「相手の立場になる」ことはできない。でも…
(本日のお話/1653文字 読了時間2分)
■こんばんは。紀藤です。
昨日金曜日は、愛知へ出張。
研修企画について企業様との打ち合わせ、
並びに新人研修のご相談などでした。
また本日から世の中では三連休。
が、私は朝から英語塾などなど。
最近、これらの活動が、
自己投資なのか、娯楽なのか、
よくわからなくなってきましたが、
”学ぶこと”は、視野が拡がる、
知的な遊びのように感じます。
もっと世の中のことを知りたく、
またそれを語れるようになりたいと思う、今日この頃。
*
さて、本日のお話です。
しばしばコミュニケーションの原則として、
「相手の立場に立て」
と言われることがあります。
そんな中、この言葉に関して、
先月から通っている学びの場”サムライ塾”なる場所にて、
考えさせられることがありました。
今日は、その話について、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
テーマは、
「相手の立場になることはできなくとも…」。
それでは、どうぞ。
■「相手の立場になろう」。
小学校でも、
きっと教えられているであろう、
コミュニケーションの原則かつ、
否定のしようがない考えです。
しかし、先日、
私が通っているとある私塾の参加者から、
こんな意見が出ました。
「よく”相手の立場になれ”と言う。
しかし、それは無理だと思う。
現実には、相手の置かれた環境、経験、
価値観などがわからなければ、
本当の意味で、”相手の立場になる”ことは、できないと思う。」
と。
この何気ない質問ですが、
確かに言われてみたらそうだよな、
と、なるほどなと思ったのでした。
■しかし、この既成概念に対する疑問符に対して、
「サムライ塾」の塾長がコメントされたことに、
更に、はっとさせられました。
それは、
「厳密に言えば、人は”相手の立場になること”はできない。
でも、”壁を低くすること”はできるはず。
それが大事ではないか。」
そんなコメントでした。
■そして、この話を聞いた時に、
ふと思い出す出来事がありました。
それは、
「ドラッカ―塾」で学んだこと。
その中の一つに、
「組織において成果を上げる」上で大切なことに、
”上司や仕事の関係者の期待を知る”
という話がありました。
そして、その中のワークで、
『上司や、仕事の関係者の考えを想像する。』
というものがありました。
すなわち、
「彼/彼女らの成果は、何か?」
「彼/彼女らは、どんなことを自分に期待しているのか?」
を想像して、紙に書いてみるのです。
そしてその時に、
気がつくことがありました。
それは、
「自分が◯◯さんだったら、何がほしいんだろう?」
と深く、深く考えることは、
意外となかったのではないか、
ということなのでした。
すなわち、
”相手の立場になる”ことはできずとも、
『相手の状況を想像して、できるだけなりきろう』
とすることが、いかに難しく、
そして普段できていないか、ということ。
そのことにはっとさせられたのです。
■人は、誰もが、
大切にする価値観も違えば、
得てきた経験も違う。
それが夫婦や、親しい友人の間でも、
きっとそうなのだと思います。
だから厳密に言えば、
「相手の立場になる」というのは、
言うは易し行うは難し、の行為かもしれません。
しかしながら、
難しいといえども、
『相手の立場に”なろう”と、チャレンジする』
『相手の置かれている状況を、細かく書き出しイメージする』
そういった、”姿勢”が、
実は最も重要なことではないか、
そんなことを感じました。
■細かい文字面の違い、といえばそうですが、
「実現すること」を目的とするのか、
「実現しようとする”姿勢を持つこと”」を目的とするのか、
は小さなようで、
大きな違いのように思います。
「7つの習慣」においても、
『第4の習慣 Win-Winを考える』
という原則があります。
これも、
「Win-Winに”なる”」はなく、
『in-Winを”考える”』というところがミソなのです。
「相手の立場にはなれずとも、
相手の立場に”なろう”と追求し
相手との”壁を低くすること”」
この言葉から、相手の状況を想像し、
協働する大切さに想いを馳せた次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。