”家の扉が歪んで、閉まらない現象”から学ぶ「変わるための法則」
(今日のお話 1402文字/読了時間1分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は祖母の三回忌のため、
妻の茨城の実家へ。夜は家族で焼肉。
お手頃価格のお肉を焼いて食べるだけなのに、
あのライブ感、シズル感があるだけで、
食事がものすごく美味しく感じるのが不思議。
付加価値ってすごい。
さて、本日のお話。
完全にプライベートなネタですが、
私の「住んでいる家」に関して、とある気付きがありました。
今日はそこから、
「変わること」
についての小さな気付きを
皆さまにご共有したいと思います。
それでは、どうぞ。
■現在の私の住まい。
それは、10階建のUR都市住宅です。
マンションというのには地味な、
でもアパートというほど小さくもない、
そんな団地的な場所。
夜は赤ちゃんの泣き声が聞こえ、
朝は保育園に送り出すママさんたちの集いが見えます。
ここに引っ越して約3年。
そんなに古い建物ではないのですが、
最近あることに気が付いたのです。
それは、
”家が歪んでいる(!)”
ということでした。
ちょっと前から、
”リビングの扉が閉まらなくなった”
ことに気が付きました。
半年くらい前は、ちょっと閉まりづらいな、程度で、
最後にグッと一押しすれば、
「カチャリ」と、普通に閉めることができました。
が、それから半年、
もう今は押しても、叩いても、
残念ながら閉まりません(とほほ)
そして、本日の事。
ふと掃除をしていると、
洋間に敷き詰められている「板」が
浮いていることを発見いたしました。
踏むと、ペコペコいいます。
ついに扉だけでなく、
床まで歪みが浸食してきたわけです。
きっと気が付かないうちに
じわりじわりと歪んできて、
最近、床が浮き上がるという大きな変化があったのだと思われます。
■ちょっと愚痴っぽくなりましたが、
この家は、別に賃貸なので、
どれだけ歪もうが別にどうでもよいです。
噂の「欠〇住宅」だったとしても、
まあ、いいかな、と。
ただ、この一連の事を考えて、
何気に思った”気付き”がありました。
それは、
『知らず知らずのうちに、家が少しずつ変化していた。
でも、大きな変化(床が浮いた)があった今日まで、
気が付かなかった』
ということ。
恐らく、0.0001mくらいずつ、
ちょっとずつ、変わってきていた(歪んできた)はず。
でも小さな目に見えない変化は、
気付くことができません。
しかし、それが、ある一定の量に達した時、
コップから水が溢れるように、
地殻プレートがずれて地震が起こるように、
”目に見える変化”
として、私の生活にも、
小さな変化をもたらしたわけです。
(今回の場合は、扉が閉めづらい、という
ちょっと切ないものでしたが、)
■ただ、ここで思ったのです。
「人が”変わる”」ということも、
同じような話が言えるのではないだろうか、
と。
日々、私たちが、
何か”小さな努力”をしたとします。
例えば、
10分ずつ、毎日英語の勉強をしている。
毎日5分だけ、お風呂上りにヨガをしている。
毎週末、短い距離だけど
運動を心がけて走っている。
教養を深めるために、
1週間に30分読書習慣を始めている。
みたいな。
これは、”やっているとき”は、
本当に小さなステップなので、
変化は目に見えてわかりません。
何か変わったかな?
変わった気もするし、そうじゃない気もする。
それこそ、私の家が、
0.0001mmずつ変化するような、
ごくごくわずかな変化でしょう。
しかし、見えづらくとも、
確実に何かの変化はもたらされているわけです。
ただ見えないだけで、
ある瞬間、急に大きな変化が訪れたりする。
身体が軽くなった!
英語が聞けるようになった!
ニュースが繋がってわかるようになった!
もしかすると「人が変わる」というプロセスは、
こんな特徴があるのではないだろうか、
そう思うわけです。
■プラスの方向でも、
マイナスの方向でも、
小さな行動は小さな影響を与え、
それがある瞬間、閾値を超えた時に、
『リアルな、目に見える変化』
として体感することができるのでしょう。
そして、願わくは、
さなぎが蝶になるように、
根を伸ばした種がようやく芽を出すような、
そんな素晴らしい変化を感じたいもの。
だからこそ、
【見えずとも、感じずとも、
小さな変化の種をまき続けること】
この事を忘れないようにしたいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も、皆様にとって素晴らしい1日になりますように。