「頭の良い人は何をやっても有能なのか説」の一つの答え ―読書レビュー『遺伝マインド』#5
(本日のお話 2454字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日金曜日は、ひたすら「生成AIのスライド作成の勉強&アウトプット」を現在進めている企画で、行っていました。
それなりの金額を投資して勉強していますが、本当にこの領域のスピードの速さは凄まじいものがあります。
新しい習慣を楽しみながら身につけたいと思う今日このごろ。
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さて、本日のお話です。
先日より、遺伝子が心や行動に与える影響を科学する「行動遺伝学」をテーマに学びを共有しております。
本日も引き続き「第3章 遺伝のはなし」をお伝えしてまいりたいと思います。
今日は、「あらゆる認知能力に影響を与える『一般因子』の存在」という、ややマニアックな話をお伝えしたいと思います。それではどうぞ!
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『遺伝マインド --遺伝子が織り成す行動と文化』 (有斐閣Insight)
安藤 寿康 (著)
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<目次>
「遺伝的に素質があるかどうか」はわからない?
「頭の良い人は、何をやっても有能なのか説」の一つの答え
「パーソナリティ」も遺伝の影響を受ける?!
まとめと感想
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■「遺伝的に素質があるかどうか」はわからない?
「自分の”遺伝的に素質があること”はどこなのか?」
それが、ピアノなのか、マラソンなのか、短距離走なのか、サッカーなのか、ダンスなのか、はたまた水泳なのか…。遺伝子の話をすると、こういう素朴な疑問が浮かんできます。
もし自分の遺伝的な素質が具体的にわかれば、成功する確率も高まりそう。なので、とても気になります。しかし、本書では、このように述べています。
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私の遺伝的条件、あなたの遺伝的素質それ自体を知ることはとても難しく、ましてや言葉としてそれを表現することはほとんど不可能ということだ。(中略)遺伝子そのものには「ピアノの素質」も「マラソンの素質」もコードされていない。
(P73)
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あ、、、遺伝的な素質を知ることは「とても難しい」そして、それが何なのかを言葉で表すことは「ほとんど不可能」なのですね(汗)。
私たちは、例えば子どもにピアノやマラソンをやらせてみて、他者と比べて高い伸び率を見せた時に、そのことから「あの子にはピアノの素質がある」「マラソンの素質がある」などと判断します。
ですが、ピアノ遺伝子やマラソン遺伝子があるわけではなく、それは多様な遺伝子の相互作用としての結果であり、結局は「やらせてみないとわからない」というのが答えのようです。
■「頭の良い人は、何をやっても有能なのか説」の一つの答え
さて、またもう一つ言われるのが「頭の良い人は、何をやっても有能」という考えが言われることがあります。そういえば、うちの父もそんなことをいっていたような・・・(独り言です)。
もうちょっとかしこまっていうと、認知能力には、言語的知性、空間的知性、論理的推論能力などがあるのですが、行動遺伝学では、それぞれの能力に特有の「特殊因子」と、全体にまたがった「一般因子」の二種類からなることが示されているようです(Spearman,1904)。
そして、認知能力においても「一般因子」の存在が確認されました。
これがどういうことかというと、読む力や算数、空間認知能力などの様々な認知能力の全体にまたがる「一般知能」があるというのは、いってしまえば”一般知能が高い人はあらゆることに有能である”という話に近い話となります。
以下、本文より「不都合な真実」ともいえる一節を引用します。
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だがこの話は我々を否応なく悲観的にさせる。要するに頭のよさという一般的な働きがあり、その個人差の多くが遺伝子の違いによるものであって、遺伝的に頭のいい人はたいがい何をやらせても有能で、逆に遺伝的に頭の悪い人は何をやらせてもパッとしないものなのだと言っているのである。
多重知能説は一般知能説に対する救世主であった。それは一般的な頭のよさなど想定するのは幻想だと言い切ってくれていたからである。だが少なくともふたご研究のエビデンスはそれを力強く支持してはくれない。
(P84)
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多くの人は一般知能だけで片付けられない経験や個性で、独自の能力を習得し、貢献しているものの、一方で「一般知能が強く求められる場面が、現実には多く存在する」ことを著者は述べています。。
もちろん遺伝が全てを決めるわけではないとはいえ、この一般知能の存在は「頭の良い人は何をやらせても有能である」と言及されている点に、一つの見方を提供しているように思うのでした。
■「パーソナリティ」も遺伝の影響を受ける?!
次に、パーソナリティ(性格)と遺伝の話も述べられていました。
人には様々な性格特性があり、性格の研究は20世紀のはじめごろまで遡ります。(当時、オールポートという高名な性格心理学者が辞書から1万7953個の性格記述を抽出したそうです)
性格の研究で代表的なものに「ビッグファイブ理論」(外向性、開放性、神経症傾向、協調性、誠実性)があります。このビッグファイブと遺伝要因を多文化にわたって調べたところ、ビッグファイブには5種類の遺伝因子が作用しており、これが文化を超えて普遍的であったことがわかりました。
また、クロニンジャーによる「パーソナリティ構造の理論」も提唱されており、これはパーソナリティがドーパミンやセロトニン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質や遺伝的要因、さらには環境的要因と相互に関係して形成されると考えました。特に気質と性格を分けたこと、そして「生まれつきの特性」と「成長や学習を通じて変化・発達する特性」を区別し、両者の相互作用を重視する点に独自性がある理論です。
いずれにせよ、どちらの理論も「パーソナリティと遺伝の関係性」も示されているところがポイントです。
■まとめと感想
ますますマニアックになってきましたが、やっぱり人は違うんだよな、と認めるような感覚を覚えております。
個人的な話をすると、自分はどこか能力的に「中くらい感」を感じてはいます(何を持って中くらいかというと感覚でしかないのですが)。しかしながら、こうした遺伝子が自分に渡されたのも一つのギフトみたいなものと考える。そして、変えられないものは受け入れ、変えられるものを変えていこうと割り切る。そう思えると、逆に気持ちよく生きられるような気もしました。
凡人でも、noteを更新することはできますし、こんな感じで毎日コツコツ続けて、行けるところまで行ってみたいと思います。
一方、この考えがのちの優生学へと繋がった歴史もあるようなので、安易に「遺伝決定論」にならないよう、改めて注意が必要だと感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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