悲観主義と楽観主義のバランス
(今日のお話 1443字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日日曜日は、カフェで読書など。
山崎豊子の『華麗なる一族』を読んでおりました。
ドラマでも有名になりましたが、
1970年代の銀行再編の動きと、
それに絡む人の欲・野望・野心を描き出しており、
非常に生々しいリアリティを感じる作品です。
ですが、同時に、読んでいると正直、
「人間ってこえー」
「政治家って恐ろしい」
という感情になり、
暗澹とした気持ちも感じるのです。
人間のエゴがリアルに描かれすぎていて、
「人」というものに対して、”悲観的”になってしまう、
そんな感覚を覚えてしまいました。
今日は、そんな小説を読んで感じた
”悲観的”な感情に絡めて、
「悲観主義と楽観主義」
というテーマで、
思うところをお伝えさせて頂ければと思います。
それでは、どうぞ。
■しばしば、
「あまり悲観的になってはいけないよ」
というように、悲観主義に対して、
牽制をするような発言を耳にすることがあります。
事実、私も
”悲観主義すぎる”
というのは、心の毒だと思っていますし、
気持ち緩やかに過ごせたほうが、
心身ともに健康でいられるもの、
そのように思っています。
■少し話が変わりますが、
この「悲観主義」について、こんな興味深い話を聞きました。
それは、
”韓国、中国などの若者と、
日本の若者の考え方の違い”
というテーマについて。
ある調査により、以下の質問について、
それぞれの国の学生に聞いてみたそうです。
その質問とは、
”Q、あなた方の未来は、親世代よりも豊かになると思いますか?”
という単純な質問でした。
■これに対しての答えがどうなったか。
それは、
韓国・中国は、
「そうなると思う」が70%を超え、
日本では、
「そうなると思う」が約35%程度
という結果になったそうです。
すなわち、韓国・中国の半分の若者しか、
日本の若者は未来に期待をしていない。
つまり、日本のこれからを支える人は、
「これから自分達は親世代より悪くなる」
と思っているということになります。
確かに、少子齢化、人口減少など、
日本に対して先行き不安なニュースは、
いくらでも出てくるのが現実。
そう思うのは無理もない気もします。
しかし、悲観的になりすぎると
・お金を節約しよう、
・リスクをもっと考えよう、
・慎重に行こう、
・ミスは許されない、
そんな感覚が大きくなりすぎて、
身動きがとれなくなってしまう、
そんな特徴を持つようになる傾向があるようです。
■これらのお話から、
思うことがあります。
それは、リスクを考えること(ある程度悲観的な発想)は
有効ではあるものの、
「これから不安」
「何も頼れない」
「失敗したら身が危うい」
と思いすぎると、
そのためのリスクを考え、
保守的になり、チャレンジができなくなる、
という影響があるのではないか、ということ。
すなわち、
『悲観主義になりすぎると、挑戦できなくなる」
ということに繋がるのではないか、
そのように思ったのです。
■適度な悲観主義は大事。
でも、
何があるかわからない、
心配でしかたない、
これを言ったら嫌われるかも、
こんなことをやって失敗したら後に響く、
などと、リスクばかり考えていたら、
硬直して動けなくなるもの。
そう考えると、
私の英語塾の師がいっていたように
【Pessimistic makes nothing.】
(=悲観主義は何も生まない)
というのは、一つの真実ではないか、
と感じるわけです。
「悲観主義」に偏りやすい現代。
ですが、偏り過ぎると動きが止まるということを念頭に、
自分の中の、
『悲観主義と楽観主義のバランス』
を考えて、偏りすぎず、
適度なリスクと挑戦の気持ちを保てるようにいたい、
そして新しい物を生み出す力を蓄え続けたい、
そんなことを考えた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、良い1日となりますように。