”空手とは、人に打たれず、人打たず、事のなきを基とするなり”
(今日のお話 2565字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、妻と共に生まれて初めての
「空手道場訪問&体験」
をしてまいりました。
お世話になっているお客様で、
「7つの習慣」の社内ファシリテーターとして、
活躍している方が、空手道場の師範代とのことでした。
何でもとりあえず顔を突っ込むのが趣味(?)のため、
「今度遊びに行かせてください」
ということで、夫婦で”空手体験”をすることに。
(非常に貴重な体験でした。
M様、そして奥様、ありがとうございました!)
私は知らなかったのですが、
空手といっても色々流派があるようです。
昨日学ばせて頂いた流派は、
その本質は「相手を倒す」ところではなく、
その根底には、私が全く知らない世界観が流れていました。
今日は、空手体験から、
「強くなる」
とはどういうことなのか、
思うところを共有させて頂きたいと思います。
それでは、どうぞ。
■空手とは、
「強くなること。
すなわち相手を倒すものである」
私は、そんな印象を持っていました。
空手を含む武道は、
相手をやっつけてナンボみたいな
イメージでしょうか。
私も大学時代、
ボクシング部に所属していましたが、
基本低には、
「相手を打つ」
「相手を倒す」
ことを目的にしていたものです。
私達がテレビなどで目にする格闘技の試合でも、
”リングの中で、ゴングと共に試合が始まり、
基本、相手をKOするまで続ける”
そんなゲームとしての格闘技が
有名になっているからかもしれません。
■しかしながら、
私が先日体験した空手の流派は、
その基本思想に全く違うことを掲げていました。
それは、こんな思想。
『空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを 基とするなり』
つまり、
「何もないことが一番」である、
と言っているのです。
この流派の創始者は、
柔術、剣術、合気道、忍術、空手を学び、
あらゆる武術を極めたそうです。
間違いなく、かなりの使い手であり、
そして当然ながら、強かったのだと思います。
そんな創始者が到達したところが、
『空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを 基とするなり』
だったのです。
■そしてこの心について、
師範代のM氏に聞いてみました。
なぜ、「事のなきを基とするなり」なのか?
すると、師範代はこのように答えられました。
「相手を打ちのめそうとして、
ボコボコにして何が残るかといえば、
恨み、憎しみ、後悔、など負の感情です。
もし実力が拮抗していれば、
お互い大きな怪我をし、お互いに何のメリットもない。
だから、そもそも、
”争いをしない”ことが一番。
またもし”争い”に巻き込まれた時も、
最小限で終わらせること。
それが「真に強い」ということではないか、
と思います。」
と。
「なるほど!」と
思わず納得してしまいました。
■これは私の想像ですが、
「争いなんてないほうがいい」
「傷つけ合わず、和解で終わるにこしたことはない」
「平和が一番」
というのは、今も昔も、
誰もが願うことなのではないか、
と思うのです。
そして、武道も、そんな平和への願いがありながらも、
やむなく戦闘になった場合、自分や大切な人の命を守るための
”対処法”から始まったのかもしれません。
もちろん、暗殺術、みたいなものも
ありますし、攻撃自体を目的とするものもありますが、
私はこの空手道の流派の、
『空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを 基とするなり』
に深く感銘を受け、素敵な考えだな、
と感じさせられてしまいました。
■仕事のシーンでも、
争いが起こることは、しばしばあると思います。
例えば、仕事を進める中で
・意見が対立したとき
・話が食い違うとき
・相手のミスを咎めたくなるとき
などなどでしょうか。
違う考えを持った人と人が交わる場では、
価値観のずれ、考え方の違いから、
「戦闘になる」とまでは言わずとも、つい
・「自分の意見のほうが正しい」と
あらゆる手段で論破しようとする
・考えが違う相手の、矛盾点を徹底的に攻撃して、
ぐうの音もでないようにする
みたいなシーンが、
往々にして起こるようにも思います。
しかしながら、
「そもそもの目的」を考えると、
こういったシーン、どうなのか、
と思うわけです。
当然ながら、
”相手をコテンパンに叩きのめす”
ことが目的ではなく、
ビジネスで成果を生もう、とするのが、
そもそもの皆で目指す目的、
すなわち”仕事の目的”であったはず
だからこそ、
「意見の違いを活かし、建設的な話にして、
仕事の目的を忘れない姿勢」
こそが大切なのではないか、
そのようにも思います。
■先ほどの空手道でも、
「強きもの」がたどり着いた究極のゴールは、
『争うことではなく、争わないようにすること』
であった、とお伝えしました。
同様に、仕事のシーンを始めとした、
争いが起こるシーンにおいても同じ。
ついヒートアップして、
この論争に勝とうと盛り上がる際に、
「そもそも、この言い争いは、
何を目的としていたのか」
「相手を完膚なきまでにボコボコにしたとして、
その先に何が得られるのか」
を、一歩立ち止まって考えてみることが
そもそもの話として、大事なことではなかろうか、
そのように強く思ったのです。
***
ちなみに、この師範代は、
「7つの習慣」の社内ファシリテーター。
「7つの習慣」を語らせたら、その話題に暇がない人物です。
彼曰く、
「空手道の根本思想も“7つの習慣”と同じ。
“第四の習慣 Win-Winを考える”ということです。
Win(自分が勝つ)-Lose(相手を負かす)
を繰り返していても、恨み・憎しみを食らい、いずれ復讐されるかもしれない。
また、争いを求め続けたなら、下手すれば
“Lose(自分も致命傷)-Lose(相手も致命傷)”
にすらなってしまうこともある。
だから、“Win-Win”(争わず、お互い平和でいる)が一番です」
とのこと。
これは、ビジネスやプライベートでも同じですね。
相手を完膚なきまでに叩きのめし、
完全に心をボキボキに折りしばいたとしても(Win-Loseをしても)、
嫌われたり、仕事がしづらくなったりして、
得たいものが得られなくなるだけ、かもしれません。
争いになったときは、
「そもそも何を実現したいのか」
を、忘れないことが大切なのでしょう。
※ちなみに、そういったことを考えた上で、
”相手を叩きのめしておいたほうがベスト”
というのであれば、それはそれでありかと思っています。
健全な争いは私としては肯定派です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。