ランニングが最強のソリューションである
(本日のお話 1626字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日はお休み&15キロのランニングでした。
約一週間ぶりのランニングでしたが、改めて「走る」という行為が、自分の心身の健康上(特に気持ちの上の健康において)いかに重要なことなのかを痛感した時間でした。
ということで、今日はランニングをテーマにして、お話をしてみたいと思います。関係のないと思われる方も、ランニングの効能を感じていただね嬉しいです。それでは、まいりましょう。
■走るとスッキリするメカニズム
「走るとスッキリする」という感覚は、ランニングをする多くの方が体感されていることと思います。
脳科学的な研究も進み、走ることによって脳内ホルモンで幸福感にも影響があるセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンが放出される、という話も有名になりました。(『運動脳』という著書に色々書かれております)
参考:https://www.courage-sapuri.jp/backnumber/11125/
それらのホルモンが、自分の体にどう影響しているかはわかりません。
ただ、私の場合「走ったあとは、自己受容感が爆上がりする」のは胸を張っていえるな、と感じております。
■たとえ自己受容感が低くても
なんの面白みもない話で、楽しい話でもないことを先に謝らせてください。
私ごとで恐縮ですが、私(紀藤)、「自分の未熟さに目を向けすぎる」きらいがあります。多分、そういう人、わたし以外にも少なくない気がします。 たとえば、「(先日実施した研修で)ああ、参加者に納得してもらえなかった」とか「やろうと思っていたことをまた先送りにしてしまった」など、自分のできなかったことに焦点を当てて、くらい気持ちになる、など。
「強み」と言っているくせして、できないところを無意識に見てしまう、こうした自分の癖はなかなか変わりません。
もちろん認知療法的に、それが自分の「バイアス」であることもわかっています。できたところできなかったところ、それぞれ頭の中ではバランスを保とうとしているものの、それでも放っておくと無意識にネガティブによっていく。特に、研修が続いて、たくさんの人の感情と向き合った時は、そうなりやすい。
この「わかっちゃいるけど、ネガティヴになる」が厄介で、気持ちよくないわけです。これを「自己受容感低い」状態と私はみなしており、忙しくなるとにょきにょきと伸びてきます。
■走ると、不安な気持ちも溶けて流れる
しかし、走ると変化が起こります。
一言言えば、しぼんでいた自己受容感が、爆上がりする。
走るまでは、頭の中で上記のつぶやき、負の感情の無限ループが生まれるのですが、走りはじめて、呼吸と走るリズムに集中すると、疲れなのか脳内ホルモンなのか、だんだん頭が真っ白になってきます。
走っていてもネガティヴな感情が湧き上がることはあります。すると、その気持ちに飲まれて足が止まってしまうこともあります。
しかし、それでも5キロ10キロと走っていると呼吸と走るリズムに集中し、「ネガティブな感情が溶けて流れていく」感覚を覚えるのです。
そして「色々あるけど仕方ないよね」「てか、俺よく頑張ったんじゃね?」と溶け出したネガティヴな気持ちの中から、前向きな自分が立ち上がってくる感覚を覚えるのです。
しかも「一定以上走れば、もれなくそうなる(スッキリする)」のがミソです。
どんなマッサージより、効果がある。お金もかからずスッキリできる。改めてランニングの効果と、それができる自分の健康状態に感謝を覚えたのでした。
■まとめ
その他にも、ご飯が美味しい、夏のランニング後のクーリッシュ(アイス)は天に昇るほど美味い、など肉体的にメリットもあります。
ウェルビーイング(持続的な幸福)のために色々なことが言われていますが、正直、走りさえすれば、幸福を感じられると思っています。
暑いと正直走るのは億劫ですが、ランニングの大切さを思い知るこの頃。まさに「ランニングが最強のソリューションである」です。
暑いですが、ほどほどにランニングを楽しんでまいりましょう。最後までお読みいただき、ありがとうございました!