「感情のコントロール」は修得できる技術である
(今日のお話 2113字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
この週末は「7つの習慣」特別公開コースでした。
(お越しいただいた皆様、改めてありがとうございました!)
そして、夜からはテニス。
*
さて、早速ですが本日のお話。
先日よりハマって読んでいる漫画、
『ヒカルの碁』にて、
「なるほどな」と思うシーンがありました。
今日はその内容をご紹介しつつ、
「感情のコントロール」
というテーマで
思うところをお伝えさせていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■『ヒカルの碁』、囲碁好きなら、
読まれたことがある漫画かもしれません。
このお話のストーリーは、
進藤ヒカルという少年が、ある碁版を見つけ、
そこに取り付いていた囲碁の天才と呼ばれた
歴史上の人物”藤原佐為”と出会うところから始まります。
佐為と出会い、囲碁の面白さに目覚めたヒカルは、
中学生の囲碁部へ入り、力をつけ、
そしてプロになるための登竜門とされる、
「院生」になっていきます。
そして、友人でもあり、
ライバルでもある院生とともに、
プロの道を目指して戦っていく・・・
そんなお話です(15巻時点)。
■「囲碁」というと、
なかなかイメージができないかもしれません。
ですが、その世界は本当に厳しいようです。
中学生でプロになるのは、
珍しいことではなく、
そうすると、13-14歳で進学も諦め、
「プロ棋士」という将来の選択肢に絞るのです。
どういうことか、というと、
”プロになる以外道がない”、
ということになります。
そんな状況ですから、
一局一局が、ひりつくような緊張感を持ちます。
喜びに破顔する者。
泣き崩れ、挫折し、絶望する者。
そのような分かれ道が、
同時に存在する。
そんな世界が
「囲碁」の世界であり、
ヒカルの碁の前半で描かれる
「院生の世界」
であるのです。
■そんな院生の環境下で、
こんなシーンが登場します。
プロを目指す”伊角くん”となる人物が、
中国の武者修行の最中、負け続け、
どうしたらよいかわからず、迷っている。
その状況を、中国人であり、
ルームメイトの先輩がアドバイスする、
そんなシーン。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(伊角くん、年下の子供に完敗をしたシーン)
伊角くん 「自分の碁が打てませんでした。
プロ試験と思ってのぞんだんですが、
気合をいれるどころかかえって力んでしまったみたいで。」
先輩 「プロ試験ね。
キミがまだプロじゃないということは聞いたけど、
力が足りないとは思えないし、
去年のプロ試験はどうだったの?」
伊角くん「人の言動に、心が乱れて、
対局中、大きなミスをし、自分を見失い、
立ち直るのに時間がかかり、3連敗したのがひびいて」
先輩 「心のコントロールがヘタなんだな。
周りの目も耳も、気にするな。
幸い周りは中国語だから、何を言っているかわかるまい。」
伊角くん 「わからないことがあるからこそ、気になるんですが、
オレの方見て、何か話してたりすると」
先輩 「だから!!! 気にするなってんの!!!」
伊角くん 「?」
先輩 「苛立ち、あせり、不安、力み、緊張、
つきまとう感情にふりまわされるな。
キミにとって1番大切なことだ。
石だけを見ろっ!
これは自覚と訓練で、できるっ!!」
元々の性格なんて関係ない。
修得できる技術さ、こんなもん。」
伊角くん (修得できる ――――――― 技術!!?)
(そんな風に考えたことはなかった。
感情のコントロールが? 修得、できる?)
(『ヒカルの碁』第16巻より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■注目は、この最後の部分。
伊角くんは、
『”感情のコントロール”が、修得出来る技術である』
という先輩の一言に、
雷で打たれたような衝撃を受けました。
この一言で、目からウロコが落ちたのです。
「今まで、そんな風に考えたことはなかった。
しかし、修練でなんとかなるなら、行けるかもしれない」
そう思えるようになるのです。
そして、伊角くんは、
それから自らを動揺しないよう、
精神的に修練を積み、強くなっていったのでした。
■伊角くんの例にもあるように、
人間は感情の生き物です。
だから、その感情、気持ちに、
私達の行動が影響されることは、
ある程度仕方がないこと。
しかしながら、
その感情を感じるまま、受けるままで、
自らを振り回していると、どうなるか。
”刺激、即、反応”というように
「腹が立つから怒鳴る」
「悔しいから、わめく」
「イラつくから人に当たり散らす」
となり、自らが求めていたはずの、
素晴らしい結果、望むべく結果など、
恐らく、得られようはずもないでしょう。
次元は違えども、
それは「勝ちたい』と思ってはいるのに、
感情のコントロールができず、
イラつき、力み、不安の支配された、
負け続けていたときの伊角くんと同じ状態とも言えるでしょう。
■もしより良い理想的な結果を求めるのであれば、
私たちは、自らの
【感情のコントロール】
という技術を修得することは、
極めて重要な事柄である
そのように思います。
「7つの習慣」では、
”第1の習慣 主体的である”において、
人は、自覚・想像力・良心・意志の力を使い、
『刺激と反応の間にスペースを空けることができる』
といいます。
そして、加えて
”練習することにより、
衝動的に感情に支配されそうになった時も、
一時停止して反応(行動)できるようになる”
とお伝えしています。
筋肉のように、感情もコントロールできる。
これは、才能でなく、技術。
ヒカルの碁の、
とある先輩が言うように、
難しいかもしれなくとも、出来る技術なのです。
自らの感情を客観的にとらまえて、
自らに修練を課し続けること、
そうすれば、自転車を上手に運転できるように、
より望ましい結果を得続けることができるようになるのではないか、
そのように感じる次第です。
というわけで、
「感情のコントロール」
大事です。
ぜひ、練習してまいりましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日も皆様にとって素晴らしい一日となりますように。
■『ヒカルの碁』、囲碁好きなら、
読まれたことがある漫画かもしれません。
このお話のストーリーは、
進藤ヒカルという少年が、ある碁版を見つけ、
そこに取り付いていた囲碁の天才と呼ばれた
歴史上の人物”藤原佐為”と出会うところから始まります。
佐為と出会い、囲碁の面白さに目覚めたヒカルは、
中学生の囲碁部へ入り、力をつけ、
そしてプロになるための登竜門とされる、
「院生」になっていきます。
そして、友人でもあり、
ライバルでもある院生とともに、
プロの道を目指して戦っていく・・・
そんなお話です(15巻時点)。
■「囲碁」というと、
なかなかイメージができないかもしれません。
ですが、その世界は本当に厳しいようです。
中学生でプロになるのは、
珍しいことではなく、
そうすると、13-14歳で進学も諦め、
「プロ棋士」という将来の選択肢に絞るのです。
どういうことか、というと、
”プロになる以外道がない”、
ということになります。
そんな状況ですから、
一局一局が、ひりつくような緊張感を持ちます。
喜びに破顔する者。
泣き崩れ、挫折し、絶望する者。
そのような分かれ道が、
同時に存在する。
そんな世界が
「囲碁」の世界であり、
ヒカルの碁の前半で描かれる
「院生の世界」
であるのです。
■そんな院生の環境下で、
こんなシーンが登場します。
プロを目指す”伊角くん”となる人物が、
中国の武者修行の最中、負け続け、
どうしたらよいかわからず、迷っている。
その状況を、中国人であり、
ルームメイトの先輩がアドバイスする、
そんなシーン。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(伊角くん、年下の子供に完敗をしたシーン)
伊角くん 「自分の碁が打てませんでした。
プロ試験と思ってのぞんだんですが、
気合をいれるどころかかえって力んでしまったみたいで。」
先輩 「プロ試験ね。
キミがまだプロじゃないということは聞いたけど、
力が足りないとは思えないし、
去年のプロ試験はどうだったの?」
伊角くん「人の言動に、心が乱れて、
対局中、大きなミスをし、自分を見失い、
立ち直るのに時間がかかり、3連敗したのがひびいて」
先輩 「心のコントロールがヘタなんだな。
周りの目も耳も、気にするな。
幸い周りは中国語だから、何を言っているかわかるまい。」
伊角くん 「わからないことがあるからこそ、気になるんですが、
オレの方見て、何か話してたりすると」
先輩 「だから!!! 気にするなってんの!!!」
伊角くん 「?」
先輩 「苛立ち、あせり、不安、力み、緊張、
つきまとう感情にふりまわされるな。
キミにとって1番大切なことだ。
石だけを見ろっ!
これは自覚と訓練で、できるっ!!」
元々の性格なんて関係ない。
修得できる技術さ、こんなもん。」
伊角くん (修得できる ――――――― 技術!!?)
(そんな風に考えたことはなかった。
感情のコントロールが? 修得、できる?)
(『ヒカルの碁』第16巻より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■注目は、この最後の部分。
伊角くんは、
『”感情のコントロール”が、修得出来る技術である』
という先輩の一言に、
雷で打たれたような衝撃を受けました。
この一言で、目からウロコが落ちたのです。
「今まで、そんな風に考えたことはなかった。
しかし、修練でなんとかなるなら、行けるかもしれない」
そう思えるようになるのです。
そして、伊角くんは、
それから自らを動揺しないよう、
精神的に修練を積み、強くなっていったのでした。
■伊角くんの例にもあるように、
人間は感情の生き物です。
だから、その感情、気持ちに、
私達の行動が影響されることは、
ある程度仕方がないこと。
しかしながら、
その感情を感じるまま、受けるままで、
自らを振り回していると、どうなるか。
”刺激、即、反応”というように
「腹が立つから怒鳴る」
「悔しいから、わめく」
「イラつくから人に当たり散らす」
となり、自らが求めていたはずの、
素晴らしい結果、望むべく結果など、
恐らく、得られようはずもないでしょう。
次元は違えども、
それは「勝ちたい』と思ってはいるのに、
感情のコントロールができず、
イラつき、力み、不安の支配された、
負け続けていたときの伊角くんと同じ状態とも言えるでしょう。
■もしより良い理想的な結果を求めるのであれば、
私たちは、自らの
【感情のコントロール】
という技術を修得することは、
極めて重要な事柄である
そのように思います。
「7つの習慣」では、
”第1の習慣 主体的である”において、
人は、自覚・想像力・良心・意志の力を使い、
『刺激と反応の間にスペースを空けることができる』
といいます。
そして、加えて
”練習することにより、
衝動的に感情に支配されそうになった時も、
一時停止して反応(行動)できるようになる”
とお伝えしています。
筋肉のように、感情もコントロールできる。
これは、才能でなく、技術。
ヒカルの碁の、
とある先輩が言うように、
難しいかもしれなくとも、出来る技術なのです。
自らの感情を客観的にとらまえて、
自らに修練を課し続けること、
そうすれば、自転車を上手に運転できるように、
より望ましい結果を得続けることができるようになるのではないか、
そのように感じる次第です。
というわけで、
「感情のコントロール」
大事です。
ぜひ、練習してまいりましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日も皆様にとって素晴らしい一日となりますように。