「知ること」の本当の意味
■おはようございます。紀藤です。
いよいよ12月です。師走です。
今年もあと少し。
終わりよければ全てよし、
とも言いますし、いい形で締めくくりたい月ですね。
■さて、今日のお話ですが、
孔子と弟子のやりとりで、
興味深いものがありましたので、ご紹介いたします。
孔子さんが、
弟子の子路さんに言いました。
「子路さん、
あなたに“知る”ということの、
本当の意味を教えましょう」
子路さんは聞きます。
「先生、“知る”の本当の意味とは何ですか?」
それに対して孔子さんがこう言いました。
「子路さん、
それはね、
あなたが知っていることは知っていると言い、
知らないことは正直に知らないと言う。
それが本当に“知る”ということです」
■もの凄く当たり前のことです。
でも、この文章を見て、
少しドキリとしたのは私だけでしょうか(苦笑)
知らないことが恥ずかしい、そんな気持ちがして、
つい知っているフリをしてしまう、
たまに、そんな時が私にはあります。
(そしてその後、こっそり調べるのです)
■「7つの習慣」には、【第七の習慣 刃を研ぐ】
というものがあります。
これは、日々の習慣として、
「4つの側面(肉体、精神、知性、人間関係)を磨き続けることが、
自分自身をより大きく、影響力のある存在にする
といいます。
そして情報が多く、様々な判断を迫られる昨今においては、
”「知性」を磨き続ける習慣”
は、その中でも特に重要なものである、
そのように私は感じています。
「知性を磨く」なんていうと、
・本を読む
・学校に通う
・毎日1時間勉強する
のように、大それたことに感じられますが、
もしかすると「知性を磨く習慣」とは、
孔子が弟子に伝えたように、
【「知らないことを知らない」と素直に言えること】
なのかもしれません。
年を重ねれば重ねるほど難しい習慣かもしれませんが、
いつまでも謙虚にいたいものですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい一日になりますように。