は全て英語のリスリングに当てる。
勉強方法は前回の復習と、今日の内容、
そして次の内容の予習をするようにする。
無駄がないように出来るだけ重複は避けるようにする。
お昼休みも、昼食を食べながら、全部勉強。」
みたいなイメージでしょうか。
こういうのが好きな方もいらっしゃるでしょうが、
多くの場合、窮屈に感じたり、
決めたのだから守らねば、とプレッシャーを感じたり、
良い結果を生み出すためのツールであるべく”ルール”が
足を引っ張るものになってしまう
そのように感じるのです。
■最終的には、
凄まじくレベルの高いルールで自分を律することで、
得られることも多いと思います。
でも、”自分の行動を助けるツール”
としてルールを考えるのであれば、
最初は、
【ルールは段階的に設ける】
というくらいが丁度よいのではないでしょうか。
例えば、挨拶が苦手な人が、
”元気に気持ちよく、皆の目を見て挨拶をする”
を、目標にし、ルールにしようと思った場合。
最初から全部完璧に満点を目指そうとするのではなく、
まずは、小さい声でもいいから、
「おはようございます」と声を発するところから始める。
それが普通にできるようになったら、
”目を見て挨拶”ができるようにする。
目を見て、おはようございます、が出来るようになったら、
今度はちょっと元気よく言ってみるようにする。
こんな風に
「段階的にルールを高めていく」
ことで達成もしやすくなるものです。
■最初からハードルを高くしすぎると、
大体の場合、途中で挫折してしまいます。
で、あるならば、
最初から100点を目指さずに、
欲張らず少しずつ
”段階的にルールを設ける”
ことをモットーに、
ゆとりとあそびを持って、
行くくらいがちょうどの良い。
少しずつ、ちょっとずつ。
しかし、確実に。
そんなスタンスで、
自分を高みに連れて行ってくれる、
”マイルール”を確立していきたいものですね。