他人の努力は見えない
(今日のお話 1661文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日より長野県上田市に、
テニススクールの仲間と
コーチと、そして妻と共に来ております。
10名ほどで、
1日中テニスをするという
通称”テニス合宿”です。
毎年、恒例で、
コーチが持っているという小さな別荘に来て、
朝から夜までテニスをするという、
なかなか贅沢な時間でした。
*
今日は、そんなテニスから感じた、
私の悔しい想いと、学びについて
「他人の努力は見えない」
というテーマで、
思うところをお伝えしたいと思います。
それでは、どうぞ。
■ 私の通っているテニススクールには、
男性4人がいて、それなりに実力が拮抗しており、
お互い高め合えるような、よい仲間がいます。
そして、昨日もその仲間と
テニスにやるなかで、
「久しぶりにチームを組んで団体戦をやろう」
という話になりました。
そして、真面目にゲームをしてみたのですが、
その結果わかったことが、ありました。
それは、
「ものすごい、実力差がついていた」(悪い意味で)
ということ。
すなわち、めちゃめちゃボコボコにされたのでした。
去年まで勝っていて、
恐らく自分の方がまだ(ちょっとだけ)上手いかな、
と思っていた相手にも、全然、歯が立たなかったのです。
ラリーも、必ず私が先にミスする。
仲間は出来ることが増えているが、私は増えていない。
私はサーブが入らない、
相手はサーブが入る。
そんな力量の差が生まれたことを
自分で体感し、さすがにヘコみ、
しばらく鬱々としておりました。
■ そんな中、ふとコーチが
私にこんなことを言いました。
「紀藤さんも前より上手くなっていますよ。
でも、皆さんは、結構、スクール以外でも影で
かなり色々やっていたみたいです。
◯◯さんも、△△さんも、毎月試合に出てますし
それを踏まえた上で課題をもって、
私(コーチ)にプライベートレッスンを
毎週、お願いしてきたりもしてますし。
見えないところで、かなりやっているから、
やっぱり出来ることが、皆さん、増えていますよね。」
と。
コーチは、
「紀藤さんも、まだまだ改善点があるから、
それをこれからテーマにやっていきましょう」
などと励ましてくれましたが、
私は、実力差についてのショックと共に、
改めて、世の中に存在している、
ある”原則”のようなものを、
感じずにはいられませんでした。
そして、それは、
「結局は努力の量」
というシンプルな話であり、かつ、
『自分の努力は見えるけど、
他人の努力は見えない。』
ということなのでした。
■ 私もテニススクールは、
時間が許す限り行っていたつもりだし、
自分自身の課題にも、
自分なリに取り組んでいた”つもり”でした。
だから、今回も、
成長した自分を見せつけられるのではないか、
なんて、甘く思っていました。
しかし、実際は
「自分の努力」を過大評価していただけで、
「相手の努力」があることを、
きちんと認識していなかっただけ。
『自分のことを、やってきたことを
「過大評価」してしまっていただけ』、
だったのです。
(とほほ)
■ 改めて思いますが、
ある程度のセンスの差や
要領の差こそあれ、結局は、
「積み重ねてきたモノの差」
が全てなのでしょう。
他の人が寝ている間に、
たくさんの努力をしている人。
何となく他の人が練習しているときに、
全身全霊の集中力で練習に取り組む人。
そういった
「積み重ねてきた時間」と「積み重ねてきた密度」
の総量を常に高くしようとすることこそが
自分の実力を高め、成長へと自分を導く、
唯一無二の方法なのではないか、
そんなことを強く感じました。
■ もちろん、
何をどれだけ真剣にやるのか、
何にどれだけ時間を投資するのか、
ということは、
それぞれの人の”選択”なので、
絶対に努力をしなければいけない、
という類のものではありません。
でも、自分が負けたくない、
ちょっとでも前進したい、
と思うことについては、
『自分は、たくさんの時間を積み上げているか』
『自分は、多大な密度(集中力)で取り組んでいるか』
この問いを常に自分に投げかけてゆくことが、
私のように、悶々とした気持ちを味わわないためにも、
重要なことではないだろう、
そのように思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。