「ああー、メルマガめんどくせえ!」という日に思うこと
(本日のお話 2354文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
秋になりましたが、まだまだ暑い日が続きますね。
健康には十分気をつけてまいりましょう。
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さて、早速ですが本日のお話です。
先にお詫び申し上げると、
今日は極めて個人的な感想的な話が多分に入っております。
我ながら、これは読者の皆様にとって
どのような価値があるものかと読み返しつつ思う内容でもありましたが、
論文等の趣向から少し変えたものとして、
もしかすると何か思うことがあるかもしれない、、ということで配信させていただきます。
ということで、よろしければお付き合いくださいませ。
それでは、どうぞ。
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さて、今日でメルマガ3860号です。
1年前から「note」に書く→メルマガで配信に切り替えているので、通算3860号書いています。
こんなに毎日発信を続けていても、「マジめんどい」とよく思うわけです(苦笑)。
なので、率直な思いを書いてみたいと思います。
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たまに、発作のように、こう叫びたくなります。
「メルマガ書きたくない、書きたくない!
ああー、めんどうくせえ!!!」
・・・と。
3800号毎日書いているけど、好きで書いているわけではありません。
かっこよく言えば「習慣」といえるのかもですが、体感覚は「義務(must)」だからやっている感じ。
やらないという選択肢がないからやっているだけ。
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心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
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なんて名言も、「・・・だから何?」と言いたくなる日もあります。
心がすさんでいるのでしょうか。
疲れた日、ゆっくりしたい日もあります。
映画をダラダラみたい日もあります。
スーパー銭湯で漫画をずっと読んでたい日もあります。
メルマガを始める前までは、そんな日もありました。
でも、メルマガを始めた10年前にそれは終わりました。
それに憧れても、「メルマガ(note)」の習慣によって、常に「何かを背負っている感」が存在し続けることになりました。
これは正直、苦行感があるのです。
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「じゃあ、ウダウダいってないでやめればいいじゃん」
と言われそうですが、それはそれで怖い。
なぜなら、一度やめたら、もう戻れなくなるから。
一度やめたら、毎日書く日々は、ハードルが高すぎるから。
「しょうもないことを今日も書いてしまった」と思っても、
やめたらゼロになってしまう恐怖があるのです。
そして、私の周りでも、メルマガを毎日やっていて、1日やめた人は、もう戻ってくる人はいませんでした。
それくらい、ある意味、意志に抗う制約で自分を駆動させているのだと思います。
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かつ、もう一つ良くも悪くも、厄介なことがあります。それが、
「『より良く』を求めてしまうこと」
です。
思えば、数年前は、もっとラクでした。
大学院に入る前は、自分の思ったことをつらつらと書いていくことが中心でした。
「自分が、それを本当に思っているかどうか」
「自分が、心から言いたいことか」
そんな思いを中心に書いていたので、そこには生っぽさがあった気もします。それが好きだと思っていただける方も少なくなかった気もします。
しかし今は、「論文をまとめる」という選択肢が増えました。
そうするとエビデンスや、言葉の正確さも大事にしたいと思うようになりました。
論文を読み解く、インプットの時間が増え、そしてnoteというインターフェースから、文章量もより多く書けるようになりました。
なので、メルマガ(note)を書く負荷は段々と高くなっていきました。
そうして、「メルマガ」に対する「ああーめんどうくせえ!感」が、突如ウルトラマンのように巨大化するときが、以前より増えた気がしするのです。
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しかし、日々の書く大変さと引き換えに、
多くのギフトも与えてくれました。
書くことを繰り返すのは、とても大変。
でも、積み重ねた足跡を見返すと、書いた記憶はなくなっても、書いた記録は残っていて、それを思い出すことで、自分の外部記憶装置は育っていることに気づきます。
すると、自分のごとき凡庸な人間にでも、ちょっとだけ前進できているような気もするのです。そしてそれを見てくれている方から、新しい機会もいただくことも増えました。
(大学院の特別講座で『論文の読み方講座』を講演させていただいたり、大学のゼミ授業で『研修ファシリテーション勉強会』としてレクチャーさせていただいたり、ありがたいことしかありません)
頭もさほどよくない自分が、少なからず今のような仕事ができているのは、メルマガのおかげ。
本当に、自分の遅筆と、繰り返しても洗練されない思考に辟易することもあります。それでも、相応の差し出すものを10年繰り返したら、いくばくかの厚みにはなったと感じます。
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そして、「ああー、メルマガめんどくせえ!」と思いつつ、書きながら思うこと。一つのルールがあるならば、
「人生は蓄積である」。
ということです。
論文や書籍の知識をストックすれば、それはその分、蓄積されます。
それは小さな一歩で、忘れることもあるけれど、積み上がるのです。
一方、今日のように、自分の想いを言葉にすると、それは「思い出の
蓄積」になるのでしょう。
どちらがよいかは、わかりません。
研究としては、蓄えた知識に意味があると思います。
なので、論文や著書のまとめこそ意味があるとも言えそうです。
しかし、そうした知識よりも自分の感情の発露と、
その足跡を刻むことを大事にするならば、それも価値と言えそうです。
どちらにも意味があるとも思えるし、
どちらにも意味はないとも思えます。
人生は儚きものです。
ただ、こうした未熟な自分の思いも含めて、
自らを晒しながら、言葉を紡ぐことで、
何かを、誰かに共感し合うことができたら、
とても嬉しいことだな、そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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