「ポケモンGO」から学ぶ、”世界をあるがままに見る”という原則
(今日のお話 2993文字/読了時間3分半)
■ こんにちは。紀藤です。
先週は1日平均アポイントが5件と、
通常よりハードスケジュールでした。
というわけで、本日は、
ちょっと郊外にある同僚のお家に遊びにいきました。
そして近くの公園で一緒にザリガニ取りや、
カエル取りなどをしてみました。
実に20数年ぶりでしたが、かなり楽しめました。
やっぱり自然はいいものですね。
*
さて、川や池で、
”カエル取り”や”ザリガニ取り”を
楽しんでいた今日。
世間では「ポケモンGO」で、
”モンスター取り”をスマートフォンで
楽しむ人で街が溢れかえっていたようです。
夕方のニュースにもなっていました。
私も、「流行りモノはとりあえず試してみよう」、
ということで、今日のお昼にダウンロードをして、
少しやってみたのですが、予想外の発見がありました。
今日は、そんな「ポケモンGO」の体験から気づいた、
”踏み込むからこそ、見える世界がある”
というテーマで、気づいたことを皆様に
ご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■ 午後13時。高田馬場駅にて。
郊外の友人宅へ向かう、
西武新宿線に乗るまでに、
少し時間がありました。
ニュースや新聞で、
「ポケモンGO、いよいよ日本上陸!」
という話題を、そこら中で見かけます。
そして、流行っているものには、
何かしらの理由があるもの。
私の私見ではありますが、
ゲームは時間の無駄、というイメージがあり、
ゲームはあまり好きではありません。
ですが、個人的に好きか嫌いか、
意味があるかないかを判断するのは、
”体験してから決める”、
ことが筋ではないかな、と感じます。
だから、全く知らないし、
ポケモンGOが何なのかもわからないまま、
「たかだがゲーム。時間の無駄。」
と全否定してしまうのは、
違う気がする、と思うのです。
と、いうわけで、
どんなものだろうかと、試してみました。
そして、スマフォに向かい合います。
■ 高田馬場駅の早稲田口。
交差点には、たくさんの人がいます。
学生さん、社会人の人、カップル、子供連れ、
休日にはいろんな人がいて、
皆それぞれ待ち合わせか何かでしょうか。
携帯を見て、それぞれが何かしています。
その中で、私は携帯をいじり、
「ポケモンGO」をダウンロードしました。
そして、早速やってみます。
最初にニックネームを決め、
キャラクターの服などを決めました。
すると早速、ゲームが始まります。
スマフォには“今いる場所”を表した、
「地図」が、画面に出てきます。
これが、現実の世界と連動をしているようです。
実にそっくりの地図がでてきます。
この中で、特定の場所にいき、
スマートフォンをかざすと、
”モンスター”が出てきたり
”アイテム”がゲットできたりします。
実際、ピカピカ光っているところまで歩いていくと、
早速、“モンスター”を発見!
そこにスマートフォンで写したまま
画面上で”モンスターボール”なるもので、捕獲し、成功。
そして他にもいないかと、
まるでスタンプラリーや、
オリエンテーリングをするかのごとく、
その他にも、捕まえていきます。
■ 気づけばゲームを楽しみ、
胸の中で、静かに思います。
(何だかちょっと楽しいな)
満足をして、一息ついて、
ふと顔を見上げます。
すると、あることに気が付きました。
そして、その状況を理解した時に
正直、ちょっと空恐ろしい感覚と共に、
驚愕をしたのです。
■ それは、実は、
”周りの殆どの人が、私と同じ行動をしていた”
ということに気がついたから。
つまり、
『その場にいる6~7割くらいが、
「ポケモンGO」をやっていた』
ということです。
それを、今の今まで、気づかなかっただけ。
私は、自分が「ポケモンGO」を
ダウンロードしてやってみるまで、
「皆が、駅前でスマフォをいじっている」
としか思っていませんでした。
きっと、メールをしたり、
ネットをみたり、音楽を聞いたりしているのだろう、
そう思っていました。
でも、自分が「ポケモンGO」をやってみて、
「ポケモンGO」という”メガネ”をかけた瞬間、
『高田馬場駅の前の大半が、
実は「ポケモンGO」にまつわる行動をしている』
ということに、
気が付かされたのです。
気づかなかったけれど、皆が同じ動作をしていた。
気づかなかったけれど、確かに皆が、
同じ方向にカメラを向けている。
ちらりと見える画面が、
ふと思えば、皆「ポケモンGO」。
友達同士の会話が、
「今度はあっちいこうよ(モンスターを捕まえに)」だった。
たった一度だけです。
「ポケモンGO」という世界に、
何となく足を踏み入れたこと。
それだけで、世界が一変して見えた。
その代わりっぷりに、
自分自身が驚いてしまったのです。
(人混みの殆どが同じ行動をしている、という様子は、
うわー、スゴいなあ・・・と思わざるを得ませんでした)
■ さて、この話から、何が言いたいのか。
それが、冒頭にお伝えした、
『踏み込むからこそ、見える世界がある』
ということなのです。
「7つの習慣」の著者、
スティーブン・R・コヴィーは、
このような言葉を残しました。
”私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、
私たちのあるがままに見ているのだ”
と。
先ほどの経験で言えば、
「ポケモンGO」を知らない時は、
”携帯をいじっている人は、メールやネットでもしているのだろう“
と私は見ていました。
それが、「ポケモンGO」を知った後は、
“携帯をいじっている人の多くは、
実は、ポケモンGOをプレイしている”
という、違う世界に見え方が変わった。
(というか実際にそうだったけど、
ポケモンGOを知らなかったから、
気づくことすら出来なかった。)
■ そしてこのことからわかる、
大切な原則があると思うわけです。
それは、
『実際にその世界に足を踏み入れたからこそ
初めて見えてくる世界がある』
ということ。
くだらない話のように見えるかもしれませんが、
実はものすごく大事なことだと思うのです。
時に、誰もが、
「自分はわかっている」
「こうに違いない」
と決めつけてしまうことがあるのではないでしょうか。
でも、何か一つの情報、
一つの新しい世界をのぞくことで、
全く違う見え方になることがある。
■ 今回は、私自身が、
「ポケモンGO」という世界を知ったことにより、
「携帯をいじっている周りの人が、
何をしているのかわかった」
という話でした。
しかし、のことは、
日常の仕事やプライベートでも、
同じことが起こりうるはず。
例えば、
最近成績がよくない同僚のAさんが、
“やる気がなくなったから仕事に手を抜いている”と思っていたとします。
すると、どこかしらで
「Aさんを攻める気持ち」があったりするもの。
でも、もし、自分が行動を変えたり、
何かのきっかけで、新しい情報(世界)を知ったとしたら、
何がおこるか。
実はよくよく聞いてみると、
”家庭内で不幸があり、どうしようもない状況で、
一人、思い悩んでいた”
これが、実際だったとしたら、どうか。
それこそ、状況は変わっていないのに、
新しい、全く違った世界に見えるはず。
■ 新しい世界を知るためには、
その世界に飛び込むこと。
すなわち、
「新しい情報」「新しい経験」を通じて、
『新しい視点』手に入れること。
そして、このことこそが、
世界を曇りなく見定め、かつ自らの可能性を広げる上でも、
大事なことではないか、
そのように思った次第です。
ポケモンGOネタでアツくなりすぎましたが、
そんなことを感じた土曜日でした。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。