「出版の世界」は、想像の100倍くらい、奥深いものだった
(本日のお話 4333文字/読了時間6分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、2件のアポイント。
また夜は、10キロのランニング。
また、起業時代からずっとお世話になってきた経営者の方が
ご退任されるとのことでご挨拶に伺いました。
その会社の皆さんを含め、たくさんの思い出があり大好きな会社なので、
色々と思い出される事が多く、一つの季節の終わりと始まりを迎えた感覚になりました。
自分ももっともっと役に立てるように、力を尽くしたいと背筋が伸びる思いになりました。
(Sさん、あらためて、本当にありがとうございました!)
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さて、本日のお話です。
先日、4ヶ月間通ってきた「出版ゼミ」の最終プレゼンが終わりました。
この4ヶ月間の道のりを経て、「本を出す」ということ、そして「出版という世界」について、多くの学びがありました。そしてそれは、想像の100倍くらい奥深いものでした。
今日はその4ヶ月間の歩みの振り返りと、そこからの気づきを、言葉にしてみたいと思います。
よろしければ、お付き合いください。
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<目次>
自分のための出版は、軽蔑される
「出版」は多産多死である
「面白さ」と「正しさ」の間に揺れる
葛藤の中で、見えてきたこと
プレゼン大会の日
出版セミナーのカラフルな服の人が苦手だった
これからの話
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■自分のための出版は、軽蔑される
「本を出したい」という思いにあるものは、様々なものがあります。
知識や経験の共有、自分の信念や価値観を広めたい、本を執筆することで自分の考えをまとめたい、自己成長のため・・・などなど。
私も20代の頃、やりたいことリストに「本を出したい」と書いていましたが、その理由は、「自分の考えを発信したい」という欲求でした。
ちなみに、ある著書では、20代、30代、100人ほどにインタビューして将来の夢を聞いたところ、「会社で役員になりたい」よりも多かったのは、『自分の本を出したい』だったそうです(ちなみにその次は「大学で教えたい」)。(参考:『本を出したい』著/佐藤友美,P20)
深く掘っていくと、結局、承認欲求などに行き着くのかもしれませんが、とはいえ、出版ゼミの冒頭で言われたことが印象的でした。
「本を出すのは、自分のために出してはいけない。
世のため人のための『究極のボランティア』として書いてください」
・・・と。
しばしば本を出したい、などというと「印税生活をしたいんですか」と言われることがあります。あるいは本を通じて、自分の会社の商品を売りたいんじゃないか、と。
もちろん、そうした狙いがまったくないとはいいません。ですが、そうした人を、その気持ちを前面に出す人を、言葉に出さずとも「編集者は軽蔑している」と塾長は述べていました。
自分が知っている、役に立つことを、誰かにおすそわけする。
本の中心の目的はここにあることを忘れてはいけない、とのことでした。
出版ゼミの申込の理由に「今後のキャリアのために書きたい」と書いた自分が、のっかけから恥ずかしい気持ちになったのでした。
■「出版」は多産多死である
しかし、この「本を出す」というときに、書ければ出せるというわけではなく、色々なハードルがあることを、この出版ゼミを通じて理解しました。
本は、1年間に72000冊が発売されています。
しかし、その中で重版されるのは、10~15%程度と言われています。
また、一般的な書籍(新書・小説・ビジネス書・健康本などの一般書等)の場合、ヒットは数千部以上、大ヒットは2万部以上、ベストセラーは10万部以上が目安である、という話もあります。(出典:本出版ガイドhttps://masterpublish.com/bestseller/)
つまり、殆どの本は、出版されても書店にも並ばないか、並んだとしても一瞬で消えていく運命にあるということです。
まさに、「多産多死」。
その中で出版社も、編集者も、世に出したものを、手にとってもらうこと、そして売れるものを作ろうとします。「商業出版」の宿命は、売れることであり、売れなければ存続できません。
■「面白さ」と「正しさ」の間に揺れる
すると、商業出版はマス層に届く表現にする必要があります。
できれば、「健康」など、誰もが関わるメガマーケットは、当たれば大きい。一方、「中小企業の経営者向けの本」では対象は少ない。
そうして、対象者×ジャンルなどで、どの程度売れるポテンシャルがあるかも、ある程度見立てが立てられます。
またもう一つは、「正しい本ではなく、面白い本が売れる」ということ。
大学院で主に読んでいた、研究所・専門書は「正しい本」です。著者の研究生活を込めた一冊を見ると、その道程の重さに、凄みと敬意を感じずにはいられません。
しかし、それは売れるための本ではありません。後世に、希少で貴重な知の結晶、学術的な知見を残すものです。しかし、多くの人に手に取られることはありません。ゆえにその価値は低く見積もられがちです。そのことに、なんともいえない歯がゆさを感じていました。(参考:https://www.gentosha-book.com/method/practical_book/merit-academic-publishing/)
その中で、「正しいのではなく、面白い本を出す」というスタイルは、自分の中で葛藤を生みました。出版ゼミの中でも、「見出し」をつくる練習をするのですが、再三言われました。
「コンセプトはよいけど、見出しが面白くない」。
自分でもわかります。
でも、「~の本当の理由」「たった一つのルールは◯◯」「これをやるだけで一発で治る!」という表現は、そうした正しさを追求した学術書がちらついて、使うことに抵抗感を覚えていました。
それは、思えば、一つの反動とも思えます。
大学院に入る5年前は、むしろ喜んで使っていました。
しかし、学術的な世界を覗く中で、アカデミックへの尊敬と鎧を同時に纏う中で、過去の好んでわかりやすさに傾倒する自分を否定していました。
だから「成果につながる先行要因を洗い出して、たった1つのルールなんて、あるはずないし」なんて、と過去の自分を否定するかのごとく、ブレーキを踏む自分がいたのでした。
そうして、「正しさ」と「面白さ」の間に揺れて、出版ゼミは退会したほうがいいのかもしれない、、、と途中は思っていました。
■葛藤の中で、見えてきたこと
葛藤の中で、学院で学ぶ知人に相談しました。
「商業出版はやめたほうがいいんじゃないですか。
心に違和感があることは、結局うまくいかないものですよ」
でも、その違和感は、大学院で共に学んだ仲間の顔がちらつくから浮かぶ葛藤でも、あるような気もしました。
論文を読み、アカデミックに記述することを大事にしてきた中で、もし商業出版として一般に向けたライトな本を出すと、先生方や一部の仲間から軽蔑されるのではないか・・・。
そんなことはないと思いつつも、勝手にその場面を想像して、心を小さくする自分もいました。
ただ、親しい友人や妻に相談すると、別の意見もありました。
「タイトルや見出しはライトでも、実際に読んでみると、しっかりした本もあるよね。そういうのを目指せばいいんじゃない」
そういわれましたときに、ハッとしました。
学術か一般化ではない。0か1かではなく、「親しみやすく、わかりやすくも、理論を含んだ一般書」それを目指せばよいのだ・・・! そうしたところから、本の企画が定まっていきました。
もう少し、考えてみようという気持ちになってきました。
■プレゼン大会は、婚活パーティーだった
仕事のバタつきもあり、直前までなかなか方向性が定まりませんでした。
しかし、最後一気に仕上げることになり、結果、「強み×論文」というテーマで出版企画をしぼり、「タイトル」「本のコンセプト」「見出し(章立て)」「はじめに」を、塾長を始めとしたたくさんのサポートをいただき、なんとか形にすることができました。
そして、先日10/26、27にて、プレゼン大会が行われました。
プレゼン大会は合計14名の編集者の前で、参加者16名がそれぞれの企画を持ち寄り、3分間のプレゼンをするイベントです。そしてトップ5(+気になる人)を各編集者選び、その人と面談をする機会が得られるというものです。
出版は、編集者と著者の相性といいますが、「出版社が売れそうと思えるか」「編集者が出してみたいと思うか」「編集者が著者に興味を持つか」などを、短い時間で検討し、感じる場です。
「出版は二人三脚で、魂をぶつけながら本を生み出していく、だから結婚のようなもの」と言われましたが、そういう意味では、「婚活パーティー」と言っても過言ではないでしょう。
参加者のテーマは学び、健康、子育て、メモの取り方、学校教育、感性など、様々なものでした。私はその中で、「強み」をテーマにプレゼンをしました。
そして結果として、6名の編集者に「トップ5」に選んでいただき、4名の編集者に「気になる人」として名前を挙げていただきました。
1位として選ばれる企画はなかったのですが、大変ありがたかったです。
ここからがいよいよスタートとなります。
企画を出版社に通せるように尽力しますが、一緒に歩めるパートナーになっていただけるかもまだまだわかりません。
■出版セミナーのカラフルな服の人が苦手だった
ふと思えば、出版を考え始めたとき、これまで著者が集まる出版セミナーに、誘われて参加したことがあります。
そこには、カラフルなジャケットやドレスを着た人々が、たくさん集っていました。声には出しませんでしたが、実はその瞬間「ああ、自分はこの場にはふさわしくない」と、強く感じた記憶があります。
それは、自分の服の9割が白Tシャツだからか、着飾る=虚栄心みたいに感じる自分の固定観念からか、そんな風に思った記憶があります。
しかし、出版セミで、それらに関わる編集者、著者(華やかな人も一部いた)の思いに触れる中で、浅はかな考えだったかもな、、、という気持ちになってきました。
わかりやすい、キャッチーなタイトルや著作の裏には、皆、色々な葛藤を持っていることを知りました。本当はもっと深い話はできるけど、わかりやすく伝えるために、こうした言葉を使っている人がいることも理解しました。
「自分のことを正しいと思いたい気持ち(守りたい気持ち)」は、他者に対する批判的な思考につながります。
私の場合、学術へのコンプレックスの反動から、大学院の論文の世界を強く信じた反面、それに相容れないものを、必要以上に排除しようとしていたのかもしれません。
しかし、学術出版と商業出版の違いを知り、それぞれの目的と意味の違いも知り、どちらも併せ持ちたい、と思うようになりました。
■これからの話
これから編集者と会い、企画を通すためにアクションをしていきます。
いずれにせよ、折角の機会、歩み始めたプロジェクトです。
どうなるのかは全く不明ですが、面白い事になりそうな予感しかしません。
これまでnoteにも書いてきている「強み論文」をまとめつつも、「強みの見つけ方」は研修で培ってきたわかりやすい伝え方を形にするような、そんな本を出せたらと思っています。楽しみつつ、これまでにやったことがないチャレンジに向けて、歩んでいきたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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