「生まれてこないほうが良かった」という考え方 ー反出生主義とは何かー
(本日のお話 2954文字/読了時間4分)
■こんにちは。紀藤です。
引き続き、沖縄に来ております。
昨日は、2件のアポイント。
その他、出版の企画書の作成(はじめに、を書いてみました)と、
研修プログラムの作成などでした。
夕方からは10kmのランニング。
涼しくて、走りやすくて、気持ちよかったです。
*
さて、本日のお話です。
今日は「反出生主義」というちょっと尖った考え方を紹介させていただきます。
少し前に、フランスの大学院で哲学を研究してきた哲学者の方とお食事をした時、ふと言われたことが
「親は、子どもにロシアンルーレットを迫っているんです。だから僕は絶対に子どもは作らない」。
という話でした。
そして彼はこう続けました。「人類は、避妊をして段階的に絶滅に向かったほうが良い。なぜならば、合理的に考えて、そうだから」と。
この考えは彼独自の主張ではなく『反出生主義(Antinatalism)』と呼ばれているものだそうです。南アフリカの哲学者デヴィット・ベネターの著書『生まれてこないほうが良かった』で紹介され、有名になりました。
今日はこの『反出生主義』について学んだ内容と、そこから思うことを共有してみたいと思います。
倫理的に挑戦的なテーマであるゆえ、心がザワザワする方もいるかも知れませんが、もしご興味があればお付き合い下さいませ。
それでは、どうぞ!
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<目次>
・「生まれてこないほうが良かった」という考え
人生の苦しみと快楽は、不均衡である
ロシアンルーレットの責任を引き受けるのは誰か
・反出生主義への反論
・まとめと個人的感想
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■「生まれてこないほうが良かった」という考え
さて、本題に入る前に、個人的な意見を述べさせていただくと「人生とは、基本、哀しいものである」と思っています。
なぜならば、どんな大切な人とも、いつかは別れるから。
健康な体も、いつかは衰え、失っていくから。
この失うことを考えたときに、かなしいなあ;;と思ってしまいます。
いわゆる仏教で言う『四苦八苦』です。
失っていくことが宿命である人生には、「哀しさ」が内包されているように思えて、仕方ありません。
自分でいうのもですが、おそらく私は、相当恵まれています。
健康な体で、この日本で生まれました。しかも、友達も家族もいて、その上沖縄で二拠点生活なんてできてて、こんな記事をnoteに書く余裕がある生活をしている。なのに、「人生は哀しいもの」という感覚は拭えません。
「辛いことがある人生って、そもそもない方がいいんじゃないの?」
それが、反出生主義の基本な考えです。
◯人生の苦しみと快楽は、不均衡である
さて、ここからベネターの『生まれてこないほうが良かった』の反出生主義の解説をします。
まずベネターは、人生には「苦しみ」と「快楽」が存在するけれど、「苦しみは必然」であり、どんなに良い人生でも避けられないと考えます。一方で「快楽はオプション」であり、それがないとしても必ずしも苦しいわけではないとします。
つまり、生まれないことのメリット&デメリットを比較したとき、「生まれないことは苦しみを経験しないから”良い”。生まれないことで快楽を経験しないが苦しみはないから”中立”である。だから生まれないほうがよい」という主張です。これが「反出生主義」の基本的な主張です。
これをよりわかりやすく示したものが、「非対称性の議論」です。以下のようにまとめています。
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<非対称性の議論>
・生まれないことのメリット:生まれなければ、苦しみを経験しない(良いこと)。
・生まれないことのデメリット:生まれなければ、快楽を失うことになるが、快楽を感じないこと自体は苦しみではない(中立)。
・生まれることのデメリット:生まれれば、苦しみを経験する(悪いこと)。
・生まれることのメリット:生まれることで、快楽を経験できる(良いこと)。
※『反出生主義を考える』現代思想,2019年11月号 P41
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苦しみはあったら絶対「悪い」。
喜びはあったらいいけど、なくても困らない(「
中立」)。
だから、生まれないほうがいい、という主張です。
◯ロシアンルーレットの責任を引き受けるのは誰か
さらに、ベネターは、『生まれてこない方が良い』主張をより強固なものとするために、このようにも述べます。以下、引用いたします。
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(反出生主義には)生殖を批判する正当な理由があることを示している。
この結論の裏付けとして私が示したのは、正にどれほどの苦しみが世界にはあり、それらの深刻な害のうち少なくともいくつかをどのように新しい生命が負うことになるのかということである。
それ故、どんな生みの親も、自分が存在させる人々にそれらの深刻な害のリスクを課しているのである。親たちは「子作りロシアンルーレット」をしているのだ。
その代価を払う立場にあるのは子どもたちである。
もし非対称性の議論が正しければ、その銃は弾倉にフルに弾が装填されている。
※『現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想』P57-58
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親が、子どもにロシアンルーレットを迫っている。
そして、その責任は、子どもが引き受ける、のだと。
「紀藤さんは、たまたま紀藤家に生まれてきたから良かったかもしれません。でも、これが紛争地域に生まれた子どもだったとしたらどうでしょうか?」
冒頭に、知人の哲学者に問いを投げられて、考え込んでしまったことを思い出しました。
■反出生主義への反論
さて、この考えを読みながら、抵抗感を覚えた人もいらっしゃったかもしれません(私もそうでした)
よって、想像に難くないように、倫理的に挑戦的なテーマゆえ、反出生主義の考えには多くの反論があります。
例えば、「快楽・苦痛の比率だけに、人生の意味を還元すべきではない」という反論です。人生は苦しみ以外の、喜びや達成感など幸せを感じ、それが人生の意味を感じることに繋がる。だから、苦痛があるので生まれることを否定するのは違うのでは、といいます。
あるいは、「苦しみは人を成長させる」という考えもあります。人は苦しみに直面したときに、自己成長を感じ、人生を意義深いものにしてくれる、という考えもあります。
また、「人間は存在そのものが尊重されるものである」という立場もあります(カント主義的な倫理観、というそうです)。ベネターは、メリット・デメリットで生まれることの良し悪しを判断していますが、存在そのものがそもそも大事、という考えもあります。
そして、先述のロシアンルーレットに対する批判として「子どもが幸せな人生を送る可能性も大いにある」ので、苦しみを前提に生を否定するのは、一方的な見方である、という意見もあります。
そして、ベネターもこれに対して反論をし、議論は続いています。
■まとめと個人的感想
ベネターが言っているのは、「人類はいなくなればいい」というわけではなく、「新しい存在を生み出すことについて、もっと考えるべき」と述べています。
(ゆえに、「今いる人がいなくなる(殺人や自殺)」ことを推奨しているわけではないです。もし自分で命を立つ場合、残された人々の苦しみを増大させてしまうため肯定もしていません)
正直、こうした考えがあるということも知りませんでした。ですが、この考えを調べて、納得する点もありました。そして、こうした考えに触れるからこそ、自分がなぜ「ポジティブ心理学(幸せになること)」に惹かれるのか、という理由もわかった気がします。
基本、人生は哀しいもの。辛いことも必ず起こる。
だからこそ、生まれたからには、それぞれの人生でその哀しさを上回れるくらいの喜びを得られるよう、できる限りがんばってみたい。
そうすることが、生まれてきたことを肯定することにつながる気もします。そして、そこに人生の意味があるように、私には感じられます。
生きること、生を生み出すこと、色々考えさせられました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
(※本日の記事は、『現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想』を参考・引用しています)
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