おすすめの一冊『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(前半)
(本日のお話 4623文字/読了時間5分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日土曜日は、10kmのランニング。
家族との時間や読書などでした。
*
さて、毎週日曜日は、最近読んだ本からの「おすすめの一冊」のコーナーです。
今回、ご紹介の本はこちらです。
========================
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
三宅 香帆 (著)/ (集英社新書)
========================
この本は、15万部以上売れた2024年のベストセラーです。SNSを中心に多くの本好き、趣味好きの共感を呼び、1週間で10万部という脅威的な売上部数となりました。
読んでみた感想は、「めちゃくちゃ面白かった」です。
共感、納得する内容もあり、また、日本人と読書の歴史への考察など、知らなかったこともあり、勉強になる本でした。
ちょっと長くなりそうなので、前編・後編と分けてまとめさせていただければと思います。
それでは、どうぞ!
――――――――――――――――――――――
<目次+
「日本人と読書の歴史」を紐解く
本書の目次
明治時代の読書(1870~1910年頃)
大正時代の読書(1910~20年頃)
昭和前期の読書(1920~40年代)
昭和中期の読書(1950~60年代)
昭和後期の読書(1970~80年代)
読書は「優越感」を示す道具になりやすい
まとめと感想
――――――――――――――――――――――
■「日本人と読書の歴史」を紐解く
さて、本書のタイトルは、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?」です。そこには、著者が「大人になって働き始めたら、あんなに好きだったはずの小説など読む時間がなくなった。これはなぜだ??」という問いから始まります。
◎本書の目次
そこから序章から一気に、明治時代まで飛びます。「日本人が読書を始めたそもそもの話」まで歴史を遡るのです。
ここが本書の魅力であり、ものすごく面白いと感じる点でした。見ていただくとわかりますが、目次も「読書の歴史を遡る旅」の構成のようになっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・というのも、「現代の読書は、どのような目的が多くなり、どんな立ち位置になっているのか?」を理解するためには、”比較が役に立つ”からです。
他の時代で、明治で、大正で、昭和で、平成で、「誰のためのどういうものが読書だったのか」を知ることで、今の時代の「本を読むこと」の意味を、俯瞰して意味づける事が可能になります。
以下、前半の「第6章」までのまとめとなります。
■明治時代の読書(1870~1910年頃)
明治時代(1868~1911)は、「自分の好きな本を読めるようになった時代」でした。これまでは「読書=音読」。でした。しかし「句読点と黙読」が誕生し、個人で読む時代が始まりました。
また1908年、東京帝国大学図書館が登場します。明治時代は、学生が図書館で借りて読むものでした。明治時代の読書は、一部のインテリ層の男性向けのものでした。
ちなみに、明治のベストセラーは、1871年刊行のサミュエル・スマイルズの著書を翻訳した『西国立志編』(後の『自助論』)です。人口5000万人の時代に100万部売れており、驚異的な売上です。この時代は本は「自己の改良(修養)」のためのものでした。この流れは、アメリカの「ニューソート(新しい考え)」というポジティブ思考のはしりの影響を受けて広がっていったものです。
ちなみに、当時の夏目漱石の作品では、こうした明治の自己啓発書の「成功」の文字に対して、ひややかな目でみるエリート層の存在を、比喩的に表現しているシーンもありました。
そして、著者は「自己啓発書やビジネス書を読むことを、エリート層が冷ややかに見つめている」という階級格差が再生産されている、と述べています。
■大正時代の読書(1910~20年頃)
そして、大正時代(1912~1926)になると、日露戦争後の地方改良運動によって、日本の地方の図書館は爆発的に増え、10年間で4倍になりました(これは小学校を卒業した人々の識字率を下げないための方法だったそう)。
ここで、階級や地域に関係なく読書の習慣が始まります。
そして、現在の出版界における現代にまで続くルール「再販制」が作られます。これは本が値切られることがなくなるルールや、委託制度など、返品が可能になる制度も含まれ、書店が売れそうな本を大量に仕入れる事が可能になりました。明治3000店だった書店数は、昭和初期に1万店を超えます。
この時代に売れた本は、「自己の苦しみ」に目を向けるものになりました。自分の苦しみや罪悪感をなにかによって癒やす本が売れ、「親鸞」ブームとなりました。
この時代に「サラリーマン」という言葉が生まれ、そして浸透していきました。サラリーマンは、労働階級と差別化したいものの、物価高や、長時間労働に悩まされる「労働がつらいサラリーマン」が増えた。よって、上記の様な本が増えたと考察します。
そしてこの時代には、「教養(知識を重視する)=エリートが身につけるもの」とし、「修養(行為を重視する)=ノン・エリートが身につけるもの」と格差が生まれていくとします。
教養のための雑誌として『中央公論』などの教養系雑誌が生まれ、新聞や雑誌を読むサラリーマンと差別化を図ろうと読み始める、新中間層としてのサラリーマンが増えるはじめました。
■昭和前期の読書(1920~40年代)
昭和(1926年~1989年)の前期、戦前・戦後では、「積読本」(=積んだだけで読まれない本)が登場します。
それが「円本」という、”これを買っておけば間違いない”というシリーズものの本が流行ります。1冊あたり1円(当時の本は2~3円)で買える(だから円本)が、数十冊とシリーズになっている(例:『現代日本文学全集』もので、これが「新居の書斎に飾るのにもってこいだった」といいます。
ここで、この大正~昭和前期では「教養」としての本のアンチテーゼとして、「キング」「平凡」といった「大衆向け雑誌」が立て続けに刊行され、日本のエンタメ小説が始まります。
ちなみに、サラリーマンが書斎に円本を飾るのは「インテリの象徴(学歴があり、社会的階層が高い)」であり、それが社会のニーズと合致したこともあったそう。(ここでも”読書を自分の立ち位置を差別化するもの”という機能が見て取れます)
■昭和中期の読書(1950~60年代)
そして、戦時中は出版統制がされ、それどころじゃない時代を経て、戦後となります。大正時代から戦前のエリートのための教養が広がっていく時代が始まります。一方、サラリーマン小説などに代表されるて「教養よりも、娯楽のための気軽に読める本」も登場します。読書は広く、サラリーマンのものになっていきます。
ちなみに1960年代の高度経済成長期は、ほぼ100%会社の時代でした。余暇も昼休みも運動会も職場つながりのイベント。よって、通勤の満員電車の中でも読めた「サラリーマン小説(職場の人間関係の問題などを扱ったもの)が流行りました。
また、忙しい高度経済成長期に受容があったのが「ビジネス向けのハウツー本」であり、『英語に強くなる本(1961)』『記憶術ー心理学が発見した20のルール(1961)』などです。
ベストセラー本になるものは「頭が良くなる本」でした。当時は、それが成功するための要素としてみなされていた時代、とも言えそうです。
■昭和後期の読書(1970~80年代)
昭和後期の1970年代では、オイルショックによる高度経済成長期の終わり、文庫本の創刊、そしてテレビという新しい娯楽が始まった時代です。この時代は『坂の上の雲』(司馬遼太郎)がベストセラーになります。
「意気揚々と坂を登っていくことができた明治時代」を舞台にした小説です。売れた理由として、週休1日でめちゃくちゃ忙しい時代、しかし高度経済成長期が終わりを告げ、資本主義のほころびを見せつけられた時代。このときに、司馬遼太郎の明治時代が文庫本としてノスタルジーを感じさせるものだった、と考察します。
一方、企業目線で見れば、オイルショック以前の1960年代に労働力不足があり、いかに人的能力開発を行うのか、という論点がありました。そこで「自己啓発」という概念を盛り込んで、勤務外の努力を求めるようになったそう。
▽▽▽
1970年代をピークに、一世帯あたりの書籍の購入金額は減少の一途をたどります。すでにこの時代から「若者の読書離れ」という言説はあり、80年代に激増していきます。
しかし、1980年代のベストセラーは『窓際のトットちゃん』(黒柳徹子)の500万部、『ノルウェイの森』(村上春樹)の350万部、『サラダ記念日』(俵万智)の200万部など。歌集や私小説が売れまくりました。同時に、この時代は長時間労働は益々苛烈になり、1日10時間以上働くサラリーマンは、3人に1人くらいになります。そして、余暇がなくなっていきました。
この時代には「雑誌」が読まれ始めます。エリート層では「プレジデント」などの雑誌、そして大衆層では「Will」が売れ、「女性にモテる術」や「職場の処世術」などが売れるようになりました。
また、カルチャーセンターができ、そこで主婦が「学ぶこと」を始めますが、ここでもそれらを冷ややかにみるエリート層がいることが見て取れます。
■読書は「優越感」を示す道具になりやすい
さて、ここまでで、昭和の初期までの話の歴史ですが、これらの話から、「読書がどのような機能を持つのか?」のヒントが見られます。
以下、本書より引用いたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いつの時代も「大学ではない場で学ぼうとする人々」には、蔑みの視線が向けられるものらしい。(中略)
読書は常に、階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい。重兼のいう「学問への欲求」を、大学で満たせなかった人、あるいは大学を出ても満たせなかった人は、どうしたらいいのかーその答えをエリート層は探そうとしない。
自己表現や自己啓発への欲望を、エリート層が蔑視する。そのような構造は、本書で見てきたように、明治期の夏目漱石が描いた『門』から、80年代のカルチャーセンターへのまなざし、そして現代のオンラインサロンへの言説に至るまで、繰り返されている。
P124
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
同時に、読書という行為の背景には「人生の途中から学ぼうとうする人たち」「そうした自己啓発書やビジネス書を表面的なものとひややかに見る層」などが混在している、社会的な行為が読書であるようです。
■まとめと感想
著者は、”読書や教養とは、学歴を手にしていない人々が階級を上がろうとする際に身につける作業を名付けたものだったのかもしれない(P125)”と述べています。
これを読んで、わかるなあ・・・という気がしました。読みやすいビジネス書を手に取り、そこからのエッセンスを自分の仕事に役立てていく。
しかし、大学院で学ぶと、いつからか専門書を読むことのほうがよりエラくて、ビジネス書は内容が薄い・・・なんて感覚も覚えるようになりました。
これはまさに本書で言われている「教養(知識を重視)」と「修養(行為を重視)」の違いです。こうしたことの違和感を、時代をまたいで俯瞰することで、自分もその一員となっていたことにハッとさせられた、そんな感覚を持ったのでした。
読書とは「人生の途中から学ぼうとうする人たち」「自己啓発書やビジネス書を表面的なものとひややかに見る人たち」、そしてその違いから自分を差異化したい欲求などが混在している社会的なものである、こうした捉え方はこれまでしたことがなく、なるほど・・・!と思ったのでした。
ということで、後半の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?」につながる部分は、次回に続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
※本日のメルマガは「note」にも、図表付きでより詳しく掲載しています。よろしければぜひご覧ください。
<noteの記事はこちら>