「どう扱われるか」、で花売りにもレディにもなる
(今日のお話 2335文字/読了時間2分半)
■ おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
街はまだお盆休みなのか人が少なく、
ゆとりを感じつつ仕事ができました。
夜は、読書や英語学習など。
*
さて、本日のお話です。
最近、1950年代、
60年代の映画にハマっています。
特にオードリー・ヘップバーン主演の作品は、
本当に面白く、かつオードリーがとてつもなく
チャーミングで、食い入るように見ております(笑い)
今日は、週末にみた、
『マイ・フェア・レディ』
という、1968年公開の
オードリー主演の映画より、
「どう扱われるか、で人は変わる」
というテーマで、気付いたことを、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■ マイ・フェア・レディのあらすじ。
ロンドンの下町、
夜の巷で花を売っていた少女イライザ(オードリー)。
彼女は、酷いなまりで、
レディ(淑女)とは程遠い存在だった。
しかし、通りかかった、
ヘンリー・ヒギンズという教授に、
「半年あれば発音を直して、レディにして見せる」
と断言され、そして夜の下町の、
半ば浮浪者のような生活から一転、
スパルタの如き、
発音矯正の特訓が始まり、
またレディとしての振る舞いを身に着けていく、
そんなストーリーの映画。
■ 非常に素晴らしい映画なので、
詳しい内容は是非見ていただきたいのですが、
後半、オードリー演じるイライザは、
見事に”レディ”へと変化を遂げていきます。
王様にも、
「なんと美しい」
と言われるほどになるイライザ。
しかしながら、ある夜、
イライザは教授に対して、ある不満をぶつけます。
それは、教授が彼女に対して、
いつまでたっても、
「下品な花売りの分際で!」
「メモしとけ!」
「オレが育ててやったのに!」
みたいに、高飛車かつ、
雑な対応をすることに我慢がならず、
つい放った言葉です。
それは、こんなセリフした。
『レディと花売りの違いは、
”どう振る舞うかではなく、どう扱われるか”です。
私は(教授ではなく)大佐に、
紳士淑女とは何かを学びました。』
ちなみに「大佐」というのは、
教授と共にイライザを教えた、
物腰柔らかい紳士。
小汚い花売りのときから、
イライザに対して、丁寧に接していました。
彼女は、そんな彼の、
イライザに対しての態度から、
「私は紳士淑女たるものは何かを学んだ」
と言ったのです。
そして、そんな中、
教授に対してぶつけた不満が、
「レディと花売りの違いは、
”どう振る舞うかでなく、どう扱われるか”です」
(= あなたが「花売り」としか扱わないから、
私は、あなたの前では雑な小娘です、みたいな意)
という言葉でした。
■ そして、マイ・フェア・レディの
この一連のシーンを見て、ふと思ったのです。
「人を育てる原則」とは、
まさしく、イライザが言った、
『どう振る舞うかではなく、どう扱われるか』
という言葉に、
まさしく表されているのだろうな、と。
■ 少し脇道に逸れますが、
この『どう振る舞うかではなく、どう扱われるか』が
与える影響について、ある心理学の実験があります。
皆様もご存じの方が多いかもしれませんが、
「ピグマリオン効果」
という実験です。
それは、こんな内容と実験でした。
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「ピグマリオン効果」とは
1964年に米国の教育心理学者
ロバート・ローゼンタールによって提唱された、
「期待と成果に関する効果」のこと。
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ローゼンタールは学校における実験を通して、
『人間は期待された通りの成果を出す傾向がある』
ことを主張しました。
この学校における実験は、サンフランシスコの小学校で行われました。
担任の教師に対して、
「学期の最初に特別なテストを実施して、
今後成績が伸びる可能性が高い生徒が誰なのか」
(=誰が高いIQを持っているのか)
を教えました。
でも、実際のところ、それは嘘。
これらの生徒は実力に関わらず無作為に選ばれただけの生徒。
つまり、伸びる可能性も、IQも変わらなかったのです。
それにも関わらず、
8ヶ月後に再びテストを実施すると、
”「有望だとされた生徒」は、
他の生徒よりも実際に成績が伸びていた”
という結果になったのです。
つまり、先生は、「成績が伸びる可能性がある生徒」という、
”刷り込み”がされており、そのように接したところ、
成績が伸びた、というお話。
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■ つまり、ピグマリオン効果によると、
「人は期待されるようになる」
ということが言えるのです。
すなわち、言い換えるのであれば、
イライザが言ったように、
【”どう振る舞うかでなく、どう扱われるか”によって、
その人はどうにでも変わる】
ということ。
■ そして、このことは、
仕事やプライベートにおいて、
大切な気付きを与えてくれるように思います。
皆様の回りにいる、
妻/夫、に対して、
子供に対して、
はたまた、部下に対して。
自分はどう接しているだろうか、ということ。
例えば、
「お前は出来ないヤツだからな。
頑張っても、無理なんだよ。」
なんて、接し続けたとすると、
それは可能性の芽を積むことになるでしょう。
当然、能力を開花する確率が低くなります。
(まあ、皆様はそんなことはないと思いますが)
しかし逆に、
「キミは本当に素晴らしい。
可能性にあふれている。
絶対できる、そう信じているよ!」
なんて鼓舞すれば、
可能性の芽を、伸ばし、成長させ、
何かを成し遂げる可能性も、
俄然、高まるのでしょう。
■ 人は、期待に応えたい生き物。
期待されれば、頑張ります。
信じてもらえれば、頑張ろうと思えます。
マイ・フェア・レディでも語られたように、
”どう扱われるか”で、人は変わります。
「どう扱われるか、で花売りにレディにもなる」のです。
だからこそ、誰かに接する時、
「人を育てよう」と思う際は、
”否定をする” でなく、
”可能性を信じる”こと。
そしてそれを伝えるべく、
その気持を表現していくこと。
こんなことが、
仕事でもプライベートでも、
人の可能性を伸ばし、成長させる上で、
大切なことなのであろう、
そのように思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。