先ず志を立てる
■おはようございます。紀藤です。
昨日、今日、明日と、研修のご提供が続いています。
「本当によい機会だった」「素晴らしい学びがあった」
研修後、そんな感想を参加者の方から聞く瞬間は、
本当に嬉しく、やりがいを感じる次第です。
本年も引き続き、気を引き締めて頑張りたいと思います。
■さて、本日のお話は、
幕末の志士達を動かしたといわれている「言志四録」より
ご紹介させて頂きます。
緊(きび)しく此の志を立てて以て之を求めば、
薪を運ぶと雖(いえど)も、亦是れ学の在る所なり。
況(いわん)や書を読み理を窮むるをや。
志の立たざれば、
終日読書に従事するとも、
亦唯だ閑事のみ。
故に学を為すは志を立つるより尚なるは莫(な)し。
〈訳文〉
しっかりと志を立ててこれを達成しようと求めるのであるならば、
薪を搬び水を運ぶと言った日常の平凡な行動の中にも学ぶべきものがある。
ましてや書物を読んで物事の道理を求めようとするのであれば、
なおさら気をつけねばならない。
志を立てて目的がはっきりしていなければ、
一日中読書をしたとしても、
単なる暇つぶしにしかならない。
だから、
本当に学問をしようとするのであるならば、
先ず志を立て目標をはっきりさせるより大切なことはないのである。
「言志四録」 明徳出版社より
■いかがでしたでしょうか。
いつの時代も「勉強をすることは大切」と言われるようですが、
「言志四録」の語るところによると、
”志の立たざれば、
(志を立てて目的がはっきりしていなければ)
終日読書に従事するとも、亦唯だ閑事のみ。
(一日中読書をしたとしても、単なる暇つぶしにしかならない)”
というわけです。
「目的」がないと【閑事】(=ひまつぶし)になってしまう。
確かに、そうなのかもしれません。
■「勉強をする」という行為自体は、それだけでも素晴らしいもの。
思い起こせば、
「勉強しなさい!」と、お母さんに怒られることはあっても
「勉強をしすぎるな!」で、お母さんに怒られることはありませんでした(苦笑)。
でも、だからこそ
”「勉強しているという崇高な事実」 だけで満足してしまう”
という罠に、陥りやすいのかもしれません。
目的がないと、
せっかく学んだことも活かせないでしょうし、
目的のない勉強は、脳の奥の奥へしまいこまれ、
二度と使われることがない”不要な知識”として葬られてしまうように思います。
「7つの習慣」では、
私達がより良い結果を生み出すためには、
【目的を考えること】
が非常に重要である、と
”第二の習慣 終わりを思い描くことから始める”という表現で、
その必要性を強く説いています。
これは、
”志を立てて目的がはっきりさせる”ということと、
同じ意味になるでしょう。
西洋でも東洋でも、今も昔も、
大切なことは、
”学んだことを、何に活かそうとするか”
という姿勢にあるように思えます。
大学時代、無目的に勉強をしていた私自身を思い出し、
「確かに学んだこと、活かせていないなあ」
という多少の後悔と共に、改めて「志」の意味を考えた次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。