口先だけの理想論者にならない
(今日のお話 1776字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
すっかり土曜日の夜になってしまいましたが、
金曜日のご報告。
昨日は2件のアポイント、
ならびに夜は、とある会合に参加でした。
参加をしたのは、
「サムライ塾」
と称される学びの会です。
今まで「7つの習慣」だけでなく、
個人的にも時間とお金(そして妻)が許す限り、
色々な学びの場に足を運んでいましたが、
これほど衝撃を受ける会合は久しくありませんでした。
名前の如く、
「現代の”サムライ”を育てる」
(=海外にも通ずるビジネス・パーソンを育てる)
という名目で、
某有名外資系企業で活躍してきた人が、
”人としてのあり方”
とでもいうのでしょうか、
会社では学べない目に見えないもの、
喧々諤々、ガチンコでぶつかり合いながら体得しよう、
そんなコンセプトの会合です。
*
今日は、その会にする中で出会った、
ある”言葉”から
大切だと感じたことについて、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
テーマは、
「口先だけの理想論者にならない」。
それではどうぞ。
■最近、
個人的に参加している「英語塾」
(=国際問題や国際教養を考える塾)、
そして最近見た映画「シンゴジラ」、
(=これまたある意味、国際問題や
国防について考えさせられます)
などを通じて、
日本、そして外交問題、国際問題について
無知なりに考える機会が
増えております。
今まで恥ずかしながら、
真剣に考えることが少なかった、
北朝鮮の問題、
中国の尖閣諸島の問題。
日本の国防(第9条)をどうするのか。
これらの問題について考える中で、
まだ明確な答えはない状況ではありますが、
一つの腹に落ちる、
「ある言葉」と出会いました。
それが、上述の
「サムライ塾」の塾長であり、
元日本バドワイザーの会長でもある近藤氏が語った
こんな言葉でした。
それは、
『力の前に、言葉だけの正義は何の意味もない』
という言葉。
■これは主に日本の国のあり方について、
言及された言葉ですが、個人の話にも置き換えられます。
例えば、個人の生活において、
誰か(家族や恋人)を守りたいとする。
しかしながら、言葉の上で、
「争いごとはよくない」
「平和的に解決しよう」
「絶対に守る」
と、理想的な言葉を発する反面、
もし自らに何かを”守る力”がなかったとしたら。
残念ながら一定数存在する「悪人」
(とあえていってしまいますが)から、
「自らの大切な人やモノ」を
守り切ることができず、
結局傷つけてしまう結果になる。
そして、その美しい言葉が、
結果的に空虚なものとなってしまう。
これもまた、
国家間、また個人間において、
現実に起こりうる一つの事実のように思います。
■そして、そんなことを考えつつ、
ふと思いました。
「理想を語る」ということは、
本当に大事なことです。
それは人を勇気づけ、
美しい未来を想像させて、
鼓舞し、現状を変える力を持ちます。
しかし、
「理想を語る」と同時に、
「現実を見る」こと、すなわち、
【口先だけの理想論者にならない】
ということが、
理想を語ることと同様に、
否、それ以上に大切なことではないか、
と感じたわけです。
■私がお手伝いしている、
研修で伝えていることも、全く同じです。
「目的を持とう」
「主体的でいよう」
「諦めず、相手との協力を実現しよう」
これらの言葉は、
真実であり、原則です。
だから、耳障りが良いし、
ある意味誰も否定ができない。
でも、その「理想的な言葉」を
自分は現実に活かすべく「実行」できているか。
それらの「理想」を語れるだけの成果を出し、
人の心を惹きつけられているか。
「また言っている」と陰で言われている
裸の王様になってはいまいか。
言行一致になっているか。
「言葉だけの正義」になってはいまいか。
そんなことを自分に問い続けることが
重要なのでないか、
そのように思ったのです。
■「理想」と「現実」には
常に、ギャップがあります。
理想を目指すことは大事です。
しかし、それをただ言っているだけで、
中身が伴わなくては、本末転倒であり、
「力の前の、”言葉の正義”は無力」
という話と同様に、
『口先だけの理想論者も、無力である』
ということも、
厳しく認識しておくことが、
大事なのではないか、
そのように感じます。
だからこそ、
・”口先で理想を語る”だけで満足しないこと。
・「現実」を変えるための、「理想」。
・実行なき「理想」は虚構
そんなことも、頭の中で
認識しておく必要があるのでは、
そんなことを思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、良い1日となりますように。