「知らないことを、知らない」という有名な話を、今一度
(今日のお話 2233字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、日経BP主催の
「ヒューマンキャピタル」という人事イベントに行き、
朝から夕方まで、合計4つの講演をハシゴしつつ、
同時に内容をまとめてレポートを作っておりました。
世の中はどんどん変わり、
また先進的な取り組みも増えています。
そんな情報収集の大切さも、
非常に重要だな、と思う今日この頃。
ちなみに、
・女性活躍推進
・社内コミュニケーションの活性化
・働きがいのある組織作り
・ダイバーシティ推進
などについて、大学教授の話、
企業事例を中心に情報を仕入れてまいりました。
私、6月17日(金)が
終日空いてしまいましたので、
「このような情報にご興味がある」
「そして時間がたまたま空いている」
という稀有な方がいらっしゃれば、
よろしければ情報交換いたしましょう!
あくまで、
もしよろしければ、ということで。
さて、本日のお話です。
今日は、
「定期的な情報収集の必要性」について、
思うところをお伝えしたいと思います。
テーマは、
「知らないことを、知らない」。
それでは、どうぞ。
■かの有名な古代ギリシャの哲学者、ソクラテス。
彼が語ったとされる、
『無知の知』。
この話はとても有名ですが、
意外と詳細のエピソードは知られていません。
この話が生まれた背景は、
こんなエピソードであったといわれます。
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ソクラテスの狂信的な弟子が、
デルフォイ(アポロン神殿の場所)へ行き、
このように聞きました。
「ソクラテスより知恵のあるものはいるのか?」
(いや、ソクラテス先生より知恵のある人はいないだろう)
するとこの質問に対して、
神託、すなわち”神から託された言葉”として、
このように答えられました。
「ソクラテスより、知恵のあるものはいない」
すなわち、
「ソクラテスが、一番知恵がある」と
神様のお墨付きが得られた。
*
しかし、ソクラテスは賢いです。
この”神からのメッセージ”を受け取り、
「本当にそうなのだろうか?
本当に自分が一番知恵ある者なのか?」
と疑問に思うのです。
そうして、ソクラテスは
「自分よりもっと知恵のある人」を探し出し、
これの誤りを指摘しようと決心しました。
そして、まず政治家、
次に詩人、それから職人のところへ行き、
会い、話を聞きました。
しかし、結果はいつも同じでした。
「彼らは何も知らないかソクラテスよりも知らないか」であり、
なにかしら優れた点がある場合でも、
それは知識があるという自惚れで帳消しになっていました。
ソクラテスは、何も知らないが、
「何も知らないこと」を知っています。
一方、彼らはほとんど知らないか
または何も知らないのに、
すべてを知っていると思い込んでいる。
じゃあ、自分は何も知らないけれど、
『自分は無知であることを知っている』
この点で、「自分は最も賢い者であるのだ」、と
この神託(神様からのメッセージ)を理解しました。
参考:「無知の知」(一部、解釈をいれております)
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■昔から、教訓として、
色々と聞くシーンが多い言葉ですね。
きっと馴染みがある方も多いかと思います。
私自身、この言葉を一つの教訓のように感じています。
「知らないことはたくさんある」と思うがゆえに、
常に勉強し、新しい情報に触れることができます。
だから、「無知の知」なる概念は、
知っておいて損はない、
そんな言葉である、そのように思います。
■しかし、先日
ヒューマンキャピタルのイベントに参加して、
改めて思いました。
やっぱり、
「知らないことは、たくさんある」ということ。
そして、
『知らないことは、聞くまでその存在すら気付かない』
ということを。
自分も人並みに勉強をしてきたつもり。
だから、なんだかんだで「人材育成」については、
ある程度知っているだろう、という気がしている。
でも、まだまだ知らないことが山のようにある。
そして、それは
その話を聞くまで、その存在にすら気付かない、
否、気付けないのです。
■私は、ここ5年で、
信じられない人にたくさん出会いました。
・マラソンを1日200キロ走れる人
・300ページの本を、本当に5分で読める人
(しかも覚えている)
・ほぼ個人事業主で2億稼ぎ、
利益率95%のビジネスをする人
(つまり年収1億9000万円、、、)
これらのことは、
昔私が飲食店で働いていて、
同じ通勤ルートで、
同じメンバーとランチを食べ、
同じテリトリーで行動し、
同じテレビを見て、同じような映画を見ていたとしたら。
間違いなく、”その存在”すら、
気付くことができなかった。
この日本に、
200キロ走る人、
2億稼ぐ人、
5分で本を読了する人、
が実際に存在するということも
「その存在も知らなかった」、
そのように思います。
■”学びは事後的”にやってきます。
「この勉強会にいったら、
目からウロコの情報を、たくさん得ることができた」
「勧められた、試しに読んでみたら、最高に良かった」
「このセミナー、騙されたと参加したら、
人生を変えるものになった」
これらは、全部、
『学びの事後的にわかったこと』
なのです。
参加する前には、わからない。
やってみるまで、外に出るまで、
わからないのです。
だからこそ、
改めて自らを前に進めようと願うのであれば、
大切なスタンスとして、
【自分は「知らないことを、知らない」】
と常に認識し、
その知らないことを知り続けるために、
【外の世界、知らない世界に、”意識的に”飛び込む習慣】
を持つことが大切なのだろう、
(「意識的に」というところがポイントです。
だって、その世界があることすら知らないのですから)
そのように思った次第です。
凄く当たり前のことですが、改めて。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日も皆様にとって素晴らしい一日となりますように。