263kmマラソン体験記(1)~「二度と出るものか」と思ったはずなのに ~
(本日のお話 4511字/読了時間6分)
■こんにちは。紀藤です。
大晦日ですね!
皆様、今年はどんな1年だったのでしょうか。
今年を振り返りつつ、
紅白歌合戦を見たり、コタツでミカンを食べたり
みなさま、それぞれの年末をお過ごしかと思います。
今年もメルマガにお付き合い頂きました皆様、
本当二ありがとうございました!
*
さて、本日のお話です。
年末年始は、強み論文は少しおやすみにして、
2023年のイベントの一つであった
「263kmマラソン」
についてリメイクとして
書きたいと思っておりました。
今年の振り返りも兼ねて、以下記載させてください。
それではまいりましょう!
タイトルは
【「二度と出るものか」と思ったはずなのに ~263kmマラソン体験記(その1)~】
それでは、どうぞ。
■運動も得意ではなく、8年前、持病の悪化がきっかけでランニングを始めたという自分に、人生の教訓、そして何より生き物としての無限の可能性を教えてくれたイベント。
それが「263kmマラソン」です。
しかし、この話を他者に語る度に思うのが、熱く語っても「よくわからん」で終了します。
なぜなのか。「100kmマラソンに出ました」というとすごいね!と言われるのに、「263kmマラソンに出ました」というと「へえ・・」で終わるのはなぜなのか? 距離が長いのもあるでしょうが、多分何が起こるのか、よくわからないからでは、と思われます。
でも、走っているのは意外と普通の人なのです。
変人かもしれませんが、アスリートでもなく、割と普通の人。
毎日トレーニングに勤しむ人もいるかもしれませんが、そういうわけではない人もいます。なので、
「263kmマラソンがどういうものか?」
「その道中でどのような出来事が起こったのか?」
「その先に見えたものはなにか?」
について、全3回にわけてお届けしたいと思います。
心の片隅にて「へえ」が「なるほど」となることを期待しつつ。
***
■みちのく津軽ジャーニーランとは?
さて、今回のお話の舞台である「みちのく津軽ジャーニーラン」。
2023年7月15~17日、青森県にて行われるランニングイベントです。
制限時間は51時間(合計3日間くらい)。
厳密には「太宰治の故郷の津軽を巡るウォークラリー」的な届け出で、市の許可をとっているそうです。タイムよりも、参加することそのものに意義があるレースとも言えます。
ちなみに、太宰治の紀行文『津軽』に出てくる名所がチェックポイント二数々登場します。読んでから参加すると、その楽しさは倍増しそうです。
(楽しむ余裕があるかは置いておきます)
スタート地点は、青森の弘前市の弘前文化センター。
そこから1日目の夕方からスタートし、津軽半島冬景色で有名な最北端の龍飛崎を目指して約100キロ北上していきます。
2日目は、そこから半島に沿って南下、弘前に戻ってくるコースです。
イメージがつかないと思うので、
平たくいうと「東京駅から名古屋駅まで」とちょうど同じくらいです。まあ、長いですよね・・・。
***
■参加するのは、どんな人?
ジャーニーラン(200キロ以上等)を走る大会は、参加資格が設けられていることが多いです。たとえば今回の場合、”2019年以降に140km以上のレースを完走したことがある人”が参加資格保持者です。
別に誰が出ても良いのでしょうが、参加資格を設ける最大の理由は、「自己責任で帰ってこれないと困る」からだと思われます(予想)。というのも青森の奥地に向けて走ると、バスも電車もないわけです。そこで怪我、故障、体調不良があっても、助けにいくほどの人的余裕はありません。よって、自力でバスでもヒッチハイクでもなんでも、戻ってこなければなりません。
この「自分でなんとかしろ感」がジャーニーぽくていいですね。
ちなみに、今回の参加者は男性141名、女性22名。
50代が多く、スポーツイベントにしては、年齢層は高めかもしれません。ぱっと見、みんな普通のおじさま、おばさま。
私は40歳ですが、若いほうでした。
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■177km(短い部門)に出た感想「二度と出るもんか」
さて、私(紀藤)は、これまで超ウルトラマラソンに相当するレースは4年前の2019年に「みちのく津軽ジャーニーラン」の177キロ(=短い部門)に参加、完走した経験があります。
ゆえに、ギリギリ参加資格があります。
ぶっちゃけ、完走した率直な感想は「二度とやりたくない」でした。
31時間でなんとかゴールしましたが、尋常じゃなくしんどかったからです。
睡眠不足と疲労により、幻覚も見えました。(見ていたはずの車が、視界から一瞬でワープしたり、ガムの後が消えたりしました)
そのあまりの辛さの中、さらに長い263キロ(長い部門)を隣で走る人を見て、「絶対自分には無理」「人間じゃない」と思った記憶があります。
・・・なのに、何を血迷ったのか、申し込んでしまいました。
「今年参加しなければ、参加資格を失う」。
強制力のある”資格剥奪”という四文字の名において、思わず参加申し込みボタンを押してしまい、そしてスタートの地に舞い降りてしまいました。
人間、勢いと雰囲気で選択することもあるようです。
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■提督と4人の仲間たち
そんなレースですから、当然不安です。
一方、ポジティブなニュースもありました。
それは今回私以外に、合計4人の仲間が参加するということ。しかも、4人中3人は完走経験者です。
一人は、私をウルトラマラソンの世界に引き込んだ「提督」こと赤羽氏。彼がいなければ、今の私はいません。
補足すると、提督は体重が85km近くある巨漢。とてもランナーとは思えない体型ですが(失礼)この鬼のようなレースを走り切っています。
その知恵と戦略的な勝ち筋は、ゴツメの諸葛孔明のようです。これは、知恵を借りるしかありません。。。!
その他、お初にお目にかかるアンディ、ヒロポン、マッキーそして私。
それぞれ、敏腕弁護士やイケメン医師、肉が好きすぎてハンバーガー屋さんを立ち上げた陽気なメンなど、日常でもインパクトありそうな個性あふれるナイスガイです。アンディ、ヒロポン、提督が去年、263kmのレースを制覇しています。
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■263kmを走り切る戦略はコレだ!
263kmというと意味不明な距離ですが、実は制限時間と距離を割ると、「1kmあたり11分38で進めば(歩けば)完走できる」となります。
つまり「早歩きで寝ずに進めば完走できる」のです。こう思うと、結構いけそう。
あとは、考えられる様々なリスク、
・「天候条件」(=暑い/寒い、夜の冷え、雨などにやられないように)
・「怪我」(=足首や皮のズレなどで走れなくならないように頑張る)
・「補給」(=胃腸系がやられないよう、食事ができなくならないように)
・「睡魔」への対策(=2.5日で2時間程度の睡眠・休憩をどう取得するか)
をいかにマネジメントしつつ、戦略的にコースを制覇するかがポイントです。基本戦略は「気持ちと気合い」です。参考図書は少年ジャンプ。
ちなみに大会にあたっては、各チェックポイント、そして関門時間(制限時間)が渡されます。また5kmごとの地図をまとめた30ページの冊子を手にして走ります。
また赤羽提督が1kmごとのペース表を「ウルトラプラン」として共有してくれました。これをチラチラ見ながら、1kmずつ駆逐(?)していけばゴールにつく!というのが、大筋の戦略です。
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<1日目(スタート~46km地点)>
■「記録的な豪雨」の予想
レーススタートは、7月15日の17時です。
大会直前の15~16時に大会説明会がありました。
ですがこの後に訪れるであろう、「無睡眠の50時間の旅路」のために、ちょっとでも寝ようと思いました。大会説明会が終わった直後にホテルに戻り、30分だけ寝ました。
そしてバタバタと起き上がってスタート地点に向かいながら、天気予報を改めてみます。ちなみに外は雨。
今後の降水確率も100%。天気予報では
・”梅雨前線の影響で雨雲が活発化”
・”東北地方は、7/15~16は断続的に雨。北部中心に非常に激しい雨も”
・”平年の7月1ヶ月分の雨量を超える可能性も”
と極めて不安なニュースが耳に入っています。
雨の中、2日間走り続けると肉体にどんな変化があるのかなど経験したことも、考えたこともありません。とはいえ、「まあ、なんとかなるっしょ」と”無知による楽観”を携えつつスタート時間が近づいてきました。
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■スタート前は「呼び出しされて職員室に向かう気分」
すでに完走経験を持つヒロポンに「今どんな気持ちですか?」と聞いてみました。「うーん、なんとも言葉にしづらいですね・・・」と前置きしながら、
「あえていうと、先生に呼び出しを食らって
職員室に向かう途中の気分ですかね」
と答えてくれました。
絶対怒られる。そこに行っても良いことなどないとわかっている。
でも行くしかない状況。
レース前の心境を言葉にするとそんな言葉になるようでした。
あはは、そうなんだね、と私も笑っていましたが、その理由は後ほど痛いほど痛感します。
さて、そんなことを尻目に、7/15(土)17:00、雨の中、約140名の選手が一斉にスタートいたしました。
皆(この時は)元気なので、「楽しみましょうねー」などと言っています。
後半はそんな気持ちになれないことは誰もがわかっていても、そう言いたくなるのが人の常のようです。
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■早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければ仲間と行け
さて、スタートからゴールまでの263kmの道のりは、「地図」を渡されており、そこにルートが載っています。内容は中学校の地理でもらった、あの地図です。合計30ページ。
街頭がある場所もありますが、山の中に入ると何も見えません。ゆえに、ヘッドランプと後方に赤色の点滅灯が必須です。
スタートしてから2時間ほど、約20km、嶽温泉と呼ばれる山の中にある温泉が最初のエイドステーション(休憩所)でした。
17時から2時間、あたりが闇夜に包まれました。見知らぬ土地で雨の中、一人走り続けるのは、実に心細い。これは日中のレースでは体験しない精神的な負荷です。まだ始まって3~4時間しか経ってません。
これから240km(合計50時間)も走るのか・・・と憂鬱な気持ちになります。
そんな風に足を動かして30km地点に来ると、少し先に複数のライトが固まって走っているのが見えました。ペースを速めて追いつくと、スタート直後に4人のうち3人の仲間(提督、ヒロポン、エンディ)の集団でした。
「やっと追いついた!」
なかまたちに合流をすると、少し安心した気持ちになりました。
結局走るのは一人でも、「誰かと一緒にいる」ということが気持ちの上での負荷を和らげてくれるんだな、、、そう痛感し、感謝の思いが芽生えました。
アフリカのことわざ「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければ仲間と行け」という言葉を思い出します。
ただし、あと200km以上あるので、本当にみんなで遠くに行けるのかは、その時はわかりませんでした。(つづく)
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<今日の名言>
あなたは過去の自分がたすきをつないだアンカーである。
岩本能史 ウルトラマラソンランナー
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