私は誰でしょう?
■おはようございます。紀藤です。
昨日は朝のミーティング後、
11時、13時、15時、17時、19時と
5社の皆様とご面談。
月曜から飛ばしています。
が、同時に花粉も飛び始めているようで、少し辛いです(涙)
夜は前職の人材採用コンサルティングの会社の、
人事担当の方と懇親会。
(Mさん&M氏、ありがとうございました。楽しかったです!)
■さて、本日のお話です。
人材教育に関われば関わるほど、
人は一朝一夕には変わらず、
1日に数ミリずつ根を伸ばす大木のように、
地道で愚直な一歩一歩が大事だと思わされます。
今日は「習慣」に関わる
とあるお話を一つ、ご紹介いたします。
「私は誰でしょう?」
私はいつもあなたのそばにいる。
一番頼りになる助け手でもあれば、
あなたが背負う最大の重荷でもある。
成功への後押しもすれば、
足を引っ張って失敗にも導く。
私はあなたの命令次第で動く。
あなたのすることを私に任せてくれれば
私は素早く正確に片づけてしまう。
私の扱いは簡単。
しっかり指示すれば、それでいい。
どのようにしてほしいのかを明確に示してくれれば
少しの練習のあとで自動的にそのことをこなす。
私はすべての偉人の下僕であり、
そして残念ながら,すべての失敗者の下僕でもある。
偉大な人が偉大になったのはわたしのおかげ。
失敗した人がしくじったのも私のせい。
私は機械ではないが,機械のように正確に
そして知性あふれる人間のように賢く働く。
利益になるように私を使うこともできれば、
破綻をきたすように使うこともできる。
私にとってそれはどちらでもよい。
私を利用して訓練し,しっかりと指示をしてくれれば、
世界をあなたの足下に届けてあげよう。
しかし,私を甘く見れば,あなたを滅ぼすだろう。
私は誰だろうか?
私は習慣である。
「習慣」作者不詳/『TQ』・ハイラム=W=スミス著より
■いかがでしょうか。
良い意味でも、悪い意味でも、
「なるほどなあ」という感じでしょうか。
「習慣」というと、
良く聞く、ありふれた言葉ですが
同時に、普段はあまり深く考えることがない言葉のようにも思います。
しかしながら、私たちの行動の殆どは、
【「無意識の習慣」の集合体】
で出来ていると言っても過言ではありません。
■例えば、朝起きて、まず何をするのか。
洗面所に言って顔を洗うのか、
はたまた歯を磨くのか、
とりあえず、まず着替えるのか。
人それぞれ違いますが、
自分の「パターン」「クセ」に無意識に従っているのでしょう。
意識しなくとも【習慣】に支配されています。
また1日の仕事が終わったとき。
家に帰って、まず何をするのか。
とりあえずお風呂に入るのか、
または、とりあえずスマホをいじってみるのか、
ちょっと頑張って、部屋の片付けをしたり、
家族とコミュニケーションをとったりするのか、
それとも、気合を入れまくって机に向かい、
もうひと頑張り、勉強などしてみるのか。
これも人によって全く違うのでしょうが、
それぞれの【習慣】があるのではないでしょうか。
その他にも、
・ふと時間が空いたときに何をするのか
(スマホを見る or 本を読む 等)
・会社の席に着いたときまず何をするか
(まずメールをチェックする or 周りの人と挨拶&コミュニケーションをとる 等)
・初対面の人と話をするときに、どんな態度をとるか
(話しかけられるのを待つ or 自分から話しかける 等)
・靴を履くとき、どうやって履くのか
(踏み潰す or 靴べらを使う 等)
などなど・・
考えれば数えきれないほどの
「無意識の行動パターン」、
すなわち【習慣】が、私達を支配していることに気が付きます。
■冒頭の引用文に、
”私はすべての偉人の下僕であり、
そして残念ながら,すべての失敗者の下僕でもある。
偉大な人が偉大になったのはわたしのおかげ。
失敗した人がしくじったのも私のせい。”
とありましたが、このことはきっと事実で
私達が持つ数々の「習慣」が、
「私たちの人生」に多大な影響を与えている、
というのも本当なのでしょう。
■で、あるならば、もしより良い未来や、
今と違う結果を望むのであれば、
起きてから寝るまでの間で
【無意識に行っている「習慣」はどんなものがあるのか】
を、自分自身で観察をしてみて、
より理想的な習慣に一つずつバージョンアップすることも、
大切なことのように思えます。
”私を利用して訓練し,しっかりと指示をしてくれれば、
世界をあなたの足下に届けてあげよう。”
と、「習慣さん(君?)」は言っているようですし、
小さな日々の変化でも、
いずれ大きな変化に繋がることを信じながら、
より良い習慣を、自らの下僕にしたいものですね。
最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。