『木を植えた男』が、思い描いた世界
(今日のお話 1995文字/読了時間2分)
■ おはようございます。紀藤です。
昨日はTOEICを受けてまいりました。
テストが新しいバージョンに代わって、
話者が急に3人位出てきて、焦りました。
まだまだだなあ、と改めて実感。
手応えは、残念ながらありません(涙)
帰り道はポケモンGOで、
モンスターを捕まえながら帰路へと。
そしてその後、テニススクールへ。
*
さて、本日のお話です。
突然ですが、皆さま
『木を植えた男』(著:ジャン・ジオノ)
という絵本をご存知でしょうか。
フランスの絵本で、
1895年に生まれた著者が書いた本で、
”偉大な生き方”
”不屈の精神”
など、人生の様々なエッセンスを学べる、
非常に素晴らしい本です。
今日はその本から、
「木を植えた男が、見ていた世界」
というテーマで、
思うところをご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■ 「木を植えた男」のお話は、
”私”なる人物の懐古録から始まります。
以下、一部引用しながら、
お話のあらすじです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
話は、何十年も昔にさかのぼる。
あれはたしか1913年のこと。
”私”は、フランスのプロヴァンス地方の、
波の旅人なら、足も踏み入れぬような山脈の道を、
若い足に任せて突き進んでいた。
底は、草木もまばら、全くの荒れ地。
人は住まず、見捨てられた村があるだけ。
枯れ果てた水。
スズメバチの巣のような廃屋。
人が争った爪あと。
そんな山の風景がただ広がっていた。
そこにある村は、荒れていくに任せ、
食料を争い、水を争う、
4つか5つの村があるだけだった。
彼らの願いはひとつ、
ただその場所をぬけ出すことだけだった。
*
山脈の中に、一つの小屋があった。
そこで、ある男と出会う。
彼は、羊飼いの男だった。
彼は誰もいない荒れ地の真ん中で、
30頭ばかりの羊を飼いながら、
ひたすら「どんぐり」を植えていた。
私は思わず聞いた。
「あなたの土地ですか?」
彼は答えた。
「いいや、ちがう。」
そして続けた。
「誰のものだか知らないが、そんなことはどうでもいいさ」
と。
*
そういって、ただただ彼は、
丁寧に100粒のどんぐりを植えていった。
彼は3年前からこの荒れ地に、
木を植え続けているという。
10万個の種を植え、
そしてきっと残るであろう1万本のカシワの木が、
そこに根付くことを、思い描いて。
*
彼は55歳だった。
ただ、死を待つばかりと思われる男は、
ただただ、木を植え続けた。
そして、10年が経ち、
あの荒れ果てた土地は、
私の肩に振りかかるほどの高さになっていた。
そこには小川のせせらぎが流れ、
森が出来つつ合った。
緑が溢れ、生命が息を吹き返しているようだった。
*
そして、20年がたった。
政府の派遣団が素晴らしいと噂の
”自然林”
の視察にやってきた。
この場所を、国の保護区にするという。
そこは、彼がどんぐりを植えた、
かつて荒れはてた、争いの絶えない地であった。
いまは、すっかり変わっていた。
空気までが、変わっていた。
ほこりまみれの疾風のかわりに、
甘いそよ風が、あたりを柔らかく包んでいた。
山のほうからは、水のせせらぎにも似た音が聞こえてくる。
森からは木のさざめく声がする。
廃屋は跡形もなく片付けられ、
村の人口も増えて、若い夫婦もできていた。
キャベツにバラの花。
ネギと金魚草、セロリとアネモネの花。
色とりどりの住みたい家々たち。
男女が笑い、生活を楽しみ、
1万を超える人達は、その幸せを享受していた。
*
たった一人の男が、
その肉体と精神をぎりぎりに切り詰め、
木を植え続けたこと。
荒れ果てたちを、
幸いの地としてよみがえらせた一人の男。
その存在を、人々は知らない。
『木を植えた男』より一部引用
~~~~~~~~~~~~~~~~~
■ 荒れ果て達に、誰も知られず、
木を植え続けること。
自分の人生と精神と肉体を削り、
「誰のものだか知らないが、
そんなことはどうでもいいさ」
と、争いの中で、
一筋の光のように、
信じることをただひたすらに、
愚直に続けること。
このエピソードから、
「本当に偉大な命の燃やし方とは」
について、思わずにはいられません。
■ もちろん、私たちは、
自らを犠牲にして、全てを賭すほど、
聖人君子には、なかなかなれないもの。
それでも、今やっていることが、
木を植えた男のように、
『荒れ果てたこの地を、
幸いの地へと蘇らせる』
という、誰かのため、
未来のための強い想いがあったとしたら、
それほど力強いエネルギーはない、
そのようにも思うのです。
■ 未来に続く今に生きる誰もが、
自分達が出来ることの範囲で、
「木を植える」
如く行為は、誰もができるはず。
綺麗事で青臭いことかもしれません。
でも、それこそが、
より良く生きる上で、
そして、自分が命を終わらせる瞬間に誇りに思える。
”偉大な生き方”
なのかもしれない、
そんなことを思った次第です。
誰かのために、今できること、
小さなことでも少しずつ、
やっていきたいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。