「うわあ、イタいな自分、、、」の感情が、自らを進歩・向上させる
(今日のお話 1772字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
本日は朝から英語塾。
また昼からはお仕事にて
ご縁を持たせてもらったお客様と、
私の妻を含め、家族ぐるみで、青山にてランチ会。
人と人との縁は本当に不思議なもの。
仕事でもプライベートでも関係なく、
やっぱり同じような価値観(私の場合、向上心、好奇心など)
を持たれている方とは、
すべからく仲良くなれるものだなあ、
と改めて実感した次第。
そしてそういった方とも
たくさん出会えるこの仕事に
改めて感謝をした土曜日の午後でした。
*
さて、本日のお話です。
飽きっぽい私が唯一続いている趣味、テニス。
先週の話ですが、
最近またその熱が復活しつつあり、
マンネリになりつつあったテニススクールでも、
以前よりも真面目に取り組むようになりました。
本日は、そんなテニスの練習を通じて気がついた、
「”人の振り見て我が振り直す”、のその先へ」
というテーマで、思うところを
皆様にご共有させていただければと思います。
それでは、どうぞ。
■自分を育てるための格言として、
「人の振り見て我が振り直せ」
というものがありますよね。
”故事ことわざ辞典”
によると、このような解説があります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<人の振り見て我が振り直せ>
【読み】ひとのふりみてわがふりなおせ
【意味】人の振り見て我が振り直せとは、
他人の行動を見て、良いところは見習い
悪いところは改めよということ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
だそう。
例えば、
・会議中寝ている、やる気のないダメ上司
・優先席にて大声で騒ぎ立てる、世間知らずな若者
・話をちっとも聞かず、そして愚痴ばかりこぼす知人
などなど、
「うわあ、イタイなこの人」
という人を目にした時
「こうはなるまい」
と、固く誓い、
反面教師として捉え、
そして自分を戒める、
そんな感じでしょうか。
■しかし、
「人の振りみて我が振り直せ」
以上に、パワフルな劇薬がある、
と思うのです。
それは、
『我が振り見て、我が振り直す』。
ということ。
何だか良くわかないですよね。
こう思った理由と意味について、
少し解説させてください。
*
少し前に、テニススクールの時、
一向に上達しない自分に対して、
ビデオを取ってみることにしました。
コートの隅に、
スマートフォンを立てかけて、
自分のプレイスタイルを見てみる、
そんな単純なこと。
今までは、自分の練習のためには、
コーチに聞いたり、または人を見て学んでいたのです。
だから、偉そうにも、
「彼のフォアハンドは、ちょっと固いな」
「いやあ、彼、軸がブレてるな」
と”人の振り”に対してどうこう思い、
自分も気をつけよう、
と思っていたわけです。
しかし、です。
映像を取ることにより、
何となく想像していたものの、
”「自分の現状」を自分の目で確かめる”
ということをしてみたとき、
想像以上のショックがあったのです。
心の中で、こんな声が木霊します。
(自分が、フォアが固いとか言ってた人の、
数倍、オレ、固いやん・・・)
(自分が、軸がブレてると言ってた人より、
数倍、オレ、軸ブレとるやん・・・)
もう、何だか、
恥ずかしいというか、
悲しくなるほど。
■そして、この時に思ったのです。
”人の振りを見て、我が振りを考える”
よりも、
”誰かに、我が振りを指摘される”
よりも、
【自分のイタイところを、
自分自身の目で確かめること】
が何よりも効果的なのではないだろうか、
そう、強く感じたのです。
このことは結構な劇薬。
それを予感しているからこそ、
多くの場合、敢えて
・自分のプレゼンの映像 とか
・自分の営業シーンの会話 とか
・自分の英語力を披露する とか
改善したほうが良いと思いながら、
そして自分自身の
現実のスキルや状態を確認すること、
それらを意図的に
避けているのではないでしょうか。
■もし、
「自分の今をより良くしたい」という思いがあり、
かつ、それを受け止める勇気があるならば、
【自分のイタイところを、
自分自身の目で確かめること】
このことは、非常に効果的。
ぜひ、
”我がふり見て、我がふり直す”
ということを通じ、
「”人の振り見て我が振り直せ”のその先へ」
いくことができたら、
より急角度で、人に誇れる自分になっていけるのではないか、
そのように感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。