主体的に、ケツを蹴られにいく効能
(今日のお話 1756文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに夜は、
新しく同じ部署に入られた仲間の
ミニ歓迎会でした。
*
さて、本日のお話です。
これは私が”営業”という
立場上かも知れませんが、
「締め切りを持つこと」
の大切さを、最近改めて感じます。
今日はネガティブに捉えられがちな
「締め切り」について、
思うところを共有させて頂きたいと思います。
それでは、どうぞ。
■「締め切り」と聞いて、
「やったー、嬉しい!」
という人は、
恐らくあまりいないと思います。
締め切りという言葉から
連想されるものとしては、
・追われている感じ。
・ストレスが大きい。
・迫ってきて苦しい。夜も眠れない。
そんな、否定的な印象が
自然と浮かぶようにも思います。
基本的に「締め切り」なるものは、
「いつまでに、〇〇を完了させねばならい」
という内容であるはずなので、
当然ながらプレッシャーがかかるものです。
*
しかし、この
「いつまでに、〇〇を完了させねばならい」
という感情は、
使い方によっては、
”今まで取り組めなかったことに、
取り組み、結果を実感するまでの、
一時的な劇薬として効果的なのではなかろうか”、
そんなことを感じるのです。
いつも話題に出させて頂く、
「7つの習慣」では、物事を始め、続け、
そして結果を出すことの難しさについて、
こんな例えをしています。
「何かを習慣にするためには、
多大なエネルギーを必要とする。
それはまるでロケットが大気圏を突破するかのごとく、
膨大なエネルギーが必要になる。
アポロ11号は、地球を飛び出すための数キロに、
月を周り戻ってくるのに必要とした、
約70万キロの飛行に使ったエネルギーを遥かに上回っていた。”
すなわち、新しいことを
”習慣にする”というのは、
それくらい難しいことである。」
というようなお話。
(一部抜粋『完訳 7つの習慣より』)
■誰もが、何かについて
「より良くしたい」
と思っていることがあるのではないかと思います。
でも、一番大変なのは、
物事を始めて、
軌道に乗ってくるまでの間。
筋トレであれば、体重が落ちて、
それが面白くなってくるまでの間や、
営業であれば、圧倒的な行動を担保し、
結果が出るまでの隙間の期間。
または、人間関係において、
誰かとの信頼関係を築こうと努力し、
距離が縮まり関係がよくなるまでの期間。
何かを始め、努力しているつもりなのに、
なかなか結果が出ない・・・
この状態は、結構辛いものです。
そしてそんな状態を、
自分一人の意志だけで
軌道に乗せるまでやり通すことは、
相応に難しいことである、
そのように思うのです。
■そして、「変えたい。でも変えられない。」
そんな時にどんなことが役に立つのか。
そのヒントの一つが、
冒頭にお伝えした、
『締め切りの効能』
ではないか、と思うのです。
追われたり、〇〇をせよ、と迫られたりするのは
誰だってイヤです。
でも、そうやって
”ケツを蹴ってくれる環境”
があるからこそ、
行動できるという状態も、
あると思うのです。
もちろん、
ずっとケツを蹴られていたら、
痣だらけになってしまうし、
そんな受身の状態で、
一生走り続けることは現実的ではありません。
あくまでも、
最初のスタートダッシュだけ。
引力を引きちぎり、大気圏を突破するまで、
一時的なサポートエンジンのごとく、
誰かが後ろで、
「いつまでにやると、決めたじゃないか!」
「自分で決めたことをできなくてどうする!」
「がんばれ!あと少しじゃないか!」
と、「締め切り」を声高に叫び、鼓舞し、
ケツを蹴ってくれることが、
一つの弾みにできるとしたら。
「締め切り」すらも、
自らをよくするための、
一つのツールとして使えるものではないか、
そのように思うのです。
■一般的には、
「意志」
というのは、思ったより強くありません。
だからこそ、「ライ〇っプ」など
相応に流行るのでしょうし、
人はどこかで
「自分だけではなかなか変えられない」
ということに、
気付いているようにも思います。
であるならば、
”締め切りを設け宣言すること”などで、
【結果を出すリズムができるまで、
主体的に”ケツを蹴られにいく”】
ことも、結果を出すまでの一時的な劇薬として、
使えるのではないか、
そのように思うのです。
営業という職場柄、
”「締め切り」(=いつまでに目標必達成)”
というものを全身で感じながら、
そんなことを思った師走でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。