映画『七人の侍』から、世知辛い世の中で生きる指針を学んだ
(本日のお話/1828文字 読了時間2分半)
■こんばんは。紀藤です。
本日は朝8時からテニス。
そして、その後は自宅にて、
現在通っている「サムライ塾」という私塾の課題である、
”サムライ精神とは何か?”
について、同じチームメンバーと、
参考映画を見たり、ディスカッションをしたり、
ノンストップで語り尽くしておりました。
(なんと、気づけば12時から延々22時まで。
計10時間休みなしのディスカッション。
我ながらびっくりです。苦笑)
*
ここ2週間ほど、
”武士道”とか”侍”とか、
そんな話ばっかり考えております。
そして今回「サムライ」について、
参考映画として鑑賞したのが、
『七人の侍』(黒澤明 監督)
という映画。
(有名なので、ご存知の方も多いですよね)
これを見て、
日本人のルーツでもあり、
固有の文化である「武士道精神」について、
改めて、そして相も変わらず思い馳せてみました。
今日はこの『七人の侍』より学んだ、
「世知辛い世の中だからこそ、
美学・理想に生きる”サムライ精神”を振り返る」
というテーマで、思うところを
お伝えさせていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■映画『七人の侍』。
この映画、初めてみましたが、
正直、ものすごーーく面白かったです。
まだ見ていない人は、
是非オススメいたします。
『七人の侍』(黒澤明 監督)
ストーリとしては、
野武士が横行する、戦国時代の話。
野武士に襲われる貧しい村で、
農民に雇われた七人の侍の活躍が描かれるのですが、
その中に登場する”侍のあり方”が、
素晴らしくカッコいいのです。
例えば、こんなシーン。
農民が町で、侍を雇おうとする時の話。
当然ながら、農民は貧しいため、
雇うお金もありません。
しかし、農民が精一杯、真剣に
侍に頼み続けた結果、1人の侍が
「わかった、引き受けよう」
となったのです。
そして、戦略を考える上で、村を守るためには、
最低「7人」侍が必要である、となり、
仲間を探すことになるのです。
そして、その最初に協力を決めた侍が、
仲間を増やす時に、他の侍に、こう問うのです。
「野武士に襲われている農民を助けるために、
野武士40人を相手に命をかけて戦う。
出世もないし、報奨もない。
あるのは飯くらいだ。
そんな話だが、乗るか?」
すると、周りの侍は、
何事もなかったかのように、
皆、こう答えるのです。
「いいだろう。やってやろうではないか」
■今の普通の人の感覚で考えたら、
恐らく断るでしょう。
「そんな話、割に合わない」
「明らかに損だろう」
そう考えるのが、普通。
しかし、真の武士、侍の考えとは、
”自分を超越して、主君のため、
あるべき姿のため、死を厭わずに生きようとしていた”
そんな姿を感じさせられたのです。
「七人の侍」だけでなく、
『武士道』(著:新渡戸稲造)
『葉隠』
『西郷南洲翁遺訓』(編:山田 済斎)
などを読んでみても、真の武士とは、
損得勘定抜きの”武士道精神”を持っていた、
そんな話が、納得できてしまいます。
もちろん、映画で描かれた侍だから、
という見方もあるでしょうし、
実際は、武士の全員が全員そうだったとは限らないでしょう。
しかし、
「何か崇高な美学」
のために生きようとしていた生き様、
これは今よりも間違いなくあったはず。
■今は、あらゆる物が豊かになった時代になりました。
そして、資本主義社会、
利益を追い求める社会のルールがゆえ、
「綺麗事だけじゃ、飯は食えない」
というように、
”理想論を大切にしようとしても、
なかなかそうはいかないよね”
という感覚が、今、日本中、
否、世界中で溢れている様にも感じます。
しかし、どこかで私たちは、
『もっと周りのことを、より高い理想を見て、
手を取り合って生きるべき』
と思っている、そう思うのです。
今、目に見えることを、
大切にしすぎる世の中だからこそ、
「過去から学ぶ」
ということが注目され始めているように思います。
そして、そんな中、
「武士道精神」とは、
”目に見えないでも大切なこと”を表す、
過去から学ぶべきことの代表的な考え
なのかもしれません。
■「7つの習慣」でも、
目に見えない根の部分である”人格”が、
豊かになった今だからこそ、
重要な要素ではないだろうか、
と伝えています。
当たり前の話かもしれません。
綺麗事の理想論かも知れません。
しかし、そういった
「崇高な理想論」を追い求めるからこそ、
進歩発展してきたというのも、事実。
世知辛い、成果を求める世の中だからこそ、
敢えて、”理想のあり方、生き方”に意識を向けてみること、
一つ、大事なことではないだろうか、
『七人の侍』を視聴し、
そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。