孟子曰く、人為さざる有り
(今日のお話 1278字/読了時間1分半)
■こんにちは。紀藤です。
本日は朝から英語塾。
そしてその後、英語塾での仲間でもある、
上智大学の素晴らしく優秀な学生の方の紹介で
「陽明学」
なるものを学んでまいりました。
「陽明学」という存在自体、
私は全然知らなかったのですが、
500年ほど前の中国において確立された学問だそう。
「修己治人(己を修めて、人を治める)」をテーマとし、
俗にいう”リーダーシップ”について語っている
東洋の学問でもあるとのことで、
リーダーシップを専門にしている身としては、
「こりゃ、聞かねば!」
と思い、拝聴してきたのでした。
■結論からすると、大変面白かった、の一言です。
哲学的かつ深く、興味深い話が
たくさんたくさんあったのですが、
その中でも特に、「なるほどな」と思わされたお話がありました。
それは、
『孟子曰く、人為さざる有り。
しかるのち以て、為す有るべし。』
という一節。
私たちは、何事かを「為す」というと、
・今までなかったようなチャレンジをする
・誰も為し得なかった偉業をする
・素晴らしい成果を成し遂げる
というように、「何かを行う」というようなイメージを
持つのではないかと思います。
しかしながら、必ずしも、
それだけではない、と言うのです。
■どういうことなのでしょうか。
それは、
”人為さざる有り。
しかるのち以て、為す有るべし。”
と、表されているように、
『「為す」とは何かを行うことだが、
【行わないことも為すこと】である』
という考えなのです。
例えるならば、
どんなに金を積まれても、良心は売らない、とか
どんなに高い地位や名声で誘惑されても、
不善なることには手を出さない、
というように、
【これだけは断固としてやらない】
という覚悟を持った上で何かを為すこと、
それこそが、ただ何かを為し得る上で、
実は大変重要なことである、
陽明学ではそのように教えている、
そのことに非常に考えさせられました。
■私たち人間は、多くの誘惑に駆られます。
政治的なことであったり、
地位や名誉、金銭、その他欲しいもの・・・
そんな”欲”があるがゆえ、
つい、超えてはならない一線を越えてしまうことがある。
だから、最近ニュースで騒がれるような、
恥ずかしくなるような事件が、
一見優秀で、聡明だと言われる社会的地位が高い人の中で
次から次へと起こってくるのでしょう。
そして、それは、
人事(ひとごと)ではないのだと思います。
一たび状況が変われば、
自分がその状況に置かれる可能性もあるはず。
その時に、確固たる”自分の軸”、
すなわち、
【これだけは断固としてやらない】
(=人為さざるあり)
というスタンスを、
自分の価値観の中心に置いておくこと、
忘れてはならないのではないか、
そのように思うのです。
■「7つの習慣」でも、
”第二の習慣 終わりを思い描くことから始める”
において、
「自らの価値観(=良心)を大切にする」
ということを伝えています。
目先の利益だけでなく、
・どう自分があるべきか
・どう自分がありたいのか
・どんな生き方がしたいのか
そんな、永く、深い問いに対して考え、
その答えを自分の中心に据えた生き方をすること、
様々な考えに揺らぎやすい現代だからこそ、
大変重要なことではないか、
そのように思う次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日も皆様にとって素晴らしい一日になりますように。