出版ゼミ「ブックオリティ」に通い始めて思うこと
(本日のお話 2158字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
先日から「ブックオリティ」という出版ゼミに通い始めました。
以前から「出版をしてみたい」という思いはどこかに常にありました。それがここ1年ほどで、「強み論文100本ノック」などで、強みの科学を紹介したり、現場で実践する中で「こうした知見がもっと多くの人に届けたい、という想いが次第に大きくなってきた今日この頃。
友人が通っていて、「とてもよかった、おすすめだよ!」とお話いただいたことから、こちらの門を叩くことにしたのでした。
今日はそんなゼミの第一回に参加をして、感じたことについて書いてみたいと思います。
■ブックオリティとは
ブックオリティは、多くのミリオンセラーを手掛けてきた編集者が、「世界を変える著者になる」を合言葉に、著者発掘・育成のために起こした出版スクールです。
代表はタカトモさん(高橋朋宏さん)という方で、日本初の著書としては異例の世界で1400万部のヒットを出したという『人生がときめく片付けの魔法』を手掛けた編集者です。
その方が、多くの人に求められる著作を作るために、編集の様々なノウハウの提供、企画づくりを伴走をしながら塾生同士で一緒に作り上げていくというゼミです(と理解しています。まだ始めたばかりですが)。
■「自分は何を世に届けたいのか」を問う
ゼミの中で、いくつかの著者のエピソードが紹介されていました。その中で印象的だったのが、優秀な経歴を持たれている著者に対して「全然ダメです、これでは伝わらない」と述べたというお話。話の文脈からどうやら、「伝わる言葉で書かれていない」ということのようでした。
さて、専門書として出版するのではなく、広く手に取られる一般書を目指す場合、「自分の周りにいる専門家達から「すごいね!」と言われる本を書いてはいけない」というのが一つのセオリーのようです。また東京都内でウケそうな、カッコ良さげな本も目指さないことも大事だそう。
なぜならば、商業出版の場合、売れ行きに従って読者層が低年齢化していくから。その場合、「田舎の書店で売れるような本」を目指す事がむしろ大事である、というお話でした。
もちろん本には対象者がいますので、「売れること」だけが正義ではありません。手に取られる人が限定される専門書も、多大なる価値があります。言えることとしては、「一口に『出版』といっても、そこには幅広い世界がある」ということです。
としたときに、
専門家に読まれる「専門書」を届けたいのか、
多くの人に届く「一般書」を書きたいのか。
自分はどちらを目指したいのか?
この「どこの・誰に・何を届けたいのか」を、真剣に考えることが出版を考える第一歩であると思い知らされたのでした。(ちなみに、編集者の場合、売れそうな本でなければ、編集者は興味がないそうなので、そうでなければ自費出版となる可能性が高いとなります)
■「伝わる言葉」を磨くこと
さて、少し話が変わりますが、師事している大学の先生で多くの著書を出されている方がいます。その方に、以前こんな質問をしたことがありました。
「学術的な専門書と、一般向けの書、どちらのほうが書くのが難しいんですか?」
学術的な専門書とは、多くのデータを扱い、書き方も論文的で難しい。フツーの人が見たら、目がクラクラしてしまいそうです。さぞかし書くのは難しいんだろうな、と思うと、その先生は、意外にもこのように答えられました。
「圧倒的に、一般向けの本ほうが難しいです。
なぜなら読者が、何がわかっていて何がわからないかもわからないし、
どう表現すれば伝わるのかもわからないからです。
専門書は、お作法に則って書けばいいだけですから、楽なんです」
・・・と。
「相手に伝わる言葉」を紡ぐことは、簡単ではないようです。そして「一部ではなく、多くの人に伝わる言葉」を磨くことも、やはり簡単ではないようです。
自分の価値観や信念がにじみ出てしまう言葉を、世の中の感覚に合わせて表現を変えて届ける。かといって、自分の言葉が嘘になってしまうと、それはそれとして届かなくもなる。
その、絶妙な一つの場所を探して、言葉を検討するのが、「書く」ということであり「伝わる言葉を磨く」ということなのだろう、と思ったのでした。
出版ゼミの中の、塾長の言葉が思い出されます。
「一流は、難しいことを、簡単に伝える
二流は、難しいことを、難しく伝える
三流は、簡単なことを、難しく伝える」
多くの人に届けることを目指すのであれば、「伝わる言葉」を磨く練習をしなければならない。そんなことを思ったのでした。
■まとめ
今回の出版ゼミは、自分の中の「書くこと」をバージョンアップさせる機会になりそうだ、、、そのように感じています。
書くことには様々な目的や意味があります。
「自分の気持ちを整理するため」に書くのか、
「経験を教訓化して学びに繋げるため」に書くのか、
「本や他者から学んだ知見を整理し、記録するため」に書くのか、
「論文など、専門的な話を一般向けに翻訳し、届けるため」に書くのか。
そして、
「自分のため」に書くのか、「
届けたい誰かのため」に書くのか。
書くことを考えた時に、同じような行為でも、その目的や意味は違っています。だからこそ、自分が今、どこに立っていて、何を目的とするのかを、改めて問うてみることが大事なのかもしれないな、そのように思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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