「奇跡のリンゴ」のお話 ~後編~
(今日のお話 2554文字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は4件のアポイント。
また夜はお世話になっているとある方が、
ご栄転されるとのことで送別会へ参加させていただきました。
仕事から始まった人間関係が、
どんどん深くなっていくのを感じるとき、
本当にこの仕事をやっていてよかったなあ、と感じます。
*
さて、本日のお話です。
昨日は、
『奇跡のリンゴ』(著:石川拓治)
という本をご紹介いたしました
今日は、その後半。
(昨日のお話の要約)
カマドケシ(竈消し)という、
侮蔑の言葉を浴びせられ、
絶対不可能といわれる「リンゴの無農薬栽培」に挑戦した木村秋則氏。
5年経ち、枯れ果てたリンゴの木をみて、
万策尽きたと感じ、絶望の果てに、
木村氏は命を絶つために、山に登ります。
そこで彼が見たのは、
農薬もないのに、青々と生い茂る
「リンゴの木」でした。
それでは、後半、どうぞ。
■木村氏は、山頂で自らの命を経つべく、
手ごろな木の枝を見つけ、そこにロープをかけようと投げた。
すると、ロープは枝をはずれ、
崖の斜面の方へそれた。
「最後の最後まで失敗か、」
そう思い、斜面へと足を伸ばし、
ロープを拾い上げたその瞬間、
木村氏は目を見張った。
そこに、葉を青々とつけた
リンゴの木が立っているではないか!
一体誰が農薬を?
一瞬そう思ったが、そんなわけがあるはずがない。
その木は、その木の力で、
そこに立ち、葉を茂らせていたのだ。
近づいて、よく目を凝らすと、
実は、それはドングリの木であった。
しかし、木村氏の心はドクドクと脈打っていた。
彼の中で、
「すべてがわかった」という感触があった。
■彼はマッチをすり、
夢中でそのドングリの木をまじまじと見た。
森の木々は、それだけで生きている。
害虫にも病気にも犯されずに。
何が違うのか?
そして観察し、わかったことがあった。
それは、目に見えない部分、
いや、見ようとしてなかった部分にあるのではないか。
ドングリの木の周りの土を見た。
ふかふかで柔らかい。
地面を掘り返しても、手でどれだけでも掘り進められる。
温もりを感じ、暖かい。
ツンとした大地の香りがする。
その香りをいつくしむかのように、
木村氏は思わず口に含んだ。
■何が違うのか?
うちのリンゴの木と畑と、どう違うのか?
それを知りたくて、
山を駆け下り、リンゴの木と比べた。
すると、リンゴの木の土は、
冷たく、固かった。
表面は、温かみはある。
しかし固く、少し掘り下げると、冷たい。
生命の温もりが、ない。
ドングリの木は、白く綺麗な根だった。
細い根も、大地中に張り巡らされ、美しかった。
しかし、リンゴの木の根は、
細く、弱く、生命の力が感じられなかった。
そして木村氏は思った。
『問題は「目に見えない部分」、
地面の下、すなわち「土」にこそあるのではないか。
私は、害虫や病気を駆除しようと、
あらゆることをやってきていたつもりだった。
でも、結局は
「目に見える部分」しかみていなかったのだ。
「目に見えない部分」、すなわち
根の強さ、生命の繋がり、それを高めて、
リンゴの生命力を伸ばしてあげること、
それこそが大事だった。
なぜ今まで気が付かなかったのか』
と。
■そして畑は次第に息を吹き返していく。
畑には、害虫とされる蛾もいれば、
蜂もいる。そして蛙も飛び回り、それを追いかける蛇もいる。
しかしそれぞれが一つの生態系として、
土をはぐくみ、大地に栄養を与え、
リンゴの根に活力を与えていた。
9年目、ある日のこと。
死の淵に瀕していたリンゴの畑には、
その畑いっぱいに、
リンゴの白い花が上を向いて咲いていた。
そして、そこから取れたリンゴは、
不思議なことに腐らないという。
小さく枯れたようにしぼみ、
ポプリのようにほのかに甘い香りを残す。
大型の台風が来て、他のリンゴ畑が壊滅的な状態だったとときも
木村氏のリンゴは強く、実も落ちなかったという。
そうして、「奇跡のリンゴ」となった。
※参考:『奇跡のリンゴ』(著:石川拓治)
■という実際のお話です。
このリンゴを食べた人は、
その複雑で、体験したことがない甘みと酸味に、
涙することもあるそうです。
もちろん、その背景情報を知っている、というのもあるでしょう。
ですが、それだけではないようにも思えます。
このお話については、
ぜひ本書を読んでいただきたいところ。
(下手な小説よりも、ずっと感動します。
心よりお勧めいたします。)
■では、この本から私が感じたことは、何か。
もちろん、この木村氏の執念もそうです。
しかし、この話を読んでいて、
一番強く思ったことが、
「やはり自然の原則には逆らえない」
ということでした。
■根が育たなければ、
強い葉と果実を実らすことはできません。
これが「奇跡のリンゴ」を生み出す、
一つの鍵だったわけです。
しかし、悲しきかな、
やれ害虫が発生した、
やれ葉の実りが遅い、
やれ果実の育ちが悪い、
など、表面で起こることに注目し、
そのことばかりに必死で対応し、
解決しようとしてしまう。
しかし、そこにスポットを当てても、
結果的に、本質の問題は別にあったりするのです。
「そもそも」
(=リンゴの場合であれば、強い根を育て、
リンゴの生命力を高めること)
を解決しない限り、
求める結果を出すことはできない。
結果を出せたとしても、
赤子のように付きっ切りで世話をすることになる。
そんな状態になりかねないわけです。
■このことは、
私たちにも言えると思います。
目に見え、感じる、
・人間関係の綻び、
・成果の出ない毎日、
・悶々とした日々の気持ち
このような満たされない今に対して、
なんとなくゲームやテレビ、
浅い喜びに埋没することをしていたとしても、
真の解決にはならないのでしょう。
リンゴの木が、
その果実を実らせ続けるためには、
その根を地中にめぐらせ、生命力を高めることでした。
そして、それは、
人にも同様に当てはまるのかもしれません。
「葉でなく、根を見ること」
が大事なのでしょう。
それは言うなれば、
・自分の行動の元になっている、
「考え方(パラダイム)」に目を向けてみる
・知識やスキルだけでなく、姿勢・あり方を見直してみる
・表面的なことでなく、本当は何がしたいのか、
自分に矢印を向けて考えてみる
などだと思います。
理想的で、最高の果実を実らせ続けられる自分であるために、
「根」を伸ばし、磨き続けたいものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も、皆様にとって素晴らしい1日になりますように。