いたずらな謙遜は侮りを招く
(今日のお話 1665文字/読了時間2分)
■ おはようございます。紀藤です。
昨日は1件のアポイント。
ならびに企画書作成、
また夜は”新人研修ディスカバリー”の、
「社内ファシリテーター」の方が集まられるということで、
情報交換会(飲み会?)に参加。
やはり、人材育成で、
影響を継続的に与えていこうとするのであれば、
「教育に想いがある人が、
内部(社内)からメッセージを伝え続けること」
というのは、ものすごく重要だな、と感じた一夜。
情熱をお持ちの方と時間を共にできて、
充実した夜でした。
(Iさん、Hさん、Kさん、ありがとうございました!
非常に楽しい時間でした。
社内ファシリテーターの取り組みも、
引き続きサポートさせていただきます)
さて、本日のお話です。
先日、元外資系トップの方との勉強会にて、
非常に納得させられる言葉を教えていただきました。
それは、
「いたずらな謙遜は侮りを招く」
という言葉。
今日は、上記の言葉の真意と、
そこから感じた「自分のあり方」について、
思うところをお伝えさせていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■ 誰もが知るグローバル企業の、
元日本法人のCEOの方。
彼は、
”「グローバル化」と言われる世の中で、
これから日本人にますます必要となってくる考え”
について、語られました。
その言葉が、
『いたずらな謙遜は侮りを招く』
というもの。
■ 日本人の素晴らしい特質として、
”謙遜すること”、すなわち、
「謙虚さ」
があげられる、と彼は言います。
しかし
「謙遜しすぎ」「謙虚すぎ」
というのは、時に自分を必要以上に下に落とすことがある、
そしてそれは、
特に国や文化が違う国で、
人と対峙するにあたっては、
”相手から無駄に舐められる”
(= 対等でない、不健全な状態)
状況を自ら招いてしまう、
そんな危険性がある、
そんなお話でした。
■ ”謙虚であること”は、
美徳であり、誰もが認める、
素晴らしい資質です。
しかし、そんな”謙虚さ”も、
何も考えず、乱発しすぎると、
「いやいや、自分なんて、
もう全然大した事ないです」
「もう、自分なんて、
ミジンコみたいなもんです」
「いやはや、先生のおっしゃることには、
もう頭が上がりませんねえ」
というように、
”謙虚”を通り越して、
”卑下”や”媚び”になってしまい、
”自分への尊厳”や”誇り”を忘れてしまう、
結果、相手から、
自分を粗末に扱われてしまう、
こんなことにもなりかねない、
ということなのです。
■ 「謙虚さ」とは何か。
改めてその言葉の定義を調べてみると、
このような説明がありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
けんきょ【謙虚】
《名・ダナ》自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この説明から察するに、
”謙虚さ”の究極の目的とは、
「学ぶ気持ちを忘れないこと」であり、
「自分を無闇に下に落とすこと」ではない、
そのように察することができます。
■ ”いたずらに謙遜しない”こと。
”やたらめったら謙虚になりすぎない”こと。
一見矛盾するような考えかもしれません。
しかし、
自分に対する「尊敬」と「誇り」を持ち、
どんな立場や相手だったとしても、
そして堂々と主張すべきところは主張すること。
これは、
謙虚な国民性である日本人としても、
胸にとどめておく言葉ではないか、
そのように強く思ったのです。
さすれば、結果として、
グローバル化、多様化などと言われる世の中において、
・相手を尊敬し、
・そして同時に、自分にも「誇り」を持ち、
・すると結果として、
相手から尊敬・尊重され、
良好なWin-Winの関係を作ることができる
そんなプラスの循環に繋がっていく、
そのように感じます。
改めて、
【いたずらな謙遜は侮りを招く】。
この言葉を胸にとどめつつ、
自分に対しても誇り高く1日を過ごして行きたいものだ、
そのように感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。