「目玉焼きには、醤油っしょ」 は本当か
(今日のお話 1789文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
ならびに、社内の打ち合わせなど。
年明けから土日も含めてメルマガを始めて、
幸か不幸か、365日仕事関連(教育ネタなど)について、
考えるようになりました。
しかしながら、これが心地良いのです。
脳の構造として、
”人は行動するとますますやる気が出る”、
といいますが、土日も軽く頭を使うことで、
エンジンが冷めきらず、やる気テンションが高めです。
「やる気が出るから行動する」のではなく
「行動によって、やる気が出る」。
面白いものです。
■さて、本日の話です。
社会学を大学院で学んだ方から、
「社会学と自己成長」について面白いお話を聞きました。
今日はその話について
皆さまにも、ご共有させていただきたいと思います。
(Kさん、お知恵を拝借いたします!)
■「社会学」というと、
あまりなじみがありませんが、
「人がする様々な行動の要因を”社会”に求めること」
それが、すなわち「社会学」だそう。
例えば、
ネパールでは、男同士が手をつなぐことが友愛の証とされ、
街中で男同士が手を繋いているのが普通だったり、
中国では飲み会際は、お会計を割り勘でなく
「今日は私」「次は〇〇さん」順番に払っていくというのが暗黙のルールですし、
韓国では、お酒を飲むときに
目上の人の前では「口元を隠しながら飲む」が礼儀とされます。
箸と箸で物を渡す”箸わたし”も縁起が悪い、
と言われますが、他国では当たり前でやっています。
手で食べるのは行儀が悪いと言われても、
インドでは、インドカレーを手でバクバク食べます。
根拠があるものもあるかもしれませんが、
根拠がよくわからないものたくさんある。
でも、私たちはそんな「周りの社会」に
影響されて、無意識に行動をしている、
こんなことが起っています。
■そしてここからが本題。
こんな社会学には、
「選択前提」
という言葉があります。
この言葉は、上記で言われるような
”社会で当たり前”と言われている行動の中から、
「私たちの行動を選択してしまう」
という傾向がある、という意味だそう。
例えば、私の家庭では
「目玉焼きにはソース」でした。
そうやって育ってきたから、
”目玉焼きにはソース”という選択肢しか、
当時の私にはありませんでした。
だから、小学校で友人が
「目玉焼き?当然、醤油っしょ。」と言って、
「お前、バガじゃない。ソースでしょ。
醤油とかありえない」
と、一悶着あった記憶があります。
これは、私の「選択前提」だったわけです。
しかしながら、
これまで経てきた人生の中で、
目玉焼き × ○○のたくさんのケーススタディを見てきて、
この「選択前提」は打ち破られました。
結果的に、
・目玉焼きには醤油も合う、
・ケチャップも結構いける
・サラダが一緒ならマヨネーズがベスト
と色々な解を得ることが出来て、
現在の私の最適解は、
「目玉焼きには塩派」
へと落ち着きました。
(まあ、どうでもよい話ですが)
■しかし、ここで考えてみたいのです。
こういった「選択前提」は、
仕事でもプライベートでもあらゆるところに働いている、
ということ。
すなわち、仕事でもプライベートでも
自分が「これが答えに違いない」と選んでいる選択は、
”今まで自分が見聞きした範囲内で選んでいる”
(自分が知っていることを前提に選んでいる)
という傾向がある、ということが、
社会学的に言えるというわけです。
私が、「目玉焼きはソース!」と思っていたけど、
実は「塩」が自分にはベストだった。
もっと良い答えは、
実は自分が知らない世界に転がっているのに、
そんな選択があることにも気付けない。
こんなことが、他のあらゆるシーンでも考えられるわけです。
■もっとよい仕事のやり方でも、
今の自分のベストな働き方でも、
プライベートのベストな趣味でも、
まだ見ぬ人生を変える最高の本も、
それは「まだ自分の知らない世界」にある可能性は、
大いにあるわけです。
だからこそ、何かをより良くしていこうと思う方、
(例えば人を育てる人材育成のご担当者様もそうですよね)
「今ある選択」だけでなく、
”もっとよい方法があるのではないか”
と「選択前提」を疑い、新たな解を見つけ出していかなければ、
今を超える成果など求められるはずがありません。
外に出て、自分の知らない世界を見聞きすること。
変容において、最高の手段です。
「選択前提」を打ち破るべく、
外の世界に、もっともっと出ましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も、皆様にとって素晴らしい1日になりますように。