おすすめの一冊『人生は心の持ち方で変えられる?~〈自己啓発文化〉の深層を解く~』
(本日のお話 4518文字/読了時間5分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、子ども(3歳)の運動会でした。
また、夜は5kmのランニング。
全然関係ないですが、仕事をしているときにしばしば乱入してくる息子に、
「今お父ちゃん、お仕事してるんだよ。仕事したらお金がもらえて、新しいトミカ買えるよ」
と外発的動機づけをちらつかせて、退散を促すと、
「電子マネーは?」
と、目をまっすぐ見て言われました。
世代間ギャップを感じた瞬間でした。
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さて、本日のお話です。
毎週日曜日はおすすめの一冊をご紹介するコーナー。本日ご紹介の一冊はこちらです。
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<今週の一冊>
『人生は心の持ち方で変えられる?~〈自己啓発文化〉の深層を解く~』
真鍋 厚 (著)/(光文社新書)
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本書は、タイトルの「自己啓発文化の深層を紐解く」という言葉にあるように、近現代の日本の自己啓発に関連する思想がどのような変遷を経てきたのかを考察した書籍です。
「自己啓発」という言葉には、なんとなく抵抗を感じる人もいるかもしれません。しかし、我々は社会や他者からの影響を受け、自分たちの思想を形成しています。よって本書の内容は、あらゆる人に影響している、とも言えそう。
実際に読んでみて、非常に興味深い内容でした。ということで、早速見てまいりましょう!
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<目次>
・「自己啓発」の定義
・「引き算型」の自己啓発
・「足し算型」の自己啓発
日本における自己啓発 ~中村天風から松下幸之助へ~
・江戸時代の自己啓発
・我々は「自己啓発」をどう考えればよいか
・読んでみた感想
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■「自己啓発」の定義
世の中の自己啓発に関連した考え方は、江戸時代の吉田松陰始め、現代の「ひろゆき」の思想まで、日本の儒教・神道・仏教において形成され、またそれらが近現代では西洋の影響を受け、変化してきました。
ちなみに、そもそも「自己啓発」とは、「自分の能力向上や精神的な成長を目指すこと。またそのための訓練(国語辞典)」「人が自分の努力によって、知識、地位、性格などを向上させるプロセス(オックスフォード現代英英辞典)」などと説明されます。本書では、
「自分の能力は人格などを高めることによって、よりよい人生を切り拓こうとする思想」と定義しています。
そんな「自己啓発」の思想では、大きく2つの流れがあると著者は述べます。それが本書の中心テーマである、「引き算型」の自己啓発と、「足し算型」の自己啓発です。
一つずつ見ていきましょう。
■「引き算型」の自己啓発
まず、引き算型の自己啓発です、これは、頑張らず・上を目指さす・モノも求めない主観的幸福を追求するもの。それが「引き算型の自己啓発」と、著者は述べます。いわゆる、努力や成長を中心とする「足し算型の自己啓発=意識高い系」とは異なるアプローチです。
たとえば「考え方のクセを変えることで、人生はラクになる」(『1%の努力』(ひろゆき/著)などの言葉に代表されます。物質主義・仕事優先・上昇志向といった考え”ではなく”、脱物質主義・私生活優先・主観的幸福志向を特徴とします。
「がんばらなきゃ、もっと自分を高めなきゃ」ではなく、「考え方次第で、人は幸せになれる」。こうした思想は、低成長で、給料が上がらず、将来に希望が持てない先行きが不透明な時代にフィットした考え方として、2010年代以降、若者を中心に受け入れられるようになりました。
つまり、「給料を上げるスキル」よりも「無駄なものを買わないで生活できるスキル」を持っていたほうがよいよね、というものですね。
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この「引き算型の自己啓発」の代表的と考えられる”ひろゆき”の著書の3つの特徴的な主張として、「努力信仰の否定」「上昇志向の否定」「消費による幸福の否定」があると述べました。
このあたりの思考は、時代背景や若者のニーズを捉えて、編集プロデューサー(ダイヤモンド社の編集者・種岡氏)がブームの仕掛け人をつとめた、などと、社会のニーズをブームに変えていったメカニズムも考察されています。
また、こんまりさんの『心がときめく片付けの魔法』や『断捨離』、また『モノ消費よりコト消費』というように、生産性向上とは違うカルチャーが生まれていったと述べます。こうした「片付け」も一見自己啓発と関係ないようですが、「片付けることで自分自身の次元が向上する」という思想を含んでおり、自己啓発と捉えられています。
■「足し算型」の自己啓発
さて、次に「足し算型の自己啓発」です。いわゆるよくいう「自己啓発」と想像されるもので、「努力や成長が大事」とする考え方です。
その歴史は、少なく見積もって160年とされています。この根拠は、サミュエル・スマイルズの300人以上の成功譚を集めた『自助論』(1859年)を期限とした、という解釈からです(自助論は「天は自らを助くる者を助く」という言葉で有名な著書です)。
そして、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ独立宣言の起草委員の1人。アメリカ建国の父と言われる)による『リチャード暦』の登場(時は金なり、などの名言を集めた暦)、
そしてそれに影響を受けたと考えられる福沢諭吉(『学問のすすめ』でも言葉が引用されている)により日本にもその考えが影響があったとされます。
また宗教と自己啓発のつながりでは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー,1989)で、自己の救済を確証するための職業労働としての勤勉さが結びつくなどの動きも見られました。
そして、他のプロテスタンティズム以外の宗教運動でも、19世紀後半に始まったとされる「ニューソート(=New Thought 新しい思考)」という潮流も、自己啓発の系譜に関わっていると述べます。
簡単にいうと「私たちは神の一部であり、自ら努力することによって救われる」、「思考が物理的現実に影響を与える」という思想です。
これらが「ポジティブ・シンキング」の考え方に代表される思考であり、近代の自己啓発にも影響を与えていったとのこと。こうして、思考による明確な目標、忍耐力、願望などの成功に向かって努力すること、こうしたものが社会に浸透するようになりました。
この「足し算型の自己啓発」には、キリスト教的な西洋文明特有の思想が基盤にあった、ということを著者は述べています。
(「ポジティブ心理学が自己啓発っぽい、と言われるのは、こうした歴史があるからなのでしょうね)
◯日本における自己啓発 ~中村天風から松下幸之助へ~
さて、日本でもこの「足し算型の自己啓発」の歴史で、重要な人物がいると述べています。それが「中村天風(1876~1968)」です。
中村天風、と言われても、はて??という人が多いといいますが、大谷翔平選手の愛読書、と言われると興味を持つのではにないか、と思います。大谷選手がメジャーリーグに行く前に愛読していたのが、中村天風氏の『運命を開く 天風瞑想録』でした。
中村天風氏の思想から蒙を啓かれた人々が、東郷平八郎、原敬、稲盛和夫、松下幸之助などであり、錚々たる顔ぶれです。
天風が述べることが「人間には無限の力があり、心の態度が重要」「人間の心は宇宙と直結している」という考えであり、これは先述の「ニューソート」的な考えと共通しています。
このあたりが、稲盛和夫氏、松下幸之助氏、そして大谷翔平選手などの、成功者の考え方の一つとして、社会の中にも取り入れられていきました。
(個人的な話ですが、私の愛読書は中村天風の『成功の実現』です。初めて読んだとき、衝撃を受けました)
それらは『夢をかなえるゾウ』他、多くの自己啓発な著書のベースとなっていると見られます。
■江戸時代の自己啓発
さて、このニューソートや中村天風以前でも、日本でも古くから、朱子学を中心とした儒教に、神道・仏教などを加えた考えとして「正直・倹約・勤勉」を重視していた(江戸時代の思想家・石田梅岩)という歴史もあります。
民族思想の中には、「人の形に従って生きる」(正直・倹約・勤勉)によって、自らの秩序が形成される、宇宙に即応する、などが言われていますし、
教育者の新渡戸稲造(1862~1933)は「身を修め、心を養う」という収容の思想を述べており、そこにも、「人間以上のあるもの」と関係を持つことが大事だ(いわゆる「お天道様が見ている」)ともいいました。
こうした日本の考えは、ニューソートという外来思想と呼応する土壌として、意図せずに形成されていた、と著者は述べます。これらが外来の思想と繋がり、現代の日本の自己啓発文化の形成に繋がったと見ています。
■我々は「自己啓発」をどう考えればよいか
さて、著者は、これからの「自己啓発」について、私たちはどのように捉えればよいのか、持論を述べています。
まず、前提として「自己啓発は無意味とはいうことは非現実的」と述べています。それは現代の資本主義社会と切っても切れない宿命的な関係だからです。以下、引用いたします。
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賃金停滞が長期トレンドになり、社会保険料の増加や物価高が続けば、経済面における自己防衛が必要になり、節約志向を正当化する論理を探さざるを得なくなるだろう。
消費により気晴らしが困難となれば、非消費的な気晴らしがむしろ消費により気晴らしよりも一枚上手だという価値観が不可欠となる。
わたしたちは自分の生活を守ると同時に、自分の自尊心も守らなくてはならないからだ。
ここにおいてこそ、幸福至上主義が極めて都合のよいイデオロギーとして重宝される余地がある。(中略) よって、「自己啓発はくだらない」とか「自己啓発は無意味」という冷笑的な振る舞いは、無責任であるとともに非現実的であるとすらある。
そもそも、「足し算型」の自己啓発からしてそうだ。今以上に仕事でより良い成果を残す、前年度比◯%以上売り上げる、会社への貢献度が高く評価され、マネジャーに抜擢されるという成長志向は、近代社会の精神そのものだからだ。
P264
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しかし、著者はこの思想の中で、”国家や起業が個人に課している自己啓発に消耗されない”ために、著者自身の見解として、「一人で抱え込まないこと」を主張します。
過酷さが増していく世界で、生き残っていくために自己変革をすることは宿命かもしれない。しかし「自分で自分自身を変える」ことだけに頼るのは思い込みではないか?といいます。(幸福等を自己啓発だけに頼るのはよくないよね、ということかと)
社会との接点を失って孤立するのではなく、「コミュニティと関わることこそが幸福」であり、「引き算型の自己啓発」で引いた部分を他者で補う(=お金がなくとも、家で友達や家族と酒を飲みながらゲラゲラ笑い合う)」ように、コミュニティの恩恵を意図してつくること、それが「自己啓発」に向き合う上で考えたほうが良いことでは、と述べていると解釈いたしました。
■読んでみた感想
本書を読みながら、「自己啓発の近現代の流れ」について、これまで自分が見聞きしてきた情報を再整理し全体像が見えたような、そんな一冊でした。
この話を、妻としていたら「自己啓発という考えも、人々に人権」の考えが生まれたことがあるかもね」と言っていました。(=フランス革命等で、人権の考えがなければ、そして一人ひとりが選ぶという発想もなかった。コテンラジオで聞いた情報だそうです)
一方、自己啓発の定義としている「自分の能力は人格などを高めることによって、よりよい人生を切り拓こうとする思想」については、古代から存在しているもの(たとえば、『無知の知』byソクラテスとか)とも思いますし、160年より以前に存在していたものと思われます。
また、自己啓発も足し算型・引き算型も、どちらか一つだけではありません。どちらも存在しているのだと思います。
時代によって、どちらがより支持されるかは変わるのでしょうが、文化や時代を超えた普遍的なものを、より広い視点で捉えられる洞察力を持ちたいものだ、、、読みながら、そんなことも思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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