「社会的排除」という恐怖
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
また、一昨日は
昨年よりお世話になっているとある保険代理店の会社様に、
新入社員研修「ディスカバリー」の1日コースの実施でした。
今まさに新入社員研修のピークですが、
色々な会社様に訪問していて、
今年は特によく聞く感想(悩み)があります。
それは、昔から言われる話ですが
「甘えている」
という、この一言。
まだ何も出来ないのはわかるものの、
・与えられた課題に対しての執着心が低い
・「頑張っている」とするレベルが低い、
・できなかったときに先輩にすぐ頼る
などなど。
こういったものを総じて、
「甘えている状態」
もう少し判りやすく言えば
”出来なくとも何とかなる。
出来なくとも誰かが何とかしてくれると思っている状態”
と、言うのかもしれません。
(もちろん、色々な諸事情があるので、一概には言えませんが)
■ただ、もし「甘えている」と
明らかに言われる新人(新人以外でも)がいたとしたら、
個人的にぜひ読んでいただきたい、お勧め本があります。
それは、
『社会的排除』(著:岩田正美)
という本。
ノンフィクションの、
社会問題について分析をした本なのですが、
リアルがゆえに、怖ろしい本なのです。
平たく言うと、
ホームレス、ネットカフェ難民、日雇い派遣、
福祉国家であるはずの日本で、
社会的に仕事を得られず、
極貧の生活を強いられている方。
元々は普通に働いていたそんな人々が、
どうしてそうなってしまったのか。
そんなことが
社会福祉学を専門としている大学教授が分析し、
実際のケーススタディと共に、書かれています。
この本によると、
そのような「社会的排除」と呼ばれる状態に
転がり落ちてしまった人はいくつかのパターン分けられる、
といっています。
■当然ながら、元々普通に働いて人が、
転がり落ちるには、相応の理由があります。
その中の一つが、
『社会からの「引きはがし」』
と呼ばれるものである、
と著者は言います
「引きはがし」とは何か。
それは、不幸な出来事が、
同時に、連鎖的に起こった状態とのことです。
想像しづらいので、
具体的に例をあげると、こんなイメージ。
~Aさんの場合から
様々な理由で配偶者と離婚した。
(1つ目のアクシデント)
それがきっかけで生活の基盤が崩れ、
支えるものがなくなる。
そして、心身ともに不安定になる。
そんな中、突然の、
会社からのリストラ。
(2つ目のアクシデント)
離婚で精神的なバランスを欠いている中の追い討ち。
加えて、そこで次の職が
すぐ見つけられるようなキャリアを積んでこなかった。
仕事が見つからない。
だから、とりあえず派遣として働く。
そんな状況に嫌気が差し、
お酒におぼれ、アルコール依存症になる。
そして、仕事を休みがちになり、
また退職を迫られることになる。
どんどん仕事の水準が下がり、
日雇いのその日暮らしの生活が中心になる。
家賃が払えず、ネット難民になる。
(実際、こんなことが現実に起こっているそう)
離婚、病気、倒産。
こういった、予期せぬトラブルが原因で、
『社会からの「引き剥がし」』
が起こり、転落していく。
こういったことは、
誰にでも起こりうることである、
ということです。
■しかし、
ここで見逃せない話があるのです。
病気や離婚などの
不可抗力な要因は仕方ないかもしれない。
しかし
”「社会からの”引きはがし」の理由に
本人自身の問題や、人間関係が絡んでいることもある”
ということなのです。
例えば、こんな話があります。
星野さん(仮名)という方の事例です。
~~~
彼は飲食店で働いていたが、
年下の上司に使われることが嫌で、仕事を辞めた。
しかし、その後、転職するものの、
同じような状況に遭遇する。
すなわち、また年下の上司に使われることになった。
しかし、彼はそれが耐えられない。
使われるのが嫌で、また仕事を辞める。
そんな理由で転職をする。
すると、また同じ状況になる。
また、辞める。
転職をするたびに、
どんどん条件の悪いところしか、
見つからなくなってくる。
そんなことはわかっているのに、
つい、そうしてしまう。
星野さんは、この状況を観察して、
一ヶ所にとどまれない自分をこのように言う。
「落ちるって言葉がありますけど、
一度ツマづくと、本当に落ちていく。」
と。
■さて、この『社会的排除』の話から、
何が学べるのでしょうか。
それは、不可抗力な出来事、
例えば、
・突然のリストラ
・突然の病
・突然の配偶者との離婚・死別
など、ふとしたきっかけで、
”谷底を転がり落ちるように、
生活水準が崩壊していく”
という事実がありうるということ。
それは、冷酷なようですが、
実際に現実として起こっています。
そして、それは明日、
自分自身の身に降りかかるかもしれません。
不幸な出来事は誰にでも起こりうるのでしょう。
そして、そんな不幸が起こった際に、
加えて先述の星野さんのような、
「耐えられない自分」
「スキルがない自分」
「市場価値がない自分」
でいたとしたら、
その”転がり落ちるリスク”は、
より高まるのではないか、
そんな恐怖心を感じるのです。
■悲観的かもしれませんが、
いざその時には
『結局、会社も、社会も、
自分を救ってはくれない』
という、冷酷で、
悲しき事実があるように感じます。
だからこそ、自分が
・大学に行き、就職できた(もう安心)
・すべて順調にいくであろう(と感じる)
・きっと誰かが助けてくれる(気がする)
と思っていたとしたら、
非常に危ういのではないか、
と思うわけです。
正直、もしそう思っているとしたら
それは”幻想”でしかない、
私はそんな風にも感じてしまいます。
■人により、もちろん状況も違いますし、
厳しい状況の方も、いらっしゃると思います。
だから、全員に全員、
「いや、自己責任だから」
とまでは言わないにせよ、
もし健康で、ある程度頑張れる素地があるのであれば、
そんなリスクを考えて、一歩踏み出す勇気、努力、忍耐は、
必要な能力ではないか、
と思うわけです。
・何かあったときに助けてくれる人間関係を、
育てられているかどうか
・何かあったときに自分で立ち上がれるスキル、能力を
磨いているかどうか
・何かないように自分の健康面を意識できているか、
リスクが連鎖的に起きたときに、
”転がり落ちない”ために、
不幸を乗り切れる状態を、前もって作っておくこと。
”いざ”というときのために、
少しでも準備をしておくこと。
『社会的排除』という、
恐るべき出来事は、日々起こっています
もし「甘えている」人がいるならば、
そんな現実を目の当たりにし、想像力を広げてみる、
そんなことが、明日を頑張る
一つの力にもなりうるのでないか、
そんな風に、感じた次第です。
(あくまでも私の主観ですので、あしからず)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。