知のパラドックス
(今日のお話 1786字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
土曜日は午前から英語塾、
午後はテニス、そして疲れていたのか、
夜9時には就寝で、久しぶりにたっぷり眠っておりました。
*
さて、英語塾で国際情勢やらを学び、
また別の機会で友人、仕事で色々なご縁を頂き、
様々な方とお会いすることが増えています。
そして、同時に自分自身に矢印を当て、
「自らの未熟さ」について、
考える頻度が多くなってきた今日この頃。
今日は自分の心中の、
そんな葛藤を分析する上で、
”腹に落ちた言葉”に出会いましたので、
その言葉と、そこから感じたことについて
共有させていただきたいと思います。
テーマは、
「知のパラドックス」。
それでは、どうぞ。
■先日、会社の上長と話をしている時に、
「今の紀藤のテーマ(課題)は何か?」
ということについて、
何気なく質問されたことがありました。
その時、思わず
自分の口から出た言葉は、
「自らの力量不足です」
という話でした。
そしてそれは実際に最近、
毎日のように強く感じている、
というよりも、
”最近になって、強く感じ始めたこと”
でした。
■しかしながら、同時に疑問に思いました。
何だかんだで「7つの習慣」を心がけ、
日々何かしらのテーマを持つよう努め、
一進一退の毎日ではあるにせよ、
恐らく、経験も知識も
以前よりは増えてきていることは間違いないはず。
それなのに、
知れば知るほど、
経験を積めば積むほど、
人と出会えば出会うほど、
そしてメルマガを書けば書くほど、
知らないことの多さ、
自らの経験の少なさを痛感し、
自信がなくなってくる感覚を覚える。
そして、自分の歩んできた道の軌跡は、
果たしてこれでよかったのだろうか、
と、ふと考えてしまったりする。
晩夏の寂しさのせいでしょうか、
こんな心情の変化が、最近の自らの中に
ふつふつと生まれてきていた、
そんな心情が、
最近の私の中に佇んでいたのでした。
■そんな折、ネット上で、
こんなお話を見つけました。
それは、『知のパラドックス』という話。
どこかで聞いたことがある、
有名な話のように感じる一方、
それが、私の葛藤を上手く言い表していると感じました。
例え話で、このような説明がされています。
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『知のパラドックス』
江戸時代、あなたが、ある小さな村に住んでいたとする。
ゆっくり歩いても1時間足らずで、村を回ることができるような小さな村だ。
そういった狭い村に数年でも住んでいると、村の隅々まで知ることができる。
だが、悲しいことにその村以外に出たことも、
外から人が来たこともないのなら、
その村以外に広い世界があることなど、
あなたは想像することすらできない。
*
しかし、ある時、外から旅人がやってきて、
「江戸や京都のような大都会がある」と、
あなたに教えてくれたとする。
当然、そのようなことは信じられないあなたは、
実際に確かめてみようと、京都に出たとしよう。
すると京都の広い世界にびっくりし、
”自分がそれまで如何に世界をしらなかったか”を
悟るはずだ。
都会に出て知識が増加したはずなのに、
恐らくあなたは、逆に自分がそれまでに持っていた知識など、
取るに足らないような錯覚に陥ることであろう。
*
そして更に、もしあなたが
京都から海外へ出てみたとすると
”自分が如何に狭い範囲の知識しか持っていなかったか”
を更に痛感していくのだろう。
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■きっと、皆様の中でも、
「何かを知ろう、知りたい」
と願う気持ちを持った経験がある方であれば、
近しい感覚を持たれたことがあるのではないかと思います。
何かを知ったり、
新しいことを学べば学ぶほど
「逆に知らない事が多いことを知る」
という、不思議な感覚を覚えるものです。
これを私は、
「こんなに知らないことがあるのだ」
というある種、”痛み”のように感じたわけです。
中には、はたまた、
「まだまだ知らない世界がたくさんある!(面白い)」
とか、
「そんなにたくさん知ってもしかたない」
と、知識欲を追求すること無く、
別の大切なことに目を向ける人など、
様々なパターンがあるのでしょう。
■しかしながら、
どんな捉え方であれ、
感じるものが「痛み」であれ「好奇心」であれ、
現実を冷静に見てみると、
少なくとも、
”新たな知識を得ている”
”新たな世界を知っている”
という意味では、
「前に進んでいる」
と捉えることができるはず。
要は「ものの見方・捉え方」次第で、
今の自分の感覚は
「痛み」にも「成長痛」にも「好奇心」にも、
形を変えられうるもの。
そんなことを、
純粋には”痛み”を感じている自分の胸に手を当てて、
もう一人の自分がつぶやいているのでした。
■自分の中で感じる感情、
それだけに注目すると、なかなか抜けられず、
そこに固執してしまいがちです。
でも、一つの見方に捉えられすぎず、
違った解釈をしてみようとトライしてみることが、
自分の気持ちを早期にリカバリしたり、
自らの気分を上手にコントロールする上で、
一つ、役に立ちうるスキルなのではないか、
自分で書きながら、
そうだよな、そんなものだよな、
と思いつつ、感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、良い1日となりますように。