聖なる道とは「よき仲間」
■おはようございます。紀藤です。
先週金曜日、とある会社様の「7つの習慣」の研修の後に、
懇親会に参加させて頂きました。
皆さん、本当にエネルギッシュで、
かつ家族のように繋がりが深く
一緒にいるだけで、こちらまで楽しい気分になってしまいました。
一人でなく、チームだからこそ発揮できる力、
そんなことを感じさせられた時間でした。
と、いうわけで、
今日は「仲間」について語られた
あるお話を一つ、ご紹介したいと思います。
お釈迦様の十大弟子のひとりで、多聞第一尊者(たもんだいいちそんしゃ)といわれているアーナンダは、
二十歳のときから三十年間、お釈迦様のかばん持ちとして歩むことになりました。
十年以上経ったある日、
アーナンダはお釈迦様に向かってこのようなことを言いました。
「お師匠様、頭の中にふと、ある概念が宿りました」
「それはどんな概念か」
「私たちは、よき仲間を得るということは、聖なる道の半ばまで来たと思ってもいいのではないでしょうか」
聖なる道というのは、心に曇りや苦しみがなくなり、
いつも明るく穏やかに生きていけることです。
それを聞いたお釈迦様は、このように言いました。
「アーナンダよ。
よき仲間を得るということは、聖なる道の半ばではない。
聖なる道のすべてである。
よき仲間を得るということは、闇の中で迷ったときに、手を引いてくれる友人がいる。
闇を照らしてくれる友人がいる。
それをよき仲間と言う」
私たちは、暗闇の中を灯火なくして歩くことはできません。
よき友は灯火になってくれ、
苦しいときにはその思いを聞き励ますとともに、解決方法を教えてくれる。
そして、喜んだときは、共に喜びを分かち合ってくれます。
「笑顔で光って輝いて」小林正観 著
■どんなにすごい人物だったとしても、
一人で出来ることは、たかだか知れています。
苦しいとき、嬉しいときに
共にその痛み、喜びをわかちあってくれ、
そして共に歩むことができる「よき仲間」がいたら、
その価値は計り知れないでしょう。
■「7つの習慣」においても、
私達が目指す最終的なゴールは
”第六の習慣 シナジーを創り出す”
ことである、といいます。
人と協力して、一人では成し得ない大きな成果を創ること
それが私達の生み出せる最高の結果である、
コヴィー博士がいいたかったことは、
このことだったのではないかと思います。
■現代、インターネット、スマートフォンが普及して、
人間関係が表面的になっている、
なんてことも言われがちな世の中ですが、
だからこそ、人と人が生み出す
「深いつながり」とか「仲間の大切さ」
というものの価値を、
改めて考えることが大切なのだろうな、
と思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい一日になりますように。