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3800号 2024年7月20日

欲に正直で、無慈悲な息子から学んだこと。

(本日のお話 2546字/読了時間4分)

■こんにちは。紀藤です。

私事ではありますが息子が3歳半になりました。

最近、自我というか、エゴというか、「こうしたい欲」の主張が、かなり激しくなってきています。たとえば、

・エレベーターのボタンを押したい。
・ゴミ捨て場にゴミが捨てられる瞬間を見たい。
・リンゴジュースにストローを指したい。
・有楽町線に乗りたい。やっぱり大江戸線にのりたい。
・父ちゃんは隣の部屋で仕事をずっとしていてほしい(悲しい)

などなど(他多数)。

こういうのを総称して、イヤイヤ期ともいうのかは、よくわかりませんが、なかなか激しいものです。

自分の要望通りにならないと、泣き、横になり、転がり、迷惑になるので慌てて担ぎ上げると、船に打ち上げられたカツオのように身をバタバタとよじらせます。

親としては大変さを感じるわけですが、一方、「こうしたい!」という欲のエネルギーには、ある意味学ぶことも多々あるな・・・とも思うのでした。

今日はそんな「欲のエネルギー」のお話について、お伝えさせていただければと思います。

■欲に正直で、無慈悲な息子3歳

冒頭にお伝えした通り、幼子は「こうしたい!」という欲求に対して正直です。要望が通らなければ、自分の要求を通すべく、あらゆる手段を講じます(泣く、転がる、攻撃するなど)。

その理由を、極端に言えば、幼子は「自分しか見えていない」(=相手目線がない)からでしょう。これは単に発達段階によるものですから、成長を待つのみです。

とはいえ、「父ちゃん、ゆづさんにあっちの部屋行けって言われて、悲しいよ・・・」と相手目線に立つことの重要性を、得意のコーチングのスキル(=Iメッセージ)で訴えても、「ダメ!お父ちゃんあっちなの!」と無慈悲に、誰もいない暗い書斎を指差すのみです(涙)。

そして、父は去る。

■環境に順応することを覚え、大人になる

ですが、幼子も成長するにしたがって、次第に「相手がどう思うか」も覚えていくものです。

自分のエゴだけ通していると、誰かと衝突します。自分の主張のみで相手のから奪っていれば、どこかで強者と遭遇して「奪われる側」に回ります。そして、奪われる痛みを知り、奪うことに躊躇いを覚えるのかもしれません。

そうして、自分だけではなく相手の視点も想像して、その上で「我慢をする」「空気を読む」ということを覚えていきます。これを「環境順応型知性」の段階と呼ぶそうです

ちなみに、ロバート・キーガン博士の「成人発達理論」によると、それが最高潮に達するのは「社会人になって、組織に参画していくとき」だそうです。「チームプレーヤー」「忠実な部下」といえば聞こえはよいですが、「指示待ち」という側面も見える状態がここです。

しかし、自分が自分がという欲に正直で無慈悲な時代を多くの人が経て、自分の欲だけを優先させるのではなく場に合わせることを覚えていくようです。(もちろん、小さい頃から兄・姉として、欲求を発露させる時代がなかった人もいるでしょう)

特に難しいのは、「従順になること」を求められるようでいて、あるときから「主体的に自分で動くこと」も求められていくことかもしれません。
組織って、むずい。。。

■欲を、セーブし過ぎてはいないか?

しかし、ふと思うわけです。

大人になっていつからか「我慢してやらない事、欲を持たないようにしすぎてはいまいか」・・・と。そんなことを自分の胸に手を当てて、ふと思ったのです。

息子の姿を思い浮かべると、「欲」は強いエネルギーであると理解します。
そして、欲を持ったものが手に入らないと、悔しかったり、悲しかったりする。そして涙します。

でも、自分は「こうしたい!」と思っても、周りからネガティブな反応がありそうな欲だと、触ろうとしたヤドカリのように、シュッと欲を引っ込めてしまう。。。そんな傾向があると思ったのです。

「欲」というエネルギーは「不安」と共にやってきます。

子どもはそこに対して純粋にぶつけます。ですが、私たち大人は、良くも悪くも、賢くなりました。傷つきたくないし、悲しい思いもしたくない。
欲の結果として起こりそうなネガティブな反応・体験を予測して、上手に「欲を抑える努力」も学習していったかのよう。

「こんなこといっては迷惑だ」「今はタイミングじゃない」「欲を持つのは浅ましいことだ」。そうやって、自分の欲を封殺する言い訳を並べ立てることが上手になります。

でも、そうすると、自分の中のもう一人の小さな子どもの自分が、自分の内側で、泣くのです。

自分の弱さや勇気のなさを、大人な自分・冷静な自分という仮面を被って黙らせている。でも自分は騙せず、心の霧は更に深くなるだけです。

それを、そうした欺瞞を1つ、2つと重ねていくと、次第に自分で自分を欲を持たないように、諦めていく。自分で自分を騙すのがうまくなり、それが習慣になってくると、自分で自分を騙していることすら、忘れていく。

そうして、目の輝きが失い、自分の内側から出てくる、エネルギーがなくなり、自分を魅力的でなくしていく・・・。

もしかすると、そんな事になっているのかもしれない、、、
大げさかもしれないですが、そんなことを自分自身振り返って思ったのでした。

■「欲」のエネルギーを取り戻す

自分の欲求に正直に動くことは、自分の中の子どもを喜ばせてあげること、とも言えるかもしれません。
あるいは、自分の中の、もう一人の自分と愛情を育むこと、とも言えそう。

「欲求」とは、胸に起こるちょっとした大事にしたいことです。

会いたいと思っていた人に会う。
人前で弾きたいと思ったピアノを弾く。
大事な人に伝えたいメッセージを伝える。
投稿しようと思って投稿していないこと投稿する。
変えたいと思っていることを変えずにいることを変える。

沸き起こる自分の小さな欲に正直になることで、大事なことを取り戻せるようになるのかもしれない。そんなことを思ったのでした。

3歳の我が子は、小さなこうしたいが叶えられないことで、全力で泣きますが、「こうしたい!」という欲から強烈な生のエネルギーを感じます。

不安に負けず、欲に正直になる。

そんなことを、息子から学んだ次第です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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