葉隠の至言より学んだ、一瞬一瞬を真剣に生きるための教え
(本日のお話/1732文字 読了時間2分半)
■こんばんは。紀藤です。
金曜日は、2件のアポイント。
ならびに、12月に行う研修の打合せなど。
また本日土曜日は、
以前から通っている、「サムライ塾」なる私塾に参加。
色々と日本の歴史の話などについて、
ディスカッションなどをしてまいりました。
(懇親会が終わり、ようやく
岐路についたところでございます。)
*
さて、今日は(も?)、
このサムライ塾にて学んだ
「武士道精神」について、
大切だなと感じたことを、
皆さまにご共有させていただきたいと思います。
テーマは、
「葉隠の至言より学んだ、”一瞬一瞬を真剣に生きる”ための教訓」
について。
それでは、どうぞ。
■さて、皆さまは、
「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」
という言葉を、
聞いたことがありますでしょうか。
有名な言葉ですので、
歴史や大河ドラマなどお好きな方は、
「よく知っている!」という方も、
きっと多いのではないかと思います。
さて、この言葉、
「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」とは、
『葉隠』という書物に書かれた言葉です。
ちなみに『葉隠』とは、
江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。
肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が
”武士としての心得”
を口述し、それをまとめたものとして、
有名な作品として知られています。
■さて、ではこの
『武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり』
どのような意味でしょうか?
これには、諸説あるので、
絶対的に、こうです、と答えることはできません。
しかし、一つの解釈として
「死を意識し、一瞬一瞬を生きよ」
「正しいことのために、死をも厭わない」
そんな意味を持つ、と言われています。
つまり、
”「どう死ぬか」を意識するから、
「どう生きるか」が見えてくる”
ということですね。
■ちなみに、同様の言葉で、
ラテン語でこんな言葉があります。
それは、
『メメント・モリ』
という言葉。
この意味は、
”自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな”
という意味だそう。
これも、「死」を意識するから、
今の「生」を真剣に考えることができる、
そんな警句としてしばしば使われます。
「死」を思うから、「生」を真剣に思える。
禅問答のようですが、この雰囲気、
なんとなく分かりますでしょうか。
■私たちは、昔に比べて、
「死」を感じづらい世の中になっている、
などと言われます。
でも、大切な人、身近な人に
それが訪れた時に、初めてリアルに感じたりします。
そして、その時に、生きることの意味を、
同時に深く、考えさせられたりする。
時代を越えたリーダーシップの原則の本である、
「7つの習慣」では、
『第2の習慣 終わりを思い描くことから始める』
が、成功した、充実した人生の上で、
不可欠と言っています。
そして、この「終わり」とは、
”自分の人生の終わり”
ということも意味として含みます。
つまり、自分が「死」を迎えた時、
大切な人に、何と言ってもらいたいか?
ということなのです。
■想像してみてください。
もし、3年後、
あなたの葬式が行われるとしたら。
そしてその時、
あなたの愛すべき妻/夫、
子供、そして父、母、
また、最も親しかった友人、
そして、会社でお世話になった先輩、
上司、同僚、部下、
そういった人達が参列し、
あなたに対して、
「あなたはこんな人だった」
「こんな影響を、私に与えてくれた」
という言葉を、その別れを悲しみ、
涙ながらに捧げてくれるとしたら。
その時、その瞬間、
あなたは、なんと言われたいのか。
どんな人生だった、どんな功績を残した、
と言われたいのか。
自分の「終わり」、
すなわち死を考えるときに、
本当に今、どう生きたいのかが見えてくる。
そのように言うのです。
■日本の歴史に根ざした、『葉隠』の
【武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり】
(=死を意識し、一瞬一瞬を生きよ)
という言葉。
ラテン語の、
『メメント・モリ』(=死を忘れるな)
という言葉。
「7つの習慣」の
『第2の習慣 終わりを思い描くことから始める』
という考え方。
どれも、
「死」を思うからこそ、
「生」を真剣に捉えることができる、
そんな教訓を含んでいるように思います。
簡単に扱えない、深く、重いテーマかもしれません。
でも、だからこそ、そのことに向き合い、
今この瞬間を生きることが、大事なことなのだろう、
そんなことを、考えさせられた次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。