「努力の方向性」は間違っていないか
(今日のお話 1043字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は有給を頂き、
引き続き長野に行っておりました。
さて、夏休みも終わりということで、
今日からフル稼働したいと思います。
*
さて、早速ですが、
本日のお話です。
元々長野に行ったのは、
テニスコーチ主催の「テニス合宿」に
参加したことがきっかけだったのですが、
そのイベントにおいて、改めて
”「コーチ」の重要性”というものを
痛感いたしました。
今日は、
「努力の方向性」
というテーマで、
自己を効率よく、効果的に成長させるにあたっての気付きを
皆様にご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■ テニスのコーチが、
練習中に、こんな言葉を行っていました。
「変なフォームの時に、
いくら打っても意味が無い。
いいイメージの時に反復させて、
そうじゃないときは一旦やめる。
正しい打ち方で練習を繰り返さないと、
変な打ち方のクセがつくだけ。
上手くなるどころか、
逆に”退化”することだってあるんですよ」
と。
■ 上手く行かないと、悩みます。
「なんで上手くいかないんだろう」
「もっと上手くなりたい、上達したい」
「もっと練習せねば」
そう強く思って、たとえ、
「たゆまぬ努力」
を重ねたとしても
もし、その方向性が間違っていたとしたら、
どうなるのか。
自分では「これでいい」と思っていたのに
レベルが数段上の人から見たら、
「間違っている」やり方だったとしたら、
何が起こるのか。
残念ながら、
コーチが言うように、
「努力報われず、むしろ退化する」
(=成果がでない悪癖が身につく)
ということすら、
起こりうるのでしょう。
■ 「悪癖」がつくと、
それを剥がすため、修正するために、
さらに時間が必要になります。
と、すると、
何か自分がこれから始めよう、
またはできるだけ最短距離で
熟達への道を歩もうとするのであれば、
「その方向は間違っているよ」
「このまま行けば大丈夫だよ」
と、耳元で常に言ってくれる
その道を通ってきた数段上の存在、
すなわち、いわゆる、
「コーチ」や「指導者」
なる存在が、
大変重要になるのだろう、
そのように思いました。
■ オリンピックが閉会をしましたが、
たくさんの選手の脇に、共に歩んできたであろう
「監督」「コーチ」「指導者」
なる存在がいて、
常に選手を励まし、
共に喜び、そして声をかけるシーンが、
幾度となく見られました。
完全なる超一流で、
プロである彼・彼女らですら、
そのような「道を示すもの」の存在がいるもの。
だからこそ、
何かを身に付けようとする際は、
その道において、
『努力の方向性が間違っていないか』
を指南し、導いてくれる存在を持つことが、
自らを上手に育てる上で、
とても重要なことなのであろう、
そのように感じた次第です。
自分のこだわりの分野においては、
仕事でも、プライベートでも、
いい指導者・コーチ、先輩、
見つけていきたいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日も皆様にとって素晴らしい一日となりますように。